暗殺者クロナの依頼帳Ⅳ 無影の殺人者
レライエ
突飛な依頼
私が夜を過ごすバーは、基本的に繁盛している訳ではない。
一見なんてもっての他。
私のように常連も居るには居るが、客が3人を越えることはほとんど無い――内2人は私と、私の連れであるから、実質的には1人居るかどうかだ。
連れ、と言っても、男性ではない。
異性と酒を呑み交わすのが苦手な訳ではないが、必要を感じない。
酒は
私にとって、酒とは1人静かに呑むものだ。わざわざ味を落とすような飲み方をする意味は無いだろう。
私の左隣――詰まりは定位置だ――に陣取ってせっせと口を動かしているのは、端正な顔立ちの少女。
未だ幼さを残した彼女はしかし、私のおよそ12倍は強い。
【
こんなとき、物好きなのはお前さんもさ、なんて言って馬鹿みたいに笑う相棒は、今は私の足元で丸くなっている。
飲み過ぎとかではない。日が沈んで2刻程もすれば寝てしまうだけだ。まったく、健康的な習慣である。
「マスター、お代わりをお願いします!」
「未だ食うのか………」
見て見ぬふりも流石に限界だった。
やれやれと左を向くと、ディアの輝くような瞳と出会う。
命の恩を返すと公言して憚らない彼女はしかし、その凪いだ水面上の何処にも私への忠義を浮かべること無く、純粋に疑問だけを波立たせた。
「未だって………未だ3杯しか食べていませんよ!?」
「
「彼らの脚は4本もあります」
「食いきる気か! 狼かお前は!!」
寧ろ鬼か。
とんだ
流石にマスターといえども、焼き上がるまでは時間が掛かる。
僅かな手持ち無沙汰の間に、ディアは私の手元をじっと見詰めてきた。
「………何?」
まさか、ウサギ肉でも食べたいのか。警戒しつつ尋ねる私に、ディアは可愛らしく首を傾げる。
「クロナ様は、いつもお酒ばかりですね」
「ここはバーだからな、レストランじゃあないんだ」
「れすとらん? 何やら甘美な響きですね」
お前だけは絶対に連れていかない。
「お酒は美味しいですか?」
「あぁ。………飲んだこと無いのか?」
「ありません。帽子屋の紅茶のように、前後不覚になると聞きましたが」
「そんな紅茶があるのか………」
「飲んでみたいのですが、クロナ様は、駄目だと言いますよね?」
実のところ、私は別にディアが酒を飲もうと飲むまいと興味ない。女子供であれ、本人がやりたいなら勝手にすればいいと思う。
だが、私の隣で飲むのは駄目だ。
酒は、一人前になってから
「うー、未だ私は未熟ですか。前は見事に始末したじゃあないですか」
口を尖らせるディアの幼さに、私はため息を吐いた。
見た目に似合わぬ物騒な言葉だが、私もマスターも眉一つ動かさない。
何故なら彼女は私の部下。彼女の仕事は、即ち私の仕事でもある。
「ま、働きは認めるよ。思ったより、良くやってる」
「やったぁ、じゃあマスター、お酒下さい!!」
「駄目だ」
「何故ですか?!」
私は肩をすくめる。
酒は嗜好品だ。少女には、それが足りない――自分の貫くべき趣味が、好みが。
グラスの中に浮かべたい
「どうすれば良いんですか?」
「そうだな………ディアが、私の予想を超えるような凄いことをしたら、良いよ、奢ってやる」
「やったぁ、約束ですよ?」
途端に笑顔の花を咲かすディアに、私は再びため息を吐く。
彼女のこうした純粋さが、一人前になりきれない
「………失礼する」
その野太い声が響いたのは、それから暫く飲み食いした後だった。
私はチラリと店の入り口に視線を向け、軽く舌打ちする。
2人組だ。
私の耳には、1人分しか音が聞こえなかったのに。
言い忘れていたが、私はいわゆる
