姿無き襲撃

 詰所は、実にシンプルな建築物であった。


 煉瓦の壁に、石畳。凹凸が無いくらいに磨かれた床そのものには感心したが、ディアとしてはそれほど感動するものではない。

 装飾にも凝ったものは無いようだし、そもそも廊下には調度品の類いは一切置かれてはいなかった。


 恐らく、有事の際の緊急出動に備えているのだろう。妙な出っ張りでもあって転んではまずいし、壁際に何か置いたらすれ違い辛くなる。

 気分としては花でも飾りたいところだが、花瓶を置いても邪魔なだけかもしれない。


 赤の女王は、その辺りは気にしない人間だった――誰かがぶつかって花瓶を割ったとしても、そいつの首をはねれば済むと考えていたのである。

 どちらが良いのかはともかくも、花瓶が邪魔なことだけは確かだ。


「遅かったな、何かあったか?」


 廊下の先、大きな扉の前では、ラデリンが待っていた。

 先日のラフな服装ではなく、鉄の胸板ブレストプレートを身に付けていた。腰には、かなり大振りな剣をぶら下げている。


 あれを圧し折るのはなと軽く思いつつ、ディアは軽く頭を下げた。


「先程、こちらの上級隊士殿に呼び止められまして。実力を見せてくれと」

「上級、キルシュか? 無理を言われなかったろうな、リドル?」

「ご安心を。クロナ様にも言われていますし、穏便に済ませました」


 大騒ぎしたくない、ということで自身しか来ていないのだ、余計な騒ぎが起きては本末転倒である。

 背後でリドルさんが何やらため息を吐いている。どうしたのだろうか、ため息は幸福を吐き出すことだというのに。


「………気を付けてくれよ、奴等は貴族だ。その気になれば、お嬢ちゃんの首くらい簡単に跳ばせるんだ」

「はあ………」


 気のない返事になってしまったが、仕方がない。ディアのかつての勤め先は、寧ろそれが当たり前だった。

 その気がなければやらないなんて、優しい支配者である。


 しかし、とディアは眉を寄せる。


「貴族ということは、彼らも危険かもしれませんね。魔術師の狙いに巻き込まれるかもしれません」

「あぁ、それは心配ないよ。上級区と下級区とは、門で区切られていてね。その門は物理的にも魔術的にも、けして突破できない」

「中から開ければ別だが、まあ、今回そっちは気にしなくて良いだろう。何せ、標的は俺なんだろ? 俺は、向こうまでは行かないからな」


 そうですか、とディアは一先ず頷いた。

 確かに、依頼としてはラデリンさえ保護しておけば事足りる。本人が門を越えないのなら、ディアとしても向こうを気にする必要は無い。

 確認は、後で勝手にすれば良いだろう。それより先ずは、ラデリンの行動範囲を把握しておくべきだ。


「ラデリンさんは、どのように一日を過ごされるのですか? 出来れば今日は、外出せずに居て欲しいのですが」

「ふうむ………まあ、それは良いが。今日だけで良いのか?」

「えぇ。クロナ様は、今日中に始末をつけると仰ってましたし」


 魔術師と言えども、死ねばそれまでだ。

 クロナ様が片を付けるまでにラデリンを護りきれるかどうかが、今回の鍵となる。


 ラデリンは肩をすくめる。


「まあ、逃げるのは気分が悪いが、相手が相手だからな。大人しく、稽古でもしてるか。おい、リドル! 着替えてこい」

「え、僕もですか?」

「当たり前だろうが、誰のせいでこうなってると思ってるんだ?」

「………この先は、訓練所ですか?」


 曖昧な笑みを浮かべて、稽古を避けようとするリドルを遮り、ディアは尋ねた。


「あ、うん、そうだよ。そうか! ここも案内しよう!!」

「………ったく、お前は………もういい、早く行け」

「………リドルさんは、訓練がお嫌いな様ですね」


 サボタージュの口実を見つけ、リドルが満面の笑みで扉の向こうに消える。

 その背中を見ながら、ディアは小声でラデリンに尋ねた。

 ラデリンも声を潜め、肩をすくめる。


「まあな。全く、才能はあるのに、困ったもんだ」


 ディアは、彼の所作の端々に、隠し切れない実力を感じ取っていた。

 クロナ様やキルシュに実力を見せたときも、リドルはディアの動きをきちんと目で追っていた。

 それに、ここまでの案内の間、


「恐らく、かなりの腕では? それなのに何故、訓練を嫌がるのでしょうか?」

「………意味がないからだと、言ってたよ」

「意味が?」

「血筋の問題だ。巡視隊は、かつての騎士団なんだが、騎士団はそもそも、貴族のための組織だ」


 各領地を所有する貴族たちが、自衛のために作り出した騎士団。

 帝国が世界を席巻した後も、傘下の領主たちは騎士たちを集め、鍛えていた。それは、激化する戦争のためでもあり、畑を焼かれた農民たちの暴動鎮圧のためでもあり、そして何より


 自分の領土ではこれだけの騎士を養えるのだと、周囲にアピールするために、騎士団は精強に鍛え上げられた。

 そして、それを従えるのは、


「巡視隊で隊長クラスに成れるのは、貴族の家に限られる。養子であれ何であれ、貴族の名を持たない者に出世はあり得ないんだよ」

「それで、意味がないと?」

「あぁ。それに、あいつは孤児でな。どう頑張っても上に行けない。なら、程々で良いんだと言ってなぁ」


 困ったやつだ、と肩を落とすラデリン。


 報われない努力というものの価値は、それをする者だけが認められる。本人が無価値と断じてしまえば、世界の誰も価値を与えてやることはできない。

 それが解っているからこそ、ラデリンは何も言えないのだろうし、ディアも何も言えなかった。

 いつか、リドルが自身の価値を認められる日は来るのだろうか。


 ため息を吐く。

 その日がいつ来るにしろ、ディアには関係のないことである。


 とにかく今は、依頼をこなすことだ。ディアが気持ちを切り替えるべく、深呼吸をした、その瞬間。

 


「うわああああっ!?」

「っ!?」

「リドルっ?!」


 扉の向こうから響いた、リドルの悲鳴。

 反射的に飛び込んで、そしてディアは見た。


 


「なっ………」


 呆然と呟いた、ラデリン。

 その声に、反応したのだろうか。リドルの周囲辺りに漂っていた魔力が動き、訓練用の剣置き場へと気配が移る。


 壁際に放置された剣が僅かに震え、彼に向けて矢のように飛び掛かった。

 まるで――不可視の何者かが、投げ付けたように。


 殺到する剣の群れを前に立ち尽くすラデリンの耳に、11時の鐘が鳴り響いた。

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