第4話 再会

 中年男の襲撃を受け、森の中に身を投じて二時間弱経ったが、既に三名は不如帰の前に伏した。いずれも同業者らしいがどれも腑抜けばかりだ。あの弱さでよくここまでやっていけたものだと思う。


 先ほど生存者人数を確認する機械を見れば数字は三十一になっていた。

 ふと、少し辺りが暗くなってきた事に気づき、視線を上へ移すと、梢の間から覗く空は濃灰色に染まっている。


 森の匂いが変わった。どうやら一降りするらしい。

 水に濡れると動きが零コンマ鈍る。できれば雨を凌げる場所があればいいが……。


 しばらく森を歩いていると、やがて断崖が立ちふさがった。

 苔の生えたその岩肌を指でなぞり、目を閉じる。僅かに濡れた指先を微風が撫でると、微かに冷気を帯び、左から右へと流れる空気の動きを感じる事ができた。この流動は断崖の側面に存在する洞窟へとつながっているはずだ。


 空気の流れに従って崖に沿って歩くと、大した時間もかからず身の丈の二倍程の高さを持つ洞窟を見つけることが出来た。

 ここで雨宿りをさせてもらうとしよう。


 洞窟に一歩踏み入れると、やけに心地が良い空気が全身を包み込んだ。ここで初めて外が蒸し暑い環境だったことに気付く。


 だがまだ息をつく事は出来ない。端末には生存者三十一と示されていた。つまり外より快適なこの場に潜伏者がいる可能性は十二分に考えられる。おまけに暗い場所となれば殺しを生業とする者のフィールド下である。もっとも、俺もその一人なのだが。


 洞窟内へ数歩踏み入った頃、頭上で布の擦れる音が聞こえた。

 瞬間、誰かが俺の身体に絡みつく。凄まじい速さった。


「やっほぉイタチくうん!」

「離せエミ……」


 強く締め付けるので出しづらい声を絞り出すと、拘束は緩むどころかますます強くなってくる。


「嫌だ―、イタチ君油断しすぎだよ! 私なんかに捕まえられてたらどうやって生き残るつもりー?」

「こうやって生き残るつもりだ」


 咄嗟に懐へ入れていた僅かに自由が利く手で拳銃を取り出すと、胴体に絡むエミの腕に銃口を突きつける。


「うーんなるほど……五十点かなー。引き金をひく速さがエミに全身を粉々にされる時間とどっこいどっこいだもんねー」


 採点し終えると、ようやく全身の拘束が解かれる。

 目が完全に暗がりに慣れ、エミの姿も視認することが出来た。ニコニコと悪意無き笑顔を向け続ける少女は間違いなくエミだ。


「……フン、バディじゃなければ今頃お前の心臓は不如帰に貫かれていただろうがな」

「キャ、怖い!」


 など言う割にはまったく怖がっているようには見えない。もっとも、実際怖がってなど無いのだろうが。


「それで、何人殺った?」


 聞くと、エミは不満げな声を出す。


「もう、イタチ君、愛しのバディと再会できたんだから、もっと別の事とか聞けないのー?」

「お前を愛しいなどと思った事は無い」

「もう、照屋さんなんだからっ。エミは知ってるんだよー? イタチ君はロリコンさんなんだって」

「子供を殺す趣味は無いと言うだけだ。男も該当するからその単語は当てはまらん」

「じゃあ男女見境なく好きって事は、ショタコンにロリコン……た、ただの変態さん⁉」

「付き合いきれん」


 これ以上付は時間の無駄なので、洞窟の奥に進む。

 つくづくこいつは無駄話の多い奴だ。行動原理もまったく理解できない。


「あ、待ってよイタチ君!」


 言いながらエミは俺の隣に並んでくると、嬉々として質問を投げかけてくる。


「ねぇ、エミはともかくイタチ君は何人殺したのー?」

「四人だ」

「げっ……」


 答えると、エミは何かしくじったかのような声を出す。


「その様子だとせいぜいお前は二人くらいか」

「うっ……」


 図星だったらしい。エミの声はどことなく悔しそうだ。もっとも、俺の知った事では無いが。


「でもでも! それはエミの実力が足りないんじゃなくて、運が悪かっただけだもん! あと二人襲ってきても簡単に殺せるよ!」

「だろうな」

「もう、ほんとなんだよ!」


 エミは怒ったような、焦ったような声を放ち言い募った。

 そんなものは言われなくても分かっている。


 エミはとにかく身体能力が凄まじい。全身筋力は常人から遥かに逸脱し、特に脚力は関しては俺でも及ばない。一体この華奢な身体のどこにそんな力を引き出す力があるというのか。生まれた頃に身体能力が格段に飛躍する薬を投与されたと言っているが本当にそんなものが存在するのか疑問符である。武器にしている二本の小太刀の扱いも俺の刀術を凌ぐ勢いで、殺しのスキルは暗殺屋の中でも最上位レベルと言えるだろう。