特に耳には自信があり、ドア1枚隔てた程度の外の音なら、簡単に聞き取れる。………筈だったのだが。
声を出した1人、大柄な中年男。
彼の音が、ほとんど聞き取れない。足音も、心臓の鼓動もだ。
自分の身体を意識的に
その影に隠れて、もう1人。
こちらは未だ若く、ディアよりは上だろうが、少年と言っても過言ではないくらいだ。恐らく、十代半ばではないだろうか。
落ち着き無く辺りを見回す瞳には、怯えの色が濃い。
妙な取り合わせだ。
「………」
中年男は店内をぞろりと見渡して、私を見て鼻を鳴らした。
それから、粗野な動作で歩み寄り、ドン、と荒々しく私の隣に腰を下ろした。
私は眉を寄せる。面倒沙汰の気配がして、酒が濁った気がした。
「………こいつか?」
男は私を見ながら、私でなく連れ合いに声をかけた。失礼なやつだ――元々礼儀知らずか、或いは私の事を、礼を尽くすべき相手と思っていないかだ。
私の左で、ディアが軽く腰を浮かせた。それを制して、私は身体ごと男に向き直る。
「誰だ、あんたは」
「………ふん、薄汚い犯罪者が、俺に名を問うか」
今度こそ、ディアが椅子を蹴った。
男の背後で、少年が息を呑む。
ディアの身体から吹き上がる怒気は、クロナをして肌が粟立つ程であった。
男も、腰を浮かせた。
その右手が腰の辺りを探り、空を切る。
舌打ちした男の所作に、私の脳裏にある予想が立った。
「お前、【
キャロティア王国の捜査権、逮捕権、そして処刑の権利まで持つ唯一の機関、王国巡視隊。
旧来の騎士団を統合した彼らは王国を守る騎士で、詰まりは法の番人である。
………詰まりは、私の天敵でもある。
「騎士様が何の用だ? 酒なら川向こうで飲めば良いだろうに」
「ふん、貴様には関係無いようだ」
「なに?」
見ると、少年が懸命に首を振っている。
眉を寄せる私に、男がため息を吐く。
「………実は、人を探している。恐らく、貴様の御同輩だ」
「なら、別の酒場に行け。ここは私の場所だ」
私の天敵ではあるが、私を根絶することを彼らの上司は望んでいない。
毒には毒の使い方がある、というわけだ。特に私は、王国そのものから依頼を受けることもあるのだから。
「………独自の縄張りがある、というわけか?」
「私にはな。他のやつなんて知らないがね」
「だ、だったら!!」
唐突に、未だ立ったままだった少年が声を上げた。
「あの、て、手伝いを、その、お願いできませんかっ!? ぼ、僕………先輩の殺害依頼をしてしまったんです!!」
「リドル………」
「だって、相手は暗殺者ですよ!! 打てる手は打った方が………」
私は再び眉を寄せる。
男の顔を見て、少年を見て、それから再び男を見る。
中年騎士は、深々とため息を吐いて、舌打ちしながら頷いた。
「そうだよ。俺が、そこの馬鹿に殺害依頼をされた先輩ってやつだ」
私とディアは数秒間黙り、そして、一斉に吹き出した。
沈黙こそ至高のつまみだ、だが………騎士の失態なんて、反則級に美味いネタだ。
笑い続ける私たちを、先輩騎士は苦虫を噛み砕くように睨み付ける。リドルと呼ばれた少年は、あたふたとするばかりだ。
しかし、まったく。
またしても、面倒な依頼らしい。
私の名前はクロナ。
人を殺すことで金を手にする、死肉漁りより性質の悪い犯罪者、【暗殺者】だ。
あいにく今度は、同業者の手から、騎士様を御守りいたさなければならないらしい。私にはまるで向いてない仕事だが。
しかし、まったく。
まあ暫くは、笑える話だ。
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