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ここヴァン=クライクは、今からおよそ六百年ほど前に造られた、他国に比べればまだ歴史も浅い都市だ。
その頃は中央都市と呼ばれるほど大きなものではなく、閑散とした小さな村で、名前も『コルネル』と呼ばれていたそうだ。ちなみにコルネルとは、この国の言葉で『自然溢るる処』という意味だ。
この辺りも、昔は緑の薫り立つ森林が生い茂っていたのだろうか……。
今や蟻が餌に群がるように人口増加の一途を辿る、異種混合の群鳥が大地に絵を描いたような石造りの大地と化したこの街から、誰がかつての姿を想像出来るだろう。
そんな小さな村だったコルネルが、なぜここまでの発展を遂げたのか。
それは、貴族たちがこの村に別荘を建て始めた事に端を発する。
自然の豊かなこの村に癒しを求めに来たのだろう。「良いところだ」という噂は瞬く間に広がっていき、小さな村はやがて憧れが憧れを呼ぶ別荘地となった。
それだけでは止まらず、貴族たちを相手に一儲けしようとする連中がこの村に集まりだし、山は切り拓かれ小さな商業都市となる。
やがて貴族たちは別荘だけでは飽き足らず、こぞって競い合い豪邸や邸宅を次々に建てていった。
そうしていく内に、だんだんと村は拡大していき、いつしか都市計画が始まるようになる。
本国の女王陛下をこの地に呼び、ここを大都市とすることを目標に掲げ、都市周辺に小都市を築き上げていくという大プロジェクトだ。
まず初めに、湖を背にした女王の住まう城を建築するための広大なスペースが確保された。それを中心に、そこから半円状に街は出来上がっていく。
女王の城が完成したのは、中央都市がある程度出来上がってからのことだった。
その頃には既に前女王は亡くなり、新女王が戴冠していた。驚いたことに、当時十四歳の少女だったそうだ。
この少女は前女王の孫娘なのだが、その母親は病に伏せがちであったため、自分の娘に王位継承権を譲り渡したらしい。
それにしても十四歳で女王とは……国政など分からんだろうに。
まあ、そこら辺は周りの老人どもが何かと世話を焼くのだろう。
真新しいお城に住めるとあってか、本国からの移動を、新女王様は二つ返事で了承したみたいだ。
女王の移住を機に、一気に活気付いた中央都市はさらに規模を拡大していく。
その間にもプロジェクトは進行を続け、次のステップへと入っていった。
その内容とは、中央都市の東西南北に小都市を築き、それぞれを幹線道路で繋ぐというものだ。
もちろん、中央都市からもそれぞれを道路で繋げ、行き来が出来るようになる。
そうして計画は徐々に進行し発展していったのだが、途中この計画は頓挫することになる。
現女王から遡ること三代前の女王陛下が、自然を大切にする人であったからだ。
『豊かな森を破壊してまで、動物たちの家々を奪ってまで都市を拡大することはない』
と、都市計画に大反対したことがきっかけとなった。それ以降、計画は保留となっている。
現在北、東、西には小都市があるが、南にだけはない。
そのおかげとあって今現在、私は中央都市郊外のあの森に住んでいられるのだ。
あのまま都市計画が進んでいれば、間違いなく南の森は破壊され動物たちも住処を追われ、でかでかと人工建造物群が誇らしげに聳えていたであろう事は、容易に想像がつくだろう――。
歴史の流れと共に発展してきた都市を眺めながら大通りに馬車を走らせると、やがて中央広場へと差し掛かる。
中央広場はその名の通り、半円状に広がる街の中心。様々なものが溢れかえり、賑わいを見せていた。人であったり馬車であったり、露店であったり。
毎週水曜と土曜には、特産物を扱ったバザーなんかも開かれ、憩いの場だけではなく広い用途に活用されている。
それからここは、西と東の小都市への中継地点にもなっているのだ。
この中央広場を北へ真っ直ぐ進むとバーンシュタイン城がある。
ここからでも城門が確認できるが、広場からはだいぶ離れていて、途中には大きな凱旋門が建っており観光名所の一つとなっている。
北の小都市ノーザリアは、城からさらに北にあるのだが、城の向こう側には湖があり道がないため、ノーザリアへはこの中央広場から西か東へ迂回するしか行く方法はない。