 少し歩くと、やがて洞窟が終わった。どうやらあまり深くないらしい。せいぜい百メートル強と言ったところか。


 ふと、雫の打ち付ける音が洞窟内に響いた。それはやがてどんどん大きくなり、洞窟内に反芻する。


「あ、降って来たみたいだねー?」

「だな。とりあえず雨を凌げるここを拠点にする。もし誰かが入ってきても暗がりに慣れた俺達の方が有利に動けるからな」

「おお流石イタチ君! 策士だね!」


 エミは感心したように声を上げるが、恐らくこいつがこの洞窟内にいるという事は同じ考えには既に至っていたのだろう。にも拘わらず俺を立てる発言をするのは まったく理解できない。


「にしてもお前は何故ずっと笑うんだ?」


 ふと、気になったので聞いてみる。こいつはここまで、一切表情を崩すことなく笑い続けている。声音は変わっても表情は常に笑いが伴っているのだ。


「またそれー? いつも言うけど知らないよそんなのー、逆にイタチ君はなんで笑わないのー?」


 何故笑わない、か。


「決まっている、笑いなどというものは馴れ合いに甘んずる弱者の証だからだ」


 そもそも感情自体邪魔なだけで必要のない存在だ。怒りに身をまかせれば体幹が狂い、悲しみ過去を振り返っても得る物が何もない。喜びや楽しみなどはそもそも感じた事が無い。だから俺は全てを忘れた。


「うわひどいよー。でもイタチ君みたいな人もなんていうか知ってる? そういう人、ムッツリって言うんだよ!」

「知らんな」


 時々エミはよく分からない単語を吐いてくる。ロリコンもショタコンもこいつに教えられた。何の生産性も無い単語だったが、ムッツリも恐らくそうなのだろう。


「でも、弱者の証っていうのは本当かも」

「ほう?」


 珍しく沈んだ声音だ。こいつは自らが劣る事を基本的に認めようとしないからな。と言っても、実際劣るような事はほとんど無いのだが。


「あ……」


 不意に、エミが小さな声を漏らす。


「お前も気付いたか。洞窟の周辺に二人いる」

「だねぇ……」


 微かだが、雨音に混じって足音が聞こえるのだ。リズムが揃っているので恐らく徒党を組んだ同業者二人組といった所だろう。

 エミの方を見やると、その表情は明るさがにじみに出るような、無邪気な笑みが貼りついていた。


「イタチ君」

「洞窟で待ち伏せるのもいいが、まぁ殺りたいなら好きにしろ」


 殺したくて仕方が無い、そういう時にエミは今のような表情、いや笑みを見せる。どうせ殺し合いになるなら早めにやっておいて損は無い。


「合点承知の助!」


 腰に下げていた二本の小太刀を抜くと、嬉々として外の方へと疾走するエミ。


「うわあああぁぁぁぁ」


 時を移さずに、一人の男の悲鳴が空間に響く。

そして数度の発砲音。


 洞窟入り口付近へ行き、外の様子を見てみると、目の前では眠る男を背負い、満面の笑顔を咲かせるエミと、二丁の拳銃を持つ男が対峙していた。


「呆気ないねー」 


 エミが言うと、再び破裂音が響く。

 二つの銃口が連続で火を噴いていた。


 しかしいずれもエミは男の身体で凌ぎ、一気に間合いを詰めると、飛翔。対峙する男は弾丸でエミを捕えようとするが、とうとうわなかった。


 エミが地面に到達する頃には、男の両肩からは血が流れ、握っていたはずの銃は手から零れ落ちている。


 呆気にとられる男の後ろ姿を一瞥し、エミはすかさず身体を、反転。

 とどめの刺突を男の胸へと繰り出すと、返り血を浴びたその顔は満足げにほほ笑むのだった。

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