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 息苦しくはないものの、やはり屋敷は人工の建物で外と隔てるためのものだ。その中の匂いと自然の香りとでは、心持ちに大きな差異がある。

 大きく深呼吸した私は、清々しい気持ちで身体を右に向けて歩き出す。

 屋敷の隣にある厩舎まで歩いて行くと、愛馬が鼻を鳴らして首を振っているのが見えた。

 早く外を出歩きたいみたいだ。


「もう少し待ってろよ。あと二、三時間したら行くからな。なあに、すぐさ」


 馬に向かってそう言うと、厩舎に併設されている車庫を開けて中へ入り、馬車の座席に荷物を載せた。

 馬車は真っ黒で、バギーを少しばかり改造した特別製だ。あまり大きくはないが、移動や特に買い物などに重宝している。雨が降ったときに困らぬよう完全箱型になっており、ヴィクトリアやランドーのように御者台と客室とに別れてはいるが、御者台は箱の内側に設置してあるため、私もドールたちも濡れる心配はない。晴れの日にはフードをオープンにすることも出来るため、風を感じながら旅をすることも可能だ。奮発して作ってもらった甲斐があったというもの。


「さて、散歩に行くとするか」


 手入れの行き届いた芝を踏みしめ、正門を出てそのまま道路沿いを歩いていく。

 今日はいつものようにただ散策をするわけではない。夕方に行う操演の内容を考えなくては。

 しばらく並木通りを歩いていると、視線の先に一匹の猫を見つけた。


「ん? あの猫は……」


 灰色の毛をした碧眼のその猫は、間違いなく朝見かけた猫に違いない。

 あちらも伏せをして、時折あくびをしながらこちらをじっと見つめている。


「……あの猫の傍にいれば、何か思いつくかもしれないな」


 ソロソロと、私は警戒心を与えないようにゆっくりと猫に近づいていく。

 目の前で腰を下ろすと、猫もそろりと起き上がりお座りをした。


「……触っても、いいのかな?」


 下からゆっくりと手を近付け顎を撫でてやると、まるで温泉にでも浸かった人間のように猫は目を細め、うっとりとした様子で喉を鳴らした。

 気持ちがいいみたいだ。


「……そういえばこの猫、私の猫ドールになんとなく似ているような気が、しないでもないな」


 今日の役者の一人である猫ドール。名前はラスティと言うのだが、ちなみにオスだ。そのラスティもこのような灰色の毛色で、青い目をしている。モデルにした猫種はロシアンブルー。恐らくこの猫もそうなのだろう。

 まあ、ラスティの方がもう少し利口そうな顔をしてはいるが、この猫に触れていると何故だか、ラスティと戯れているような錯覚に陥る。

 しかし、どうやらこの猫はメスのようだった。

 ――――どのくらいの時間が経っただろうか。

 猫も、そして私も、互いに飽きることなくその場に居座り続け、気付いたら陽が傾き出していた。


「いかん、いま何時だ?」


 上着の内ポケットから懐中時計を取り出すと、針が指し示す時を読む。


「もう四時過ぎてるじゃないか」


 現在時刻は四時三分。

 開演予定時刻は五時三十分。屋敷から今日の会場までは約一時間ほどかかる。もうそろそろ出なくては間に合わないだろう。

 肝心の操演内容はと言うと……。

 長いこと一緒にいて、この猫と触れ合っている内にだんだんと物語が浮かんできていた。


「ありがとう、キミのおかげでなんとかなりそうだよ」


 そう言って猫を正面から見つめ、頭を優しく撫でてやった。少し驚いたような表情をしていたが、首を振って再びこちらを見返す猫。


「よかったら今度、私の屋敷に来るといい。美味しいものをご馳走してやろう」


 猫は首を傾げた――――ような気がした。


「なに、今日のお礼だよ。私の家は分かるだろう?」


 そう訊くと猫は返事をするように一言、「にゃー」と鳴いて林の方へと歩き出した。


「野良なのかな?」


 その姿が視界から消えるまで見送り、私は屋敷へと急いだ。

 こんなに時間が潰れるとは思いもしなかったな。あまり遠くまで出歩かなくて良かったよ。

 門を駆け抜けた私は車庫へと走る。そして馬車に積んだ荷物を確認。


「――鞄が二つ、中身は……大丈夫だな」


 ラスティと少女、ちなみにこの少女はリリーと言う。真っ白いドレスを着た薄幸の少女然とした、私のお気に入りのキャラクターでもある。

 本日の役者二人を確かめ、厩舎の中で今か今かと待ち侘びている様子の愛馬に私は声をかけた。


「クラウス、お待たせ。さあ行こうか!」


 厩舎の扉を開放し、クラウスにハーネスを装着する。そして、ハーネスと馬車を繋いで準備完了だ。

 御者席に腰掛けると手綱を握り締めて上下に振る。クラウスに進行を伝えると、そよ風が樹葉を揺らしさざめく森の中。愛馬は小気味良い蹄鉄の音を石畳の道路に響かせ歩き出した。

 そうして少しばかり馬車を走らせると、並木通りに差しかかかる。

 先ほど猫と戯れていた場所に目を移すと、あのロシアンブルーが座ってこちらを見ていた。


「見送りに来てくれたのか、ありがとう」


 車内から猫に礼を言うと、そのまま並木道を走り去る。屋敷から森の出口まではそう離れていなく、道もしっかりと舗装されている。

 春らしく若葉に溢れる木々を眺めながら、道なりに馬車を進ませる。やがて立ち並ぶ樹木の合間からスッと森の出口を抜けた。

 今日の舞台であるハンメル劇場は、ここから少し先に見える中央都市ヴァン=クライクから、さらに東に位置する小都市にある。建築されてからあまり年数が経っていない比較的新しい劇場で、小さいながらも市民たちの娯楽の場の一つとなっていた。


「クライクか……」


 呟いた口から溜息が漏れる。

 本当ならばここは避けて通りたいのだが、フォルクスへ行く一番の近道は、ヴァン=クライクから延びる道路を使う他ないので仕方がない。

 まばらに点在する家々や花屋を横目に、森を抜けてからおよそ十五分。南から伸びる一本道をひた進み、気付けばもう中央都市に入りかけていた。

 私は急いで御者台に常備している、変装用のシルクハットを目深に被り、伊達眼鏡を装着し顔を隠す。

 中央都市に住まう人々は主に、貴族階級の者たちで大半を占めている。誰かが覚えていないとも限らないため、故に、変装は欠かすことが出来ないのだ。

 装飾過多な印象を受ける、芸術性に富んだ背の高い建造物群が軒を連ねている中、ヴァン=クライクの中央。ここからでも見えるあの巨大な尖塔の下に、女王陛下の居城であるバーンシュタイン城が建っている。

 私は小さい頃に何度か城に“お呼ばれ”で行ったことがあるが、まさに豪華絢爛という言葉そのもので、豪勢で煌びやかな内装だったのを今でも記憶している。


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