1-4
しばらく演技をしていると、いつもなら気にもならない、観客席の客の顔が目に飛び込んできた。
「…………(ん? あの女性は――)」
マリオネットを操りながら女性に少し視線を移す。
その女性は他の誰よりも目を輝かせ、真っ直ぐな瞳でこちらを見つめていた。
……いかん、演技に集中しなくては。
それからも女性のことが多少気になりはしたものの、なんとか無事に今日の操演も終えることが出来た。
ホールの照明がゆっくりと点けられて、客席を照らし出す。
皆一様に拍手をしてくれている。中にはハンカチで目元を押さえている人もいて。どうやら感動し泣いてくれたようだ。
この瞬間というのは、いつ味わってもよいものだ。昂揚感と同時に、達成感が体中を駆け巡る。
――そうだ、あの女性は。
座っていた席に目をやると、その女性も泣いてくれていた。拍手をしながら、時折目元を拭っている。感動してくれたみたいで、よかった。
最後の挨拶を客席に向かってすると、頭を下げたところで幕が左右から閉じられた。
ようやく終わりだ。時計を見ると六時二十五分だった。
中央の台に戻り二つの鞄にドールを納めると、ほっ、と小さく息を吐いた。
緊張の糸が緩む。
「一時間近くか……意外に長かったな」
――と呟いたちょうどその時、舞台裏の方から声が響いた。
『クリストファーさんに会わせてください!』
どうやら女性のようだが……。もしかしてファンというやつだろうか。
熱心な人もいたものだ。ここは関係者以外は立ち入り禁止なのに。
まあ当然の事ながら、係員から「劇場関係者以外立ち入り禁止だ」という旨が女性に伝えられる。
しばらくして、耳を澄ましても声は聞こえなくなり、水を打ったように静かになった。
揉めていた女性はどうやら引き返したようだ。と思ったのも束の間。
「あ、こら!」という関係者の制止する声が聞こえたかと思うと。勢いよく私のいる舞台中央まで、金色の髪をなびかせながら一人の女性が駆けて来るではないか。
「ん? あの女性は――」
強引に舞台まで押し入ったその女性は、先ほどまで演技を見てくれていた人だった。
不意に漂ってきた花の香りに、懐かしさを感じた。
「はぁ、はぁ、はぁ……ク、クリストファーさん」
よほど全力疾走してきたのだろう。乱れた息を整えた後、女性は私の名を呼んだ。
「君は、繰演を見に来てくれた人だね?」
「ッ!? ……見てたんですか?」
「ああ、見えていたよ。今まで君ほど、あんなに瞳を輝かせて演技を見てくれた人を、私は知らないからね」
そう言うと、女性は頬を赤らめ、少し俯いた。
するとそこへ、舞台袖から女性を連れ戻しにきた関係者が見えたので、私は首を横に振ってそれを静止する。進み入る足を止め、了承したとばかりに頷くと、関係者の男性は舞台裏へと消えていった。
少し経って女性は顔を上げると、潤んだ瞳でこちらを見つめ、唐突に話し始める。
「あ、わたし、セリーヌって言います。ずっと前からクリストファーさんの演技が見たかったんです。だから、今日初めて見に来られて、すっごく感動してます!」
セリーヌと名乗った女性は胸の前で手を組み合わせ、溢れんばかりの感動を伝えている。
よほど昂奮しているのだろう。頬を色濃い朱に染めて、今にも泣き出しそうな表情をしていた。
さっきまでは気付かなかったが、よくよく見てみると、とても綺麗な子だった。
背中まで伸びる髪は美しい金色をしていてストレートに流している。雪をも欺くような白い素肌と、サファイアのように色鮮やかで深みのあるブルーの瞳がとても印象的だ。幼さを残すが、鼻筋が通った端整な顔立ちをしており、幾分背が低いがスタイルもとても良い。
中央都市の有名なファッションモデルと比べてもなんら遜色がないくらいだ。
しばらくの間惚けていると、その視線に気付いたのか、彼女は不思議そうに首を傾げ私を見てくる。
「あの、どうしたんですか?」
「えっ? ……あ、いや、何でもないよ」
はっとして慌てふためく姿を見て、セリーヌはくすくすと笑った。
恥ずかしいところを見られたな。口は開きっぱなしで、みっともない顔をしていたに違いない。
急に照れくさくなり、顔が熱くなるのを感じ視線を落とす。
するとセリーヌは何かに気づいたように声を上げた。
「あっ、その鞄って、もしかして、さっきの……?」
そう言って二つの黒い鞄に熱い視線を注ぐ。
「ああ、そうだよ。人形たちだ」
「あの、見せてもらうことって、出来ますか?」
彼女は少し遠慮がちに、上目遣いで訊いてきた。
「うっ」
か、可愛い……。
なんだ、一体私はどうしたんだ。何なんだ、この動悸は。また自分の顔が熱くなる。
――あっ、そうか! このライトが熱いせいだ、そうに違いない。だからのぼせて、変な動悸がするんだ。それ以外に考えられん!
