最終話

6-1

 物音のしない書斎。

 部屋の隅の机、下から二番目の引き出しを私は静かに開けた。


「たしかこの中に……」


 大量にまとめられたスケッチの束を引っ張り出して、その一番奥から古めかしく分厚い本を取り出す。


「懐かしいな」


 言葉とともに思い出される記憶、決していい思い出とは言えないが印象深い出来事ではあった。

 私が人形師として独り立ちしたての頃、あれはそう、十五歳の時だった――――。


 とある高名な錬金術師が中央都市を訪れている、という話を小耳に挟んだので、私はヴァン=クライクへと出向くことにした。なんでも不思議な生命体を所持しているそうで、創作に役立つかもしれないと思い、まあとどのつまり多少の興味をそそられたわけだ。

 公演とでも言うのだろうか、中央都市の中で最も小さなホールに、その人物は来ていた。すでに満席らしく、座れもせず中で立ち見することも出来なかった人々が外の通路にまで溢れかえっている。

 まだ成長途中だった私は、旨いこと狭い人の間を潜り抜けながらなんとか入口までいくと、中の様子をそっと覗う。

 蝋燭の灯りがともる怪しげな雰囲気の小ホール。錬金術師はその中央ステージに立ち、なんとも自慢げで声高らかに演説している最中だった。

 その内容は“ホムンクルス”と呼ばれる人工生命体を生み出すことに成功したというものだ。

 見れば円形の壇上には台が設置されており、その上に人形を入れる鞄ほどの大きさのビーカーが置かれていた。中には衣服を着たビスク・ドールくらいの「ヒト」のようなものが入っており、ガラスの内にぺたりと手を付いては、外の世界を観察しているような動きを見せている。

 私はその人工生命体に大変興味を持った。興味を持ったが、けれどそれと同時に強烈な挫折感をも味わった。

 あれは人形ではない。彼は生きているのだ、あのビーカーの中で。外に出せば言葉を喋り、人に知識を授けるという。私の作っているようなカラの人形ではない。……それがとても悔しかった。

 錬金術師は得意げな笑みを浮かべて自慢していた、だが見に来ていた観衆の反応は様々だ。


『これは素晴らしい!』

『いいや神への冒涜だっ!』


 などと言った賞賛の声とヤジ、歓声と怒号が会場内を飛び交っている。

 来るのが一足遅かったため、私は後ろの方でしか見物出来なかったのだが、ふとその錬金術師がこちらを見ているのに気付いた。

 目が合った瞬間、鋭い眼光で射抜かれたと思った時には、すでに錬金術師は帰り支度を始めていた。

 鞄の中にホムンクルスの入ったビーカーを納め、帽子をかぶると観衆に挨拶をしこちらへ向かって歩いてくる。

 騒然となった会場を後目に、彼は私の真横に立つと、無言のまま私の腕を掴みそのまま外へと連れ出す。

 あまりにも唐突に、強引に引っ張られたのを不愉快に思い、私は腕を振り払うと錬金術師をキッと睨み付けた。

 すると錬金術師は特に悪びれた様子もなく、これは失礼と言い頭を下げる。

 怪訝な顔をしている私を余所に、彼は勝手に話をし始めた。


「君は、あのホムンクルスに興味を持った、違うかな? ……そして、君は人形師だね? クリストファー君。あ、自己紹介が遅れたね、私はパラケルスス。本名は面倒くさいから名乗りたくはないな」


 スッと手を差し出してきて握手を求められたが、私はその手を取ろうとしなかった。

 パラケルススと名乗った錬金術師は、私のことを知っていた。まだ大した人形も作れていない、駆け出しの人形師の名をだ。

 握手し返さなかったことを不快に思いもせず、男は笑顔で話を続ける。

 精巧な人形を作ると、彼の国じゃけっこう私の評判はいいらしい。だがそれは精巧さだけで、


「生命を感じない、君の人形には魂が無い」


 ……人形が生きていないと言われた。ただ作られたもの、国でもそう評価されているそうだ。

 それはそうだ。私が作っているのは人形だ。先ほど見せびらかしていたような人工生命体ではない!

