魔女の血統

「剣………拾わないんすか、キルシュ様?」

「んひっ!?」


 地の底から響くような声に、反射的に顔を上げ、キルシュは喉を鳴らした。


 リドルが、こちらを見ていた。


 金の薄膜ヴェールから、金光が覗く。

 前髪の隙間から覗いたリドルの瞳は、満月のように爛々と、金色に輝いていた。

 常ならざる魔性の色に、キルシュの意識が凍り付いていく。


「あ、お、お前、それ! その、眼は!!」

「あー、もしかして見覚え有ります? ま、そりゃそうっすよね。キルシュ様も、居たんでしょ? 12年前のあの日、【】に。………!!」


 叫ぶような、威圧の声。

 竜種の咆哮ドラゴンズロアとは違い、魔力も物理的威力もないそれは、しかしキルシュを打ちのめすのに充分だった。


 声に籠っていたのは、感情。

 単純な怒りや憎しみ、悲哀ではなく、寧ろそれら全てが無秩序に混じりあったような、暗い暗い漆黒の感情が滴る程に籠められていたのだ。


 端で聞くだけでも身の毛がよだつような深淵の聲。それに晒されて耐えきれるほど、キルシュは頑強ではなかった。

 最早、動くこともできず。

 場が、処刑人の空気に支配されていく。


「………それが、理由ですか? リドルさん」


 その場を、清廉な声が切り裂いた。






「………君か、案外早かったな」

「クロナ様が来てくださったので」


 リドルが居たのは上級区の建物に入ってすぐ、玄関ホールのように広くなった空間だった。

 下級区の訓練室くらいの広さはある。なるほど流石は貴族の場だと、ディアはくすりと笑った。


「それこそ、早かったな。魔術師の工房に攻め込んだんじゃ無かったっけ?」

「クロナ様は、凄腕なのです。引きこもる魔術師如き、一息に始末なされますよ」


 彼我の距離を確認。

 ディアなら一瞬で詰められる間合いだが、しかしそれは、リドルも承知の上だ。

 ゆらゆらと揺れる彼の剣先は、倒れたキルシュから逸れることがない。ディアの動きに対応して、刺し殺すくらいは出来そうである。


 反対に、口調さえすっかり変わったリドルの実力を、ディアは承知していない。

 のらりくらり、ヘラヘラと笑っていた彼が本気を隠していたことは、倒れる数人の巡視官を見る限り自明であった。

 詰め寄るまでに彼が何を出来るか。分析しなければ、悲劇しか起きない。


 幸い、リドルはディアと会話する気はあるようだ。ジリジリと間合いを縮めつつ、ディアは口を開く。


「貴方の御家族については、聞きました。お祖母様が【森の貴婦人フォレストミストレス】と呼ばれていた、力のある【魔女】であったとも」

「ふうん、それで?」

「………【魔女】は、領土を出なければ不可侵であるとも聞きました。とすれば、お母様は………」


 リドルはあっさりと頷いた。

 その瞳からは、恨みの感情は薄く感じられる。


「それで、良くある【魔女】狩りにあったのさ。そこのキルシュ様も含めて、貴族連中に殺された」

「………では」

「いや、それが理由じゃあねぇよ。君が聞きたいのが、俺がこうした理由ならな?」


 面食らったディアに、リドルはクスクスと笑った。


「腹芸の出来ない奴だな。暗殺者見習いだっけか、向いてないぜ? ………まあ隠す気は無いからな、もう一度言ってやるけど。

「どういう、ことですか?」


 リドルの半生を聞いたとき、ディアは母親の復讐だろうと予想した。

 家族、血族といった存在に縁はないものの、それがどれ程大切かはディアでさえ想像できるというもの。だからこそ、母親を奪われた彼が復讐に走ったことも理解できた。

 ………違うのか。


「違えよ。そんな詰まんないこと考えるには、10と2年は長すぎた。今じゃあ、母親との思い出よりも剣握ってる方が長いんだぜ? 今更どの面下げて復讐なんかしろってのよ」

「では、何故? 何故、こんなことを」

「こんなこと、ね。………君さ、今俺が何しようとしてるか、解ってるの?」


 貴族の串刺しだと思ったが、流石に言わなかった。下手に刺激するのは良くないだろう。

 ディアの沈黙にリドルは肩をすくめると、剣先でキルシュを示した。

 恐らく生まれて初めて向けられた殺気に、キルシュは呼吸もままならないようだった。


「見ろよ、。これが、こんな奴が、俺たちのトップだとよ」

「貴族、ですか」

「そうだよ。貴族様だよ。生まれも育ちも俺達とは違う、ご立派な方々だよ、こんなのが!!」


 怒鳴り声に、キルシュが身を震わせた。

 失禁さえした貴族の醜態に、リドルが肩を震わせて笑い始める。


「こんな奴等が上にいるせいで、俺も、先輩ですら上にいけない!! みっともねえ、情けねえ。コイツらに守られる市民さえ情けなく見えちまう!!」

「………リドル、さん………」

「才能も無ぇ、努力もしねぇ。覚悟すら無いコイツらがなんで上にいる?! ただ、そう生れたってだけで!! 俺たち平民は、努力も求められねぇし、覚悟すら問われねぇ。生まれた瞬間に、俺らが下だって決められる!! そう決められちまってる!!」


 それが、リドルという少年が抱えた【理由】。

 自分の運命が、行く末が決められていることへの、反発。


「ぶっ壊してやる」


 構えた剣を、不安定に揺らしながら。

 リドルは顔を上げて、金の瞳に刺さりそうなほどの殺意を輝かせ。

 少年は、世界に宣戦を告げる。


「この、くそったれな世界を!! 俺がぶっ壊してやるよ!!」


 手始めとばかりに、振り上げられた切っ先。

 躊躇わずに振り下ろされる一閃は、しかしキルシュの遥か手前で受け止められる。


「………やらせません」


 赤く染まったマーレンで受け止めつつ、ディアはその、暗い輝きを正面から睨み付ける。


「私の前では、誰にも。世界を壊させたりはしませんよ!」

「っ!! ………はは」


 図体では明らかに上回る相手に押し返され、リドルはひきつったような笑みを浮かべた。


「とんでもねぇ力だなぁ、そう言えば、そうだった」

「………」

「はは、俺よりも早えし、強え。けどよ………?」


 チッと、ディアは舌打ちした。

 リドルが敵だったのなら、あの時の剣のように室内に仕掛けをしたのは彼ということになる。そこまでは、解っている。

 しかし――その手段が解らない。


「ヒントをやろうか? 俺の婆さんは【魔女】で、俺の母さんも【魔女】だ。?」

「………まさか」

「時間切れだ」


 リドルの身体を、

 ――

 彼の全身を巡る魔力が、剣に集まり、切っ先がディアへと向けられて。


「………撃ち抜け。【魔女の裁きカプリース・ボルト】!!」


 閃光と衝撃が、貫いた。

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