というか、いつまでライトを点けっぱなしなんだ、電気がもったいないだろう。
ああいや、私たちがいるからか。そうだよな、幕の向こうにはもう人がいないし、真っ暗のようだ。……って、よく見たらこの状況は――。
私は気づいて視線を足元へ落とす。
まるで舞台の一場面。恋人との再会シーンのように円状のスポットライトがそれぞれを照らしていた。照明さんのいたずらか? と疑ってしまうほど、よく出来た構図と照らし加減だ。
しばらくの沈黙の間に、私の表情がころころと変わる様を見て、セリーヌは怪訝そうに眉をしかめた。
「あ……」
それに気づきばつが悪くなり、私はそそくさと中央の台へ早足に向かう。
そして留め金を外し鞄を開けた。
「さあ、おいで」
平静を取り繕い、照れ臭さを押し隠して笑顔を向けると、彼女はゆっくりと近づいてくる。
瞳は期待からか輝き、けれど足は少し震えていた。傍目に見ても、緊張しているのは明らかだった。
そうして中央の台まで来たところで、私はドールを包むクロスをゆっくりと外す。
「――うわぁぁあ! ……綺麗……」
感嘆の声を漏らした後、セリーヌは無言のまましばらくドールに見入っていた。
やがて、静かな空間になにやらすすり泣くような声が聞こえてくる。
幕の向こうには人はいないはず。そしてここには二人だけ。それに妙に近い場所から声が聞こえてくるような。
ちらっと彼女に視線を向けると、目にいっぱいの涙を浮かべて泣いていた。
――なにか不味いことをしてしまっただろうか? 身に覚えは、ない。だとしたらどうして?
しばらく考えてみたが理由が分からず、居たたまれない気持ちになり私は問うた。
「あの、なんで……泣いてるんだ?」
声にゆっくりと振り向くセリーヌ。その目から雫がほろりと落ちる。
照明に照らされているせいか、零れ落ちた涙も、頬を伝う涙も、まるで星屑のようにキラキラと輝いていた。
私の目を真っ直ぐに見つめ返し、口を歪めしゃくり上げる彼女はゆっくりと口を開く。
「あ、あまりにも綺麗で……感動して……ぐすっ」
「へ?」
な、なんだ、感動したから泣いていたのか。てっきり無意識のうちに、彼女になにかしでかしたのかと思ったよ。ふぅ……。
でも、この子は本当に心が綺麗なんだな。他の人間とは違うのかもしれない。
私のドールは、自分で言うのもなんだが評判がいい。それを見に来てくれる人々が沢山いる。それはとてもありがたいことだ。
しかし中には、私の子供たちを博物館に寄贈してくれだの、売り物にすればいい商売になるだのと、見に来てはそう口ずさむ者、近づいてくる者たちが後を絶たない。取り入ろうと賄賂を渡そうとしてくる人間すらいるのだ。もちろん受け取らないが。
そんな奴らばかりではないが、そういった好奇な目で見られていることもまた確かだ。そんな事を目的に作ったわけではないのに……。
だが彼女は、本当に心から感動し涙してくれている。演技中も、今だって。こんなにも目を輝かせ、私の「子」らを見つめてくれている。そのことが何よりも嬉しくて、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「そうだ。それなら、今度私の屋敷へ来ないかい?」
「ふぇ?」
うっ……まだ泣いていたのか。泣き顔も可愛いと思ってしまった私は、不謹慎だろうか。
上着の胸ポケットからハンカチを取り出すと、それを彼女にそっと差し出した。
「ぐす……あ、ありがとう」
ハンカチを受け取ると頬を伝う涙を拭い、目元を押さえて一息つくセリーヌ。そしておもむろにハンカチを鼻へと当てた。
うん、まあ、いいんだけどな。私が渡したんだし。
「落ち着いたかい?」
