第2話 引き金は引かれた、さぁ、スタートだ
突然の話ですが――或る日、女の私は「男」になりました。
その日はとてもよく晴れた日で、太陽の燦然とした輝きにコンチクショーと叫びたくなるくらいの殺人光線を出しておりました。
しかし、部屋から一歩でも出れば、窓から見た景色は何だ!と叫びたくなるほど寒く、私は米の某州にある大学の寮でぬくぬくと炬燵で暖まっていました。
ルームメイトのミィリー、ミィリーの彼氏(ミィリーはその事実を認めたくないらしいですが)のウェイ、元同級生のステファンも同席しており、だらだらとお菓子を食べながら、くだらない話をし続けました。
私は卒業が決まり時間があり、また他の三人も暇でした。
「なぁ、若葉。この前話していた、赤い配管工。あいつが出てくるゲームでさ、でかくなるキノコとかあるじゃん?」
「あの毒々しい色のキノコですよね、ステファン」
「あれさ、現実的に可能だったら、核兵器で遺伝子情報が狂ってでかくなったトカゲと、人間が対戦可能だよな」
「馬鹿だよ、ステファン。そもそも放射線ビーム出せる相手に対戦なんてできないよ」
「そうです、ステファン。我々も絶対防御できる盾とか必要ですよ。ほら、シンクロ率が上がれば動かせるロボットが出てくるアニメであったじゃないですか」
横からウェイが補足しました。
そうだよな、とステファンがチョコチップクッキーをぼりぼりむさぼります。
「もっと建設的なこと考えなさいよ、ステファン。例えば、片思いの相手をゲットするスキルについて」
ぐふっ。
ステファンの体が大きく揺れたかと思うと、ごほごほむせ出しました。
慌ててポットからお茶を注ごうとしましたが、なけなしの粒が一滴、カップに落ちただけでした。
「お茶切れのようですね」
ウェイはあっさり言う。
つまり、この炬燵の周辺には飲料というものが存在していない。
つまり、炬燵から出て飲料を調達してこなければいけない。
「じゃあ、じゃんけんね。ほら、若葉もステファンも手を出して」
喉を押さえて今にも死にそうなステファンにさえ、平等な要求。
鬼畜…!
私は気の毒のあまり、炬燵を出ようとすると、ミィリーに裾を掴まれました。
「男はつけ上がるのよ、散々苦しめておきなさい」
「でも…」
肝心なステファンの手は痙攣をはじめ、顔がひどく青い。
砂漠で遭難したひとが、水を求めているようです。
ステファン、天国ではなくオアシスに手を伸ばしてください。
私とミィリーが小競り合いをしていると、どこからか地響きがし、バーンと勢い良くドアが開きました。
「マッカーサー教授! どうなされたんですか?」
教授が手にしていたコーラーを勝手に拝借したウェイが、ステファンの喉に押し込む。
とりあえず危険は回避されたらしいですが、ステファンは炭酸特有のシュワシュワにやられたらしく、目元が真っ赤でした。
「Wakaba! これは一体どういうことです!?」
目の前に突き出されたのは、卒業後の進路を書いた紙。
そこには見覚えのある、けれど私のではない筆跡で大きくこう書かれていました。
男子高校生になります。
「ええええええっ!!!!」
多分、一階の寮監まで聞こえたと思います。
「若葉、いつから男の子になったの?
胸はぺったんだったけれど、ついてるはずのものはなかったよ」
ぺったんは余計です。
ミィリーの発言に、残りの三人はひとの胸をさりげなく見つめ、小さな談義を繰り広げていました。
とりあえず、三人については後で咎めることとして、進路表を再度見直しました。
この筆跡と言えば、俺はあのひとしか思いつきません。
私が電話しようと携帯を取ると、逆に携帯が鳴りました。
「ハッロー! 若葉元気にしてた?」
そう、明るい声の主は、各務家当主・冬彦さま。
ことの元凶と言ってもいい方です。
「ええ、おかげさまで。
それより、冬彦さま、あれは何ですか?」
苛立ちを抑えきれず、語尾が少し跳ね上がりました。
「気に入らなかったの?