 そう突っぱねるように言い返すと、錬金術師は小さく首を振って、


「そういう意味じゃない。人が作りし物には、製作者の魂が宿るもの。それを君の人形からは感じない。その子たちは死んでいる」


 と、一番聞きたくも無い言葉で跳ね返された。

 たしかにそうだ。私はそれを自分自身で解っている。だからこそ、こんなどこの誰だか分からないような奴に指摘されて、無性に腹が立った。そしてだからこそ、先程のホムンクルスと呼ばれる人工生命体に興味が沸いたのだ。


「グリモワールを知っているかな? ……立ち話もなんだし、どこかに入ろうか」


 すると突然、真向かいの店舗を指差すと、今しがたの失礼を詫びるように彼は私をこじゃれたカフェへと案内した。あまりにも突飛で、当たり前のように自然に促されたものだから、大した拒絶をすることもなくふらふらと足が勝手に動いて付いていく。

 多少胡散臭いとは思いながらも、私はこの錬金術師について行き店の奥、窓際のテーブル席へと座った。


「さて、さっきの続きだ。グリモワール、名前だけでも聞いたことはあるだろう。古の魔術書だよ」


 訊ねてもいないのに彼は勝手に話し出す。なにがそんなに面白いのか、見ているこちらがイラつくほど常ににやけ顔だ。

 もちろん私だってそれくらいは知っている。書店を覗けば、大抵のところには置いてあるほどポピュラーなものだ。

 天使や悪魔の召喚・喚起の方法、それに必要なペンタクルや魔法陣の描き方などが記されている、らしい。私は特にそういったものには興味がないため、読んだことはない。

 しかし錬金術師は続けて言った。


「“生命の復活”について記されているとしたら? 魂を物に宿らせることが出来たら?」


 一体何を言っているんだろうか。この人は気でも違えたのか?

 生命の復活なんてものはまさに、神にしか許されていない行為だ。大体そんなことが出来るはずがない。


「私はもう疲れたんだ。ホムンクルスで手一杯だし、まさかこんなに手が掛かるとは。なんとか器に出来ないものかと思ったが……」


 私には言葉の意味がさっぱり理解できなかった。この錬金術師の口にする言葉が、頭の中をただ延々と回っている。

 しかし混乱する私にお構いなく、彼は一方的に話を続けた。その間、何を言われていたのかは正直記憶にない。あるのは「人形が生きていない」と言われた事実だけ。

 そして――――、


『私には成し遂げることが出来なかった。だが、君には可能性を感じる』


 そう言いながら鞄から取り出し、手渡されたのがこのグリモワールの原本だ。

 無意識のうちに受け取り、一人呆然としたまま私はテーブルに取り残された。気付いた時には、もう錬金術師の姿はなかった。

 長い月日の中、幾人もの手を渡ってきたのだろう。表紙はすでにボロボロで、上等な紙を使われていたであろう各ページも、今では製本された当時の姿を想像することすら出来ないほどに劣化してしまっている。

 彼の話によると今、世に出回っている全てのグリモワールは写本。しかもこの原本を写して書かれた物の、さらにその写しらしい。そしてこの原本には、それらの写本からは存在自体を抹消された章が存在する。神の領域に踏み込む術とされた生命復活。それを可能にするかもしれないのが「魂魄喚起の章」だ。

 なぜあの錬金術師が原本を持っていたのか、そしてなぜそれを私に託したのか、そんなことは分からない。


「生命の復活……」


 だが私の希望がそこにあるような気がした。もしかしたら、セリーヌを復活させられるかもしれない。まるで夢のような話だ。お伽話に出来たら童話にでもなるのだろうか。だが、あの錬金術師は無理だと言われていたホムンクルスを誕生させた、奇跡を起こした。もしかしたら……。

 そんな思いに駆られ、本当かどうか定かではない一握りもないかもしれない可能性、私はそれに賭けてみることにした。

 そうと決まれば、早速作業に取り掛かろう。

 もう私に恐いものなどない。例えそれが教義的な神の教えに逆らうことだったとしても、私は畏れも後悔もしない。


   ◇


 人を構成しているモノは、肉体、精神を司る星幽体、そして魂の三つであるとされている。肉体が滅んだ時、その境界を失った星幽体は繋ぎ止められていることが出来ず、同時に消滅する。だが魂だけは天国にも地獄にも逝かず、現世に留まることもあるという。

 それは後悔や思い残し、云わば現世への未練がそうさせるそうだ。強い想念は自らの魂を地上へ引き止める。天上にも奈落にも逝くことの出来なくなった魂の行方は、やがて完全なる消失を待つのみ。それには時間があるらしい。