「……はい。あっ、ハンカチ洗って返します!」
恥ずかしそうに見上げる彼女の頬は、熟れたリンゴみたいに赤くなっていた。
気付いたようにハンカチを折りたたみ、それを持っていた肩掛けの茶色い鞄へサッと収めると、こちらへ向き直り照れ笑いをこぼす。
「それでさっきの返事なんだけど……」
「あ、なんでしたっけ?」
「えっ?」
どうやら聞こえていなかったみたいだな。まあ、あれだけ泣いていれば仕方がないか。
少しの緊張からか乱れる呼吸を整えるように、ふぅ、と小さく息を吐く。
そして私はいま一度、セリーヌに問うた。
「今度、私の屋敷へ来てみないか? 君さえよければ、だが」
セリーヌは何を言っているのか分からない、といったようにポカーンと口を開けたまま固まってしまった。
それからややあって。
「――って、えぇええええええっ!?」
キーンと耳をつんざくような大声が舞台に響く。
舞台役者にでもなれそうなほど、大人しそうな外見の彼女には似つかわしくない大音声だった。
少し顔をしかめ、私は耳を押さえながらも彼女の返答を待った。
「あ、ごめんなさい。……でも、なんで突然?」
大声を上げたことに対して軽く頭を下げた後、複雑な表情で私を見つめるセリーヌ。
「君は私のドールをとても愛してくれているようだ。それは客席にいる時も、こうして話してみた今も感じている。だからこそぜひ、君を屋敷へ招待したい」
「で、でもわたしなんかが――」
私は首を左右に振り、彼女の言葉を否定した。
「なんか、なんて言わないでほしい。君はとても魅力的だよ。それに……」
「……それに?」
「君にぜひ、私の子供たちに会ってもらいたい。君ならみんなが迎え入れてくれるはずだ」
「こ、子供?」
驚いた顔で仰け反るセリーヌに、あぁと小さく頷き返した。
「ドールたちのことだよ。みんな、私の子供のようなものだからね」
「ふふっ」
彼女は突然くすっと笑い出す。
どうしたんだろうと思っていると、
「やっぱりわたしの思った通りの人でした。クリストファーさんは、本当にドールを愛していらっしゃるんですね」
セリーヌはにこりと微笑む。
きらきらと輝く二つの美しい蒼玉に、今にも吸い込まれそうになる。
「わたしもぜひ、クリストファーさんの屋敷へ行ってみたいです。そして、沢山のドールたちに会ってみたい」
「本当に?」
そう訊き返すと、彼女はえぇと静かに頷いた。
「そうか、僕も嬉し……あ、いや、私も嬉しいよ」
何故だか彼女が笑っていると、ただそれだけで胸が温かくなる。
けれどふと時刻が気になり時計を見ると、すでに八時三十分を過ぎていた。
「こんなに喋っていて大丈夫かな? もうあと二十分ほどで九時になるよ」
「えっ!? もうそんな時間なんですか……もう少しお話していたかったです」
そう言ってセリーヌは残念そうに視線を落とす。
時間が許すのなら、私だって一緒にいたい。彼女と話をしてみたい。しかし互いに明日の予定などもあるだろう。私も明日は朝から用事がある。屋敷へ帰ったらドールの手入れもしなくてはならない。
「夜も遅いし、家まで送るよ」
「えっ、いいんですか?」
「当たり前じゃないか。レディに夜道を一人で帰らせるわけにはいかないだろう?」
「……じゃあ、お言葉に甘えて。お願いします」
そう言って彼女はペコっと頭を下げる。よろしいとばかりに頷くと、私はドールたちを鞄に納め、それらを重ねて持つ。
「よし、行こうか」
向き直り声を掛けると、彼女は静かに頷いた。
そうして二人揃って舞台を後にする……ん?
舞台袖へとはける途中ふと足元を見ると、常に光の上を歩いている事に私は気付いた。
……やっぱり、悪戯だったんじゃないか!