せっかく若葉のため、と思って書いてあげたのに」
「私のため、ですか…?」
うん、と元気な冬彦さまに私は口をつぐんでしまいました。
「ねぇ、突然だけど、ゲームでもしようか?」
「ゲームですか…?」
私は男子高校生になる書かれるのと、ゲームをすることの関連性のなさに、頭をかしげました。
「そう、永日に仕える権利を獲得するためのゲーム」
一度は永日さまに仕えることを挫折し、私は未だ希咲さまとの約束が果たせていません。
魅力的な提示に、思わず息を呑む。
「受ける? 受けない?」
私の答えなど最初から決まりきっています。
「受けます……ですが、私が男子高校生になるのとど
う関係あるのですか?」
「若葉~、条件を聞く前に承諾したらいけないって教わられなかったっけ?」
ふっふふふふふ。
携帯越しの不気味な高笑いに、嫌な予感が立ち込めました。
「ち、ちょっと、冬彦さま!!」
私が声を荒げたことに、四人は驚いてまじまじと私を見つめます。
「受けると言った以上、もう撤回は聞かないからね」
「冬彦さま!!」
「後は才蔵に任せておいたから。才蔵に説明を聞いてね」
私の呼びかけは軽く流され、冬彦さまはマイペースに話を続けました。
「才蔵迎えに出したからね、多分、そろそろ迎えに来るころじゃないの?」
「才蔵がですか!?」
携帯から耳を放し、教授が開けっ放しにしたドアを見た瞬間、ツーツーと規則的な電子音が漏れました。
…切られました。
足から力が抜けて床にへたりこむと、ミィリーは私の顔を覗き込みました。
「どうしたの?」
「三億円をギャンブルで当てたと思ったら、税金でごっそり取られた気分…」
それは嫌ね、とミィリーはうつむく私の頭を撫でました。
コンコン。
呑気な声が聞こえます。
見上げれば、柔和な笑みを浮かべ、鳶色の髪をした青年が立っていました。
「扉を開けっ放しにするなど、不用心でござるよ」
「才蔵…」
「若葉の知り合いか?」
敷居は跨いでいない才蔵をじろじろ見つめる教授とステファン。
才蔵との関係性は特殊なので、答えあぐねていると、才蔵は助け舟を出してくれました。
「いやいや、私は若葉の兄です。いつも、若葉がお世話になっています」
ぺこり、日本人風の挨拶につられて、二人も頭を下げました。
一応、断っておきますが、才蔵は私の兄ではありません。
近所のお兄ちゃんに似たような関係性ではありますが。
「そろそろ卒業につきまして、若葉を日本へ連れて帰るために来ました」
沈黙が流れました。
才蔵の言ったことが脳内まで達していなかったのでしょうか、四人は固まっていました。
才蔵は自分の英語が伝わっていなかったのか、と思い、もう一度はっきりした英語で繰り返しました。
「若葉は日本に連れて帰ります」
ミィリーは才蔵の前まで行くと、満面の笑顔を見せ、手を伸ばしました。
バーン。
蝶つがいが外れるくらい勢いよくドアを閉じました。
その音に男性陣はびくっと肩を震わせ、正気を取り戻しました。
ステファンはどこからともなく大量の合板と釘を取り出し、ドアに打ちつけていきます。
さすが、工学部。
むらなく合板を打っていきます。
教授は私の前にどーんと立ちはだかり、ミィリーは私の背中に抱きつきました。
「絶対、日本には帰さないから!!」
三人の声が、寮内にこだましました。
ともかく、才蔵の話を聞かないとはじまりません。
十分間も罵声やら嘘泣きやらを聞きながら、話を聞くだけと返答しても、彼らが頭を縦に振ることなく困りました。
「ぜーったい、帰さないから」
私の腰にしがみつくミィリーは、用心深いもので、重たいと主張しても離してくれません。
助け船を出してくれるかとウェイに目配せしても、キラキラ光線を振りまき、笑顔で手を振られました。
ウェイ、自分の利益にならないことはしない主義なんですよね。
大きな溜め息をつきたくもなります。
ここは五階なので、さすがに飛び降りるのも無理です。
「さすがにこの状況は…正面突破あるのみですよね」
まず、ミィリーをずるずると部屋の端にいるウェイのところまで運んで行く。
「卒業記念にウェイにあげます」
とせっかくなので、ミィリーをプレゼントしました。
「いいんですか?今日は絶対離しませんよ?」
薄く赤づいた顔に、みるみるうちにミィリーの顔は青ざめていって。
「ぎゃあああああああああ!若葉の馬鹿!鬼畜!裏切り者!変態に渡すなんて」
腕にミィリーを閉じ込めたウェイは、ジタバタする様子もどこかしら楽しそうに眺めていました。
「だって私がいなくなったらミィリーが寂しがりますからね」
「だそうです。楽しみましょうね、今夜」
ミィリーの魂が抜けるような断絶魔を聞きながら、内心、南無三と合掌しました。
後ろでから聞こえてくる桃色の声をないものとして、残りはふたり。
マッカーサー教授とステファン。
仮に恩師と友人を気絶させるのも忍びないのですが、この場合は仕方がありません。
走りだそうと、最初の一歩を踏み出したところ。
ドアが湾曲するほどの音。
「警察だ!犯人、ここを開けなさい。今なら罪は軽いぞ」
…警察です。
「ちょ、警察来てますよ。教授、お願いですから、馬鹿なまねはやめて誤解を解いてきてください」
「Wakaba!警察が怖くて、社会を生きていれるか!権力者に抵抗するこそが、民主主義だ!警察は、民主主義を揺るがす無抵抗な市民を弄ぶ強者だ!!」
「どうでも、いいですから!!ステファン、早く合板を外してください」
慌てる私と違い、ステファンの諦めの入った表情。
嫌な予感がするのですが…。
「…若葉、もう遅い」
ステファンの暗い視線を辿れば、後ろの窓に縄に吊るされた黒ずくめの男がひとり映っていました。
次の瞬間、窓を蹴り破り、あたりにはガラス片が飛び散りました。
訓練された男の動きはひどく滑らかで、腰の銃を手にすると、フリーズ、ハンドアップ、と俺たちを威嚇しました。
そして鮮やかな手つきで、教授を伏せさせました。
「これで前科持ちですか…」
と思ったのも束の間、男の蹴破った窓には才蔵がいました。
ちょいちょいとこっちへ来いの合図を数度しながら、
「若葉、帰るでござるよ~」
緊迫した空気には場違いな呑気な声を出す。
黒ずくめの男も横目に俺に行け、と促す。
「教授、俺は才蔵と話をしに行くだけなんです、今すぐ日本に帰るわけではありませんから」
「本当か、Wakaba!このおいぼれを置いて行かないのだな」
みっともないくらいにおいおい泣く教授。
まるで昔の映画で見る捨てられる女の一場面のよう。
日本人お得意の曖昧な笑顔を浮かべて、俺は才蔵の胸に縋り、寮を出ることとなりました。
…みんな、逮捕されることがなければいいのですが。
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