リドルの話
「………そいつとは、えっと、何処かの酒場で会ったんです」
私を左に、先輩とやらを右において、リドルは切り出した。
既に聞いた話なのだろう、先輩騎士は聞き耳をたてる様子もなく、静かにグラスを傾けているだけだ。
リドルの方も、うつ向きがちな視線の大半を私に向けている。まったく、引き受けるとは言ってないのに。
「割りと飲んだ後で………どこの店だったかは、覚えてないんですけど………」
「全然ですか?」
驚いたように、ディアが口を挟んだ。
「自分のしたことを、覚えていないのですか? 酒を飲むとそうなるのでしたら、もしやクロナ様も?」
「中にはそういう者も居るというだけだよ。酒の成分で、私は強いからね、全然だ」
「あ、じゃあ、リドルさんが弱いだけですか?」
歯に衣着せないディアの言い様に、リドルは笑みをひきつらせた。
「き、傷付くなぁ………」
「その通りだろ」
「先輩まで!!」
「お前が酔って、阿呆な事をしなければ、話は無かったんだぞ」
ピシャリと撥ね付けると、先輩騎士はグラスを干して、ぎろりと私を睨み付ける。
私は肩をすくめる。
清濁併せ飲むというタイプにも見えないし、さぞや無念だろう。私のような職の者にこうして依頼をしに来るのは。
その証拠に、彼は未だに名前さえ明かしていない。
「そ、そんなぁ、ラデリン先輩………いてっ!!」
………可哀想に。
隠してきた名前さえ明かされた中年の男を、私は憐憫さえ感じながら眺めた。
部下に恵まれないというのは、まったく不幸なことだ。
せめて聞こえなかった振りでもしてやろうと、グラスに手を伸ばしたその瞬間、ポンポンと私の肩が叩かれた。
訝しさに振り返ると、ディアが神妙な顔をしている。
何事だ。
「クロナ様、クロナ様」
「………何?」
「聞きました? あの髭騎士、ラデリンっていうらしいですよ?」
私は深くため息を吐く。
部下の不出来は、お互い様らしい。
肩を落とす2人の前に、琥珀色の液体で満たされたグラスが、手品のように現れた。
2日前です。
とにかく、その日は僕、すごく酔っぱらってまして。
ラデリン先輩にも、怒られちゃいましたし。
いやまあ、いつもなんですけどね? なんで怒られちゃうのかなぁ。
い、いやいや、もちろん反省してますよ! 毎日毎日反省の日々です、はい。
………? それじゃあ駄目なんですか?
まあ、散々に酔っぱらってたんですよ。
2、いや3軒目だったかなあ?
こんな上等な店じゃあなかったですけど、同じくらい狭い店でしたね。
こう、知り合いでもないのに隣同士になっちゃう、みたいな。いやあ、そこで美人さんとお近づきになれたら良かったのに。
なんですか? 良いじゃないですか別に。
僕はでも、大分浮いてたと思いますよ。何せずっと、先輩の悪口を管まいてましたから。
訓練がきつすぎるとか。
ちょっとサボると直ぐ殴るとか。
どれだけ努力したって、僕みたいなやつが上に立てるわけ無いんですから、そこはもう少し融通を利かせてくれても良いのになって。
愚痴を言う酔っぱらいなんて、皆見て見ぬ振りですよ。知らんぷり。当たり前ですよね、僕だってそうしますし。
い、いや、勤務中は別ですよ? ちゃんとしてますって、そんな睨まないで下さいよ。
………でも。
そいつは、例外だったんです。
「………そんなに嫌なやつか」
低い声でしたね。
僕の事を面白がるでもなく、かといって突き放すでもなく、こう――
目深に被ったローブのせいで表情はほとんど見えませんでしたけど、口調と言うか、声色でだいたい解りますから。
無機質な、好奇心。
無関心な質問に、僕は、つい頷いちゃってました。
何て言うか、気が楽だったので。はは。
同情って時々、重いじゃないですか?
気が付いたら、僕は全部話しちゃってました。先輩の名前やなんかを、全部。
寮に住んでるとか、もちろん特徴なんかも言ってました。
嬉しかったんですよ、こんな風に気軽に、僕の愚痴を聞いてくれる人が居るなんて思いませんでしたから。
………でも、それがいけなかったんですよね。その気軽さが、無関心さが、他人に対する無頓着さだと見抜けなかった。
そいつは確かに、僕の事情なんてどうでも良かったんです。そして同時に、世界の全てもどうでも良かったんです。
そいつは、ニヤリと初めて笑いました。
「それなら、そいつで試してやろう」
「は? 試す?」
「俺が、そいつを殺してやろう」
「試す?」
妙な表現だと、私は首を傾げる。
暗殺者にとって、手段にはさして拘りは無い。好みの獲物を使うのは闇組織の殺し屋とか、手段そのものが
暗殺者はその真逆で、誰が、なんてところを
大事なのは、確実性。
試すなんてもっての他、絶対に仕留められると確信していなきゃ、それは暗殺者の武器たりえない。
「暗殺者として言わせてもらうがね。そいつは暗殺者じゃあないぞ? 精々が駆け出しの殺し屋だ」
「同じだろう」
「違うね。私たちは職業的殺人者だが、あいつらは本能的殺人者。御主人様の笛で吠える、単なる猟犬だ」
一際大きく、ラデリンは舌打ちする。
無理もない、何せ、暗殺者は、貴族たちからさえ望まれる存在なのだから。
例えば私を逮捕するとしたら、かつて私に依頼した権力者全員が邪魔をするだろう。
そこに剣も槍も必要ない。
権力は、合法的かつ平和的に私を自由の身にすることだろう。そうなったら困るから、彼らも私たちに手を出せない。
灰色のままの方が良いことも、世の中には多いのだ。
「で、だ。そいつが暗殺者でないのなら、思い当たる相手が居る」
「ほ、本当ですか!?」
「気が付かないか? 目深に被ったローブ姿、人を人と思わないような無機質さ、そして何より。ものの試しで人を殺すその感覚」
「そんな生き物は、この世にそう多くは見当たらない。………【
ぎょっと、今更ながらに目を見開くリドルたちに、私はため息を吐いた。
あいにく
もしも、リドルに話を持ちかけ、その依頼を受けたのが魔術師だったとしたら。
私たちでは、どんな手を使うか想像もできないということだ。まるで知らない神秘の技で、なす術もなく挽き殺されるだろう。
奴等は、やる。それだけが確実な、まさしく最悪の殺人者が相手だということ。
それが、リトルの話から得た、唯一の情報だった。
私は深くため息を吐く。
折しも、ラデリンも同じ反応をしているところだった。
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