 魂が地上に繋ぎ止められているのは、肉体が死んでからの七十二時間。つまり三日だ。

 もしセリーヌの魂がどこかにあるのだとしたら、急がねばならない。消えてなくなる前に見つけなければ、夢も同時に泡沫となって消えてしまう。

 このグリモワールの「魂魄喚起の章」によると、魂を見つけるためにダウジングと呼ばれる方法をとるそうだ。

 まず金と銀でエル字型の道具を作る。それを手に構え、魂の在処へ近づくと反応し道具が両側に開くという仕組みらしい。一見単純な作業に思えるが、これには自分の思いが強く関与してくる。思いの強さが反応精度を高め、より確実に見つけることが出来るようになるのだ。

 そしてここからが問題だ。魂を入れる器を用意しなければならない。それはなにで出来ていてもいいが、中でも銀が好ましいとグリモワールには書かれている。

 魂の器。そう聞いて、私は一瞬で受け皿の形を決めた。

 私が作るもの、それはセリーヌの等身大の人形だ。持てる技術を駆使し、精巧で精密な自動人形を作ろうと思う。そして人には必ず“あるもの”が存在する。心臓だ。

 私は彼女の魂の器として、銀で心臓を作ることにした。まず心の臓の形を丁寧に粘土で作りこんでいく。それを石膏の型に写し、出来た鋳型に銀を流し込んだ。器と言うのだから中はもちろん空洞になっている。

 そうして二日かけて完成した多少重たい銀の心臓を懐に忍ばせ、私はダウジングの道具を手に、一人セリーヌの魂を探して彷徨い歩く。

 しかし屋敷を大方回り終えて気づいたことがあった。


「セリーヌの魂は、ここにはない……?」


 作り方を間違えでもしたのかと疑問にも思ったが、書物の通りに作ったんだ、それは間違いではないと思う。彼女の魂の残留思念が強く留まっている場所が、私の屋敷ではないことが残念な気持ちだ。

 だが憂いてなんていられない。時間は刻一刻と迫っているのだから。


「彼女の魂……一番……気に入って、いる……場所?」


 一つだけ思い浮かぶ処がある。そこになければ、諦めるしかないかもしれない。

 私は自然に駆けていた。靴をしっかり履く時間が惜しい。普段ならやらない靴のかかとを踏んで、スリッパのようにして屋敷の裏へと急ぐ。

 木々のアーチトンネルをくぐり森の小広場へやってくると、見つかるかもしれない興奮と、駄目かもしれないという恐怖から震える手を抑えて道具を構える。


「ゴクッ……」


 生唾を飲み込んでから大きく息を吐いた。呼吸を整えて一歩ずつ足を踏み出す。

 足はガクガクと震い今にも崩れ落ちそうだ。意識的に力強く踏みしめながら進んでいき、やがて中央の切り株までやってくる。ここへ来ると決まって二人並んで座った、思い出の自然のベンチ。

 すると――――手に持っていた金と銀の棒が大きく外側へ向かって左右に開いた。


「は、反応……した」


 真偽を確かめるために、私はいったん小走りでセリーヌの墓側である西の方へとはけた。今一度ダウジングを構え直し、ゆっくりと切り株へと近づいていく。

 するとまたしても切り株の真上辺りで器具が反応を示した。


「セリーヌは、ここに座っているのか……」


 私のことが見えているだろうか。

 魂の概念がどういったものなのか、そんなことは私には理解できない。人の形を成しているのか、それとも球体なのか、そもそも形すらないのか。だが、彼女の魂はちゃんとここにいる。二人の思い出のこの場所で、今も変わらぬ想いのまま、この切り株に腰掛けている。

 いつかの笑顔を思い出した。

 真夏の太陽の下、水を浴びて元気よく煌めき輝く満開の花のような笑顔。楽しそうで、嬉しそうで。触れているだけで、見ているだけで幸せだった。

 ついつい思い出し笑い。セリーヌがいたら、「どうしたの、珍しく気持ちの悪い顔して」とかなんとか言われそうである。そのくらい、嬉しいんだ。

 魂がここにあるということは分かった。あとは魔術的儀式に則って、セリーヌの魂を器である銀の心臓に移すだけ。

 少しだけ、心が晴れてきた気がした。

 生まれたてのセリーヌが寂しくないように、孤独を感じないように。これからの人生、その全ての時を人形制作に充てよう。

 だがその前に、私にはやらねばならないことがある。けじめは付けなくてはならない……。


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