上級、下級
門の先には石畳の道が伸びていた。
左右には、簡素な花壇と古びた馬屋。
こんな町の中心で馬も無いものだとディアは思ったが、予想通り、今は使われてはいなさそうである。
カツカツと編み上げブーツで石畳を叩きながら、ディアは辺りを注意深く観察する。
魔術師というものが、自分より身体能力で勝るとは流石に思わないが、彼らが単純な力比べに応じる訳もない。
ディアの故郷に魔術師は居なかったが、大まかな話は聞いている。
クロナ様の経験と、ベルフェという魔術師の
反対に、魔術師側としては、相手と近接戦闘をしなくても済むように、何かしら手を打つものであろう。
ディアは己の役割を、その看破にあると認識していた。罠であれ、或いは侵入路であれ、現場にいる自身が見抜き、対処しなくてはなるまい。
警戒しつつ、ディアはリドルの案内に従い、花壇脇の掲示板に歩み寄った。
そこに貼られた古い羊皮紙に、リドルが手をかざした。その途端、浅緑色の光が浮かび上がり、幾何学的な図柄を形作る。
「この詰所は、大きく分けて2つの
「貴方は下級区ですか。では、ラデリンさんは上級区ですか?」
ドーナツ、というのが何なのか解らず、一先ずディアは別なことを尋ねることにする――ドーナツの意味については、まあクロナ様に後で聞けば良いだろう。取り敢えず今は、この丸い形だとだけ理解すれば良さそうだ。
ディアが口にした下級区という響きに、リドルは一瞬嫌そうな顔をした。その後ラデリンの話になると、余計嫌そうに顔をしかめた。
「先輩も、下級区だよ」
「そうなんですか? 意外ですね、リドルさんだけでなくですか?」
「僕だけなら良いんだ………そう、多分、君が思ってるような下級と上級っていう事じゃあないんだよ」
「………お、リドル!!」
どういうことですか、と尋ねるより早く、声が響き渡った。
更に顔をしかめるリドルに首を傾げつつ、ディアは声の方に目を向ける。
門とは逆、恐らくは下級区と言われている建物から、3人の男性が歩いてくる所だった。
正確には1人と2人だな、とディアは訂正する。
身なりや振る舞いからして、真ん中の1人。短い金髪の青年が首魁で、その左右を付き人が固めているようだ。
最悪だ、とリドルが小さく呟く。それから、彼なりの努力をして、笑顔を浮かべた。
「どうも、キルシュ様」
「やあ、リドル。聞いたよ、またしても失敗したそうじゃあないか!」
ははは、と2人の付き人が、
キルシュと呼ばれた青年は、人の良さそうな笑みの陰から、嗜虐的な声音を鳴らす。
「まったく、困ったものだな、君にも。実力もやる気も無いのだから、せめて大人しくして欲しいものだね?」
「あ、はは、すみません。巡視隊の名に泥を塗ってしまって………」
「ん? いやいや、気にするなよ。君程度に汚される程安い看板ではないさ!」
「………そうですか」
笑みをひきつらせるリドル。
彼の表情など気にも留めずに、キルシュは嘲りの声を続けた。
「実際羨ましいとも。君のような血筋の人間には誰も期待しない。だから、失敗しても許されるのだろう? 僕は貴族だからね、家名を背負っている。僕が同じ失敗をしたら、恥ずかしくて生きていられないよ!」
リドルの様子、そして、キルシュの様子を見ながら、ディアは成る程と納得した。
そういう意味の、上級か。
貴族。
生まれた家、流れる血、掲げる名前が、人を分ける。制度として必要な差別ではあるが、好ましいものではない。
押し黙るリドルに興が乗ったのか、キルシュは更に舌を踊らせる。
「看板を汚したというのなら、ラデリンだ。まったく、
「っ!!」
流石に、リドルが反応しかける。不味い。
このままでは、感情で剣を抜く。そうなると、リドルは非常に不味い立場に立たされるだろう。
そうなった場合、依頼の遂行どころじゃあなくなる。
「………」
「ん?」
クロナ様の信頼を無にする訳には行かない。
ディアは一歩進み、リドルとキルシュの間に身体を滑り込ませる。
キルシュは目を細め、ディアの全身を舐めるように眺めた。
「おいおい、もしかして、この子かな?」
「ディアと申します。この度、リドルさんの依頼で参りました」
略式の礼に、キルシュが眉を寄せた。
今はディアも、簡素なブラウスにスカート姿だ。本来は淑女らしい深い礼をすべきだが、ディアとしては
幸いキルシュは直ぐに機嫌を直したようだった。ディアは内心で胸を撫で下ろす。
クロナ様からも言われている――実力も無さそうなのに偉そうな奴には、無駄に逆らうな、と。
ふんぞり返って背を向けたときに刺せば済むから、あまり気にしなくて良い、らしい。
「ディアちゃんか、はは、胸もあるし、中々の器量だね。ラデリンのやつがノックアウトって聞いてまさかと思ったけど、この見た目なら納得だよ。そういう意味でヤられた訳だ」
「そういう?」
見た目から、実力を推し量ることが出来る力量には見えなかったが、案外見る目があるのだろうか?
平和な考えに首を傾げるディアを、リドルは呆れて眺めた。先輩も含めて相当馬鹿にされているのだが、気付いていないのだろうか。
いささか油断していたリドルは、しかし、キルシュの次の言葉に瞠目した。
「悪くない、どうだい、ディアちゃん。ラデリンも参った実力を、僕にも見せてくれよ」
「ばっ!!」
「え? 構いませんよ」
下衆な笑みを浮かべるキルシュ。彼を制止しようとリドルが手を伸ばすより早く、ディアは動いていた。
彼女の信じる、嫌みの無い実力を示すために。
風のような、霞むような速度でディアが3人とすれ違った。
目で追うことも出来なかったのだろう、ぎょっとしてあたふたする彼らの背後で、ディアが振り返った。
その手に3人の剣が握られているのを見てとり、リドルは安堵の息を漏らした。
なるほど、これなら穏便に実力を示せるというわけだ。
キルシュは貴族だ、ラデリンにしたように、投げ棄てられては流石に不味い。
あっぶねぇー、と苦笑するリドルの前でキルシュたちが漸く振り返り、その視線を受けてディアがニッコリとほほえみ、
握った剣を3本まとめて、へし折った。
「………は?」
「………えぇ………?」
がく然とする四人に、ディアは可愛らしく小首を傾げる。
「えっと………一本ずつ折った方が、良かったですか?」
全員、同時に首をぶるぶると振る。
リドルは、生まれて初めてキルシュと同じ気持ちになったと感じた。
こいつ、やばい。
「良かった、では参りましょう。リドルさん、引き続き案内をお願いしますね」
では失礼します、と身を翻すディアを止める者は、誰1人居なかった。
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