西のアストリアはフォルクス同様、ここから西へ延びる道路を使えば、あとは真っ直ぐに行くだけで楽なのだが――。
都会ならではの騒音のような喧騒に蹄鉄の音を溶け込ませ、馬車は中央広場を抜ける。
そうしてしばらく東へ進むと、とある邸宅が目についた。
鉄製の立派な門扉を構えた、広い庭を持つルネッサンスとゴシック様式を融合させたようなごてごてとした洋館。
「ふん……相変わらずデカイ家だな」
目深に被った帽子の奥から豪邸をチラッと覗くと、なにやらパーティーの装いをした人々の姿が目に映った。私はそれを見なかったことのように視線を戻し、そのまま横を通り過ぎる。
「そうだ、フォルクスに着くまでに話を纏めなければ……」
不快に傾きかけた思考を正位置に戻すように、私は声を上げた。いやな気分を払拭するように頭を軽く振って進行方向を見据える。
脳内をクリアにしたところで、今朝の猫との出会いから数時間が経ち、その間に共に過ごした短い時間の中で思い描いた物語を少しずつ纏め上げていった。
漠然としていたイメージが、徐々に一つの物語として想像の中で形を成していく。
もうだいぶ馬車を走らせてきたが、ようやく中央都市を抜けられる。
二百メートルほど先には、東の小都市フォルクスと、ここヴァン=クライクを繋ぐ関所があり、そこを抜ければあとは一本道。真っ直ぐにひた進めばフォルクスだ。
上着の内ポケットから、懐中時計を取り出すと時刻を読む。時計の針は四時四十五分を指していた。
ここからおよそ二十分くらいで東へは着くから、なんとかハンメル劇場へは間に合いそうだ。
関所の前までやってくると、いつものように守衛の持ち物検査が入る。
私の職業は前もって関所に登録してあるので検査は比較的楽なのだが、それでも中身のチェックは必ずされる。
あまりドールに触れられたくはないので、自分から鞄を開けて中身を見せると、守衛は納得したようにゴーサインを出した。
重く響く鈍い音と共に、関門がゆっくりと引き戸の要領で開かれる。
手綱を引き馬車を進めると、目の前に広がるのはとても幅広い道路だ。
旅の行商人だろうか、明らかに桁違いな大きさの荷馬車を持つキャラバンがこちらへ向かってくる。
相手の御者は麦藁帽を被り、私に向かって帽子を持ち上げ挨拶をした。すれ違いざまに私も挨拶を返したのだが……。
こいつは驚いた。
私の馬車の軽く五倍はあろうかと言う大きさだ。荷車を牽く馬が二頭立てなところを見るとそれも納得できるのだが。そうそうこんなサイズの馬車はお目にかかれない。いったい何を運んでいるのだろうか。少し興味がある。
相手キャラバンと行き交い、サイドミラーで後方を確認すると、その馬車も例外なく関所の前で止まった。やはりあの馬車も検問に引っかかる。まあ当然のことだが……相当時間がかかりそうだな。
――と、そんなことは気にしていられない。私は私で、劇場へと急がねば。
だだっ広い道路をただひたすらに直進する。
背丈の違うそれほど高層でない建造物群がここからでも視認できるが、あれが東の小都市フォルクスだ。
中央都市と各都市を繋ぐ道路は、どれもこれも似たような幅をしているが、これはただ無駄に広くしているわけではないらしい。理由がもちろんある。
まず第一には、女王の生誕記念日には祭りが行われるのだが、各小都市はもちろんのこと、各国から様々な人々が出入りをする。そのために幅広の道路にした。
そして凱旋門記念パレード。これは各小都市から中央都市に向かって、マーチングバンドが演奏しながらいったん中央広場へ集結する。そこから凱旋門を通り、バーンシュタイン城の広大な庭園で大規模な演奏会を行うというものだ。そのためにも道路は広くなければならなかったらしい。
その時の騒音たるや否や、南の森まで響いてくるほどだ。
「ふぅ、頭が痛いよ」
そうこうしている内に、フォルクスの関所はもう目の前だ。
また検問か、と思っていると、顔馴染みの市警が今日の担当だった。
グレンは新米らしくまだ新調したてで、パリッとした濃紺の制服を着ている。そして腰には警棒を携えているという出で立ち。
「あ、クリストファーさん。今日も公演ですか?」
と彼は質問してきたので、「今からハンメルだよ」と私は答える。
すると彼は、「お疲れ様です」と返してきた。
