第五幕

 黒光りする鎧のようなもの。それが壁でなくうろこだと分かるにはしばし時間がかかった。

巨大なそれはつるつるしていて、不快な圧迫感があった。

戦わなきゃいけない。でも、どうやって―――?

足からはすっかり力が抜けて立ち上がることさえできない。

大切な人を殺したあの化け物を……倒したいのに。

「動いて……動いてよ!!」

震える手をもう片方の手で押さえつけて。

「なんで……っ!!」

ピクリとも動かない足を恨めしく見た。

ここまで弱い自分の精神こころが恨めしかった。


『異名は力を現し、人の子には強大すぎる力故、無意識に封じてしまうものなのじゃ。本気で協力しようとするか、融合するか、接触を図ろうとすればおのずと封は解ける』


ふいに、陵の言葉が頭によぎった。

(黒蝶……この異名なまえが飾りでないなら、私に応えて)

何度も、何度も心の中に呼びかける。


『我は――ツァイト……』


 歌声とともに聞こえてきた誰かの声。

瞬間、私は闇に飲まれていた。

暗闇なのに自分ははっきり見えて、目の前にいる女の人もはっきり見えた。

不思議な感覚だった。

「あなたは――?」

自分の声が闇に反響した。

オレンジブラウンの長い髪をした女の人は首をちょこん、と傾げた。

「我はツァイト。ウタを操る自我を持った力」

ツァイトの紅を引いた唇の端が歪んだ。

「そなたに資格はあるのか……?我に食われに来ただけになるぞ……?」

妖艶な雰囲気をまとったツァイトの名乗った女性はおかしそうに笑う。

「ここにいる時点で覚悟は決まっているつもりです。

私に、あなたの力をください」

彼女は私をじっと見て、やがてニタリと笑った。

やけに綺麗な顔立ちでもあるから、女鬼のようで怖くなる笑い方だった。

「では、契約だ」

「契約、ですか?」

一体なんだろう。

「我はそなたに力を貸そう。だが、我がもらう対価は依代だ。新たな依代が生まれるまで、そなたは転生することはできん。よいな?」

迷うことなくうなずくと、彼女は満足そうににっこり微笑ほほえんだ。


『さすが、れいの遺した子だけある……』


 深い水底からすくいあげられるような感覚。

闇の中から現実へと戻ってきたと理解できたのは一瞬だった。

そっと目を開くと、目の前には紫髪の少女が着物の裾をつかみながらニコニコ笑っていた。

「妖力は前よりずいぶん上がったようじゃなぁ」

満足そうにうなずいて私の手を取る紫髪の少女。

――みささぎ

意味が分からずきょとんとする私を見て今度はけらけらと陵は笑った。

「青龍の異名におき、我陵は貴女に力を預けよう」

彼女の金色の髪飾りがしゃん、と鳴ったと認識できたころには私は空から町を見下ろしていた。


『私……まさかあなたの目線で見ているの?』


『そうじゃよ?もともとそなたには資質があった。ここまで同調率が良いとは思いもしなかったが……』


 意思とは関係なく、体が勝手に動いた。

口の中に硬い感触がしたと思ったら、それは黒い鱗だった。


『玄武よ……わらわたちは主を違え、そなたは何に対しそんな多大な負の感情を持っておる?』


亀の尾――蛇の部分を見事食いちぎった陵がふと呟く。

黒い瘴気を発生させるは完全に自我を持っておらず、陵に答える様子もなかった。


『ほれ……奴の中心にヒトの子が見えるであろう?それが奴の心臓部じゃ。今のわらわの心臓部がそなたであるように』


よく目を凝らすと、巨大な亀はわずかに透けて見え、その中には研究所でシメーレを引き連れて居た女の子がいた。

南雲鈴、彼女だった。


『でも……瘴気が邪魔で近付けないわよ』


雪野さんが、土や建物が瘴気に飲まれて分解されていった姿を見てしまったのだ。

現世の生物ではないとはいえ、陵も例外ではないだろう。


『ふむ、よく分かっておるようじゃなぁ』


大気の中で泳ぐのをいったん止め、青龍は唸り声を上げた。

私にはわからない声。

ただ、その唸り声に反応して大きな何かが動いたのがなんとなく自分の第六感で感じた。

次の瞬間。

すさまじい音を響かせ、水が噴水のように地面から何か所も噴き出した。


『何……!?』


いや、。今は陵とある程度まで同調できるから、ここの土地神が激怒している姿が見えた。

大量の水は黒色の亀へと向かい、そして瘴気に分解された。


『四神の一柱ならば、人の子なんぞに操られるなどと……!』


聞いたこともない声が響き、天空へと舞い上がった声の主――

炎に包まれた鳥が私の隣でホバリングしていた。


『ヤッホー!黒蝶ちゃん!助けにきたよー!』


――朱雀さん!?

正直、驚いたような、驚かないような………

青龍は口角を上げ、一声唸ると朱雀も応えた。

吐き出された炎は玄武へと伸びていき、そして――

――爆発した。


爆音が耳をつんざき、爆炎が身をつつみ、爆風が意識もろとも何もかもを吹っ飛ばした。


ツァイトの歌声が聞こえたのは、空耳だったのかな。

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