舞台裏まで歩いてくると、照明担当の若い女性がこちらへと駆けてきて、にっこりと微笑んだ。
「おつかれさまでした」とその女性は快活そうに頭を下げるが、顔を上げてもその表情は終始悪戯な笑みを浮かべている。
この娘の仕業だな。やれやれ、と内心思いつつ、こちらも「ありがとう」と言い軽く会釈をする。
ロビーに着くまでの間に出会った幾人もの関係者に、私はその都度礼を言う。
そうして気付けばロビーまで歩いてきていた。
セリーヌはそのまま正面出口の方へと歩いていこうとしていたので、私は慌ててそれを引き止める。
「ち、ちょっと待った。そちらからではなく、関係者用の出入口から出よう。こっちの方が馬車まで近い」
「でもわたし、関係者じゃ……」
遠慮する彼女を余所に、いいからいいから、とその手を引いて裏玄関まで案内する。
そこには来た時と同様、支配人が立っていた。先ほどの女性のように一礼すると、「またお待ちしています」と支配人はにこやかに笑って言う。
私もまた会釈をし、今日の操演でお世話になったハンメル劇場を後にした。
外に出てみると辺りはもう真っ暗だった。
街灯が点いてはいるが、この通りは夜になると人通りが少なく閑散としている為、やはり女性一人を歩かせるわけにはいかない。
馬車置き場までやってくると、クラウスは待ち侘びていたかのように首を左右に振り、ブルルルッと鼻を鳴らす。
「クラウス、だいぶ待たせてすまなかったな」
愛馬に声をかけると、馬車の扉を開けて最後部の荷台に鞄を置き、倒れないようにベルトで固定した。セリーヌに向き直りそっと手を差し出すと、馬車をぼーっと見つめているようで、気付いていないみたいだった。
「どうした?」
そう訊ねると、ハッとして首を振る。
「い、いえ、なんでもないです」
慌てふためく彼女の頬が、なんだか少しだけ紅潮している気がするが、この際置いておこう。
改めて手を差し出すと、セリーヌは照れながら、そっと手を重ねた。
意外にも少し荒れた手を取り、馬車の中へと彼女をエスコートし、私は御者席へと座る。
「さて、ところで君の家はどこかな?」
「あ、えっと、ヴァン=クライクです」
「中央、か……都会に住んでるんだな」
「いえ、中央都市でも南の街外れですから……」
「そうか、ではとりあえずヴァン=クライクへ向かおうか」
手綱を握り、クラウスへ合図して馬車を静かに走らせる。
しかしこう東の街中を進んでみると、改めて静かな街だなと感じさせられる。
馬蹄が道路を蹴る音がこれほどまでに響いて聞こえるとは、中央都市とはえらい違いだな。
街灯に照らされた道路と、パカパカと響く蹄鉄の音を聞きながら一人感傷に耽っていると、後部座席から突然声がかかった。
「クリストファーさんって、もしかして貴族の方、ですか?」
「うぇっ!? な、なんで?」
出し抜けなその言葉に驚愕した。あまりにもびっくりして、心臓が規則性を乱し一瞬跳ねたくらいだ。知らぬ間にクラウスはその歩みを止めていた。
……しかも紳士的ではない素っ頓狂な声まで上げる始末。
「なんだか、初めて見た時から思ってたんですけど、物腰っていうか、体から滲み出るオーラっていうか……凄く気品のある感じがしたので。もしかしてって」
「そ、そうかな?」
オーラが出ているかは分からないし知る由も無いが。なかなか鋭い女性だ。さて、どうしたものか。
再びクラウスは蹄鉄を響かせ始めた。
「それにこの馬車も、なんだか豪華な感じがするし……。わたし、一度でいいからこんな馬車に乗ってみたかったんですよ!」
ルームミラーに映る彼女は、無邪気にはしゃいでいる。楽しそうで、嬉しそうで。まるで童話絵本に胸をときめかす女の子のようだった。
なるほど、だからさっき馬車に見惚れていたのか。納得。
「……まあ、あまり公にはしたくないことだけど。君には、話しても良いかな」
「――えっ?」
「いや、話したいんだ。君には、知ってもらいたい」
そう。何故だか分からないが、彼女には自分という存在を知ってもらいたかった。
今まで他人に対して、こんなに開放的な感情を抱いたことはない。
私は人形師で、ドールたちに囲まれて、人々を楽しませて。そうして一人で人生を終えていくものだと思っていた。人と親密な関係にならず、なることもなくだ。
だが彼女にだけは、心が、自分自身を知ってもらいたいと訴えかけてくる。切なげでむず痒い痛みが、心の端を引っ掻いてくるのだ。
そんな思いに背中を押されるようにして、言葉が口をついて出た。
「私は……貴族だ」
「やっぱりそうだったんですね。って、はっ!! わ、わたしみたいな一庶民が、きき、貴族の方に送り届けていた、いただいて、あの、その、ご、ご迷惑ですよね。あの、ごめんなさい!」
貴族と聞いて、舞台で遠慮していた時よりも更に申し訳なさそうに、セリーヌは何度も頭を振って謝る。
「いや、別に畏まらなくてもいいよ。“元”貴族だから」
「えっ。もと?? それってどういう……?」
「もうヴァン=クライクに着くな。今日はもう遅いし、今度、屋敷へ来た時にでも話そうか。でも――――花の香りの絶えない家だった」
それだけ言い気が付くと、もう中央都市の関所の前まで来ていた。
煌々と明かりが漏れている駐在所の中を覗いてみると、グレンが座っているのが見えた。
彼は机の上に頬杖をついて、うとうととして眠たそうだ。
馬車の気配に気付いたのか、グレンは頬を両手で叩き眠気を覚ますと、慌てた様子で外へ飛び出してくる。
「あ、すいません。いま開けますね」
と言い関所の門を開けると、少し憂鬱そうに、「今日夜勤なんですよね」と続けて彼は言う。
お疲れ様と私は労いの言葉を返し、そのまま関門を抜け中央広場を目指した。
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