こんな少ない言葉のやり取りだけで、彼の時はいつも簡単に通してもらっている。時間の短縮になってとても助かってはいるが、上官にバレでもしたら彼はきっと怒られるだろうな。……今度からはちゃんと受けようか。
検問を通過すると、いよいよフォルクス市内へと入った。
小都市の中では一番最後に建設され、新しいながらもどこか懐かしいような、郷愁と情緒を感じさせる街だ。
そんなフォルクスは現在進行形で開発中だ。
街のいたる所にまだ足場が組まれており、石工や大工が作業をしている様子が窺える。
まず向かう先は市内中央の広場だ。そこから南へ延びる三叉路を左へ入ってしばらくのところに、会場である劇場がある。
ハンメル劇場は、このフォルクスと共に歩んできたと言っても過言ではないくらい、市内では歴史的建造物であり、ある種の観光名所のようなものにもなっていた。
私はこの劇場からよく手紙で招待を受けるのだが、操演がなかなか市民に評判らしい。
もちろん中央都市や各小都市からも公演の依頼はしょっちゅうくる。
……まあ私のドールたちが人気者になってくれることは、とても喜ばしいことだが……。
そうして石畳の道路を進み、フォルクス中央広場へと差し掛かる。
中央には小さな噴水がある。憩いの場ともなっているのだが、どうやら今日は水が上がっていないようだ。
「なんだ、少し楽しみにしていたのに」
内心がっかりしながら南の三叉路を左へと曲がる。
もうすでにハンメル劇場の看板が見える程ここからは近い。およそあと百メートルくらいだ。
行き交う人々の視線を多少集めながら、やがて馬車は劇場へと到着した。
徐に取り出した懐中時計で時刻を確認する。針は五時二十分を指していた。
どうやら間に合ったみたいだな。準備も入れたら丁度いい時間だ。
関係者用の駐車スペースにクラウスと馬車を繋ぎ止め、私は御者台から降りた。
役者二人の入った鞄を馬車から降ろし、扉を閉めて錠をする。
「クラウス、おとなしく待ってるんだぞ」
そう言い残し、関係者用の出入り口から劇場内へと足を踏み入れた――。
薄暗いとまではいかないが、照明の光量を落としたロビー裏手では一人の男性が待っていた。
「お待ちしておりました」と深々と顔を下げ、満面の笑みを浮かべているのはこの劇場の支配人。
白髪で白い髭を蓄えた初老の支配人は、「どうぞこちらへ」と言うと、毎度のように舞台裏へと案内する。
ここの劇場は少し変わっていて、三つの小劇場からなっている。
それぞれ広さが違い、一番大きなホールは五百名ほど入るのだが、今日は中でも一番小さなホールで行う。演説や小芝居などにも使用されるところで、立見席を含めて百席しかない。
舞台袖からステージに出るとまだ幕は降りており、中央には鞄を置くための荷台が置かれていた。
分厚くて重そうな幕の向こうでは客のざわめきが聞こえる。もうすでに満席になるほどの観客が入っているようだ。
それは空気というか気配でなんとなくだが分かる。
鞄からリリーとラスティの人形を慎重に取り出し台の上に座らせると、私は幕が開けるその時まで瞑想に入った。瞑想することにより集中力を高めると同時に、緊張を少しずつ和らげていくのだ。
公演を行う時はいつもやる。まあ言ってみれば癖のようなものだな。
そうしている内に開演時間を知らせる鐘が、ガランガランと鳴らされた。
少しずつベルベットで織られた葡萄酒色の幕が左右に割り開かれていく。
ステージから見た客席はすべて埋まっており、見上げれば二階の立見席二十席分もすべてに人が立っていた。
とても喜ばしいことだ。
台からドールを降ろし、マリオネットを操るためのコントローラーを操作しながら、三人でステージの中央まで歩いていく。そしてみんな揃って一礼した。
挨拶を済ませ、やがて操演が始まると会場はしんと静まり返り、ステージ上の主役だけにスポットライトが当てられている。
もうこうなったら自分の世界だ。
ほかのことは何も目に入ってこない、聞こえない。
今回の内容は親愛をテーマにしたものだ。とは言っても、人間同士ではない。それに一方的な片思いであり悲恋だ。猫が少女に恋をしたお話。
いささか童話臭くもあり、私にしては珍しく動物主体の話だ。
思えば初めてだったかもしれない――――これから感じる違和感も……。
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