第二幕
多少の不便を感じつつも、順調に日は進んでいった。
気付いたことと言えばここは国の南方の都市であり、現在隔離されている状態だそうだ。
……ノアにとっては正直関係がないわけではないが、ここが自国という感覚も怪しいからあくび一つで済ます。
「ふあぁ……!眠い……」
「昨日遅くまでおかしなモノを書いていていたせいじゃ。自業自得というものじゃよ」
「そうね……懐かしいものがやっと手に入ったことにテンションが上がりすぎたせいだとはわかっているわよ……」
悪魔を召還してたこともあり、御札を書く習慣がついているのだ。
昨日は陣を札に書き込んでいたので、軽い睡眠不足で眠い。
しかもこの世界では、護身用として銃の所持が市民に認められているらしく、あちこちに銃専門店が出店されていた。
長く愛されてきた伝統的ともいえる形の銃を一丁購入し、今日は非番なので家に帰るところだった。
(6,500イェン……お小遣いから引いたけど。結構痛いな……)
今ではすっかり慣れたファンタジックな大通りを抜けて人通りの少ない道へと歩いていく。人通りの多い道では酔うし、目的地へショートカットできるというメリットもあった。だが、治安が壊滅的なこの都市では、それが命取りともなる選択になることがある。
――今日は警戒を怠っていた。
言い訳などむなしいだけで、人生など後悔ばかり、とかもうシャレにもならない。
後ろからの強い衝撃を受け薄れていく意識の中で少なからず
意識が目覚めるとまず、周りの確認。見渡そうとして体に力を入れるが、ノアの身体は動く気配すらない。ピクリとも、だ。
目をつむり、音を集める。
とりあえず呼吸は浅いがまあ、正常ってことで。心拍数も遅い気がするが精神的配慮として同じく正常と判断。
(とりあえず、今は生きている……)
何度か毒を盛られた身としてはたぶんこれは遅効性の毒だろう、と判断した。
前の人生では恨みを買うことが多く、よく殺されかけたものだ。
(前の人生って……なんだっけ……?)
何か、覚えておかなくてはいけなかったものを、確実に失っていく感覚がした。
覚えていたのに、今さっきまで覚えていたのに。
夢から覚めて何を見ていたか忘れたような、
薄れる。褪せていく。
再び意識を取り戻す。
壁はコンクリート、上は空が見える。地面はアスファルトで痛い。かなり狭い路地裏のようで表通りが見えるが、あちらからは見にくいらしく誰も気づかない。
推測を立ててみる。考えられる未来として、
一 誰かが発見して助けてくれる。
二 毒が回って死ぬ。
三 餓死。
今一番可能性が高いのが、二だ。
現状毒がまわって死ぬまでに誰かが見つけてくれる可能性と、万が一毒で死ななかったとしても人間三、四日何も食べずとも生きられる。
(あ、今冬だから凍死もあり得るかも……)
四 凍死
(いやいやいや待った、待った!)
着実に死へと向かいつつあった考えを振り払った。
自分は昔から往生際が悪いと思っている。
おとなしく死んでやる気にはならなかった。
さて、どうするか……
不意に眠気が襲ってきた。起きていようとするが、瞼は重く下がってくる。
眠い眠くない眠い眠くない眠い眠くない眠い眠くない眠い眠くない眠い眠くない……
――眠い!
かなり長い間葛藤したあげく意識は手を引かれるように離れて行って、いつの間にか気づかないうちに暗闇へと飲まれていった。
――はずだった。
わずかな時間。眠りかけていると、何かヤバイモノの気配が徐々に近づいてきていることがわかる。
引きずるような音、何か、本能的に拒絶するもの。
コンポストのにおい。それよりももっとツンと鼻につくようなにおいだ。
生ごみよりもまろやかなにおいで、どんどんどんどん近づいてくる。
音と、異臭。
それは、
「……!」
視界真上にいることがわかった。
瞬間、視界下方から銀色の直線が見えた。
悲鳴というには生物的ではない騒音。わずかに手足の重みが軽減された感覚があり、動かせると踏んで飛び起きた。
目の前には、ヤバイモノの正体がいた。
人の形をした、湯気を体中から常に放出し続けている。
皮ふはなく、薄い粘膜に覆われた両生類に似た化け物だった。
刀が深く突き刺さっており、ぴくぴく痙攣した後に炎に似たものが発生し、それは灰のようになって崩れ落ちた。
「やっほー、黒蝶ちゃん。こんなところで何しているの?」
聞いたことのある明るい声。この声は――
「朱雀……さん?」
赤髪が特徴的で、たぶんおろしたら腰当たりまでありそうな長髪を揺らしながら彼女はノアに向かって軽い足取りで向かってきた。
「いや~、災難だったね~!大丈夫?珍しいね~黒蝶ちゃんがやられるなんて~?」
心配しているときも不敵な笑みを絶やさない朱雀さんはある意味私にとって頼もしく思える。
「最近シメーレが大量発生して、ホント迷惑な話だよね。おかげで炎の部隊は別名シメーレ駆除隊、とか呼ばれたりしてさぁ~~!あー迷惑極まりない!」
「シメーレ……?」
どこかで聞いたことのある名前。もっと、どこか別の場所で……
どこで聞いた……?
「黒蝶ちゃん?おーい!もどってこぉい」
「へぁ?は、はい?」
私はどこかぼうっとしていたらしく、朱雀さんが目の前で手を振って心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
私と目が合うと、朱雀さんはくすりと笑い、安心したようにはにかんだ。
「この後予定ある?」
「ないですよ」
「じゃあちょっと、ついてきてくれる?」
クルリと背を向けるとそのまま朱雀さんは歩き出した。
私は灰となった化け物をちらりと見ようとした。
しかし、一瞬。
オレンジブラウンの髪が暗闇に浮かびあがった。
驚いて振り返ったが、まばたきするほどの一瞬でそこにいたと思われる人物はどこかへと消えてしまっていた。
あのひとは……一体……?
気付いたら朱雀さんは思ったよりも遠くに行ってしまっていて、そっちを追いかけることにした。
「これから行くところはね、アインザーメ・インゼル、そこの研究所に用があるんだけど……いいかな?」
しばらく大通りを歩いていたとき、不意に朱雀さんは口を開き、こう言った。
「……?べつにいいですけど?」
アインザーメ・インゼルは南方都市の中の中心地区のことを指す。
そこの研究所と言えば、南方都市中心部にある中央塔の中に設立された場所。公共機関が中央塔そのものだから、役所や都市警察、病院や図書館とかが各フロアに完備されていることが南方都市の有名どころともいえる。
「本当!?ありがとう!助かるよ~!」
ぱあっと朱雀さんは顔を輝かせると、私の手を引いて歩く速度を速めた。
連れられた場所は駅。
ほとんど人がいない駅の中で彼女が合流した人達は、“炎の部隊”だった。
「なんで黒蝶さんがいるんですか!?隊長!?」
用事がある、と言われて彼女の部隊がからんでこないことはないと思っていたが、彼らからしたら私は思わぬ乱入者だろう。
皆、動揺している様子がうかがえた。
しかも部隊の幹部連中+αとなると、さすがにこれがやばそうな案件である臭いがぷんぷんする。
「黒蝶さん、これから行くところはもしかしたら
職業上、危険は伴う。当たり前だ、と言うようにうなずくと、ほっと息をついたのは“炎の部隊”のメンバーだった。
シメーレ、と言ったか……さっきの人型の化け物もそうなのだろう。
いかんせん記憶があいまいだ。
これは……なんなんだ?
私は……一体何を忘れてしまったのだろうか?
出発した汽車の揺れに身を任せ、私は眠りについた。
「黒蝶さん!つきますよ!起きてください!」
ゆっさゆっさと誰かに揺すられ、夢と現実とを行き来していた意識は自然と現実に戻されるわけで―――
「おきている、起きているから」
薄目を開けて私を揺する人間を見ると、炎の部隊の中でも特に真面目な隊員だった。
気心知れた仲間で、割とよく飲みにも行く友人だ。
「
「黒蝶さんには必要ないでしょ?」
笑顔でお互い軽口を叩くのが最近の私たちの挨拶みたいなものになってきているが、まあ置いておく。
「それで?どういう経緯で任務に飛び入り参加したわけですか?」
「それは―――」
「アインザーメ・インゼル――……アインザーメ・インゼル――…ご乗車、ありがとうございましたァ―――」
列車を降り、代金を払ってから話し始める。
たまたま非番で散策していたら何者かに襲われ、化け物に襲われかけたところで朱雀さんに助けられたことを話した。
人通りの少ない、ほとんど皆無の中、
いつの間にか私たちの目の前には少女が一人、立ちはだかっていた。
「
少女は異国語で何かしら呟いていた。
少女の肩までのびた白髪が、風に揺れた。
なぜかその少女だけ世界から切り取ってしまったような、そんな違和感。
「“私の名前はマリーナ”って言ったのよ。自分を殺す相手の名前くらい、覚えておいたら?」
いまいましそうに舌打ちすると、マリーナと名乗った少女は袋を取り出した。
「そなたを迎える天使が吹きならす 出でよ ブルグマンシア!」
マリーナは袋から種のような丸い粒を一つ取り出し、それを手で握り潰した。
潰され落ちた破片からあり得ないスピードで植物が伸びてくる。
「ブルグマンシア……エンジェルトランペットか!」
植物図鑑で昔みたことがあった。ラッパのような花をつける、毒性のある植物。
「アトロピン、ヒヨスチアミン、スコピラミンという毒素を持つが…………おかしいと思いません?」
ツルをよけながら御船が近づいて私にささやいた。
「どういうこと?」
「エンジェルトランペット自体、そんな致死させるほどの毒はありませんよ。あるのは幻覚作用とか、せいぜい聴覚障害。不安定な精神状態に陥れるのに使いますからね」
「……それも厄介だけどね……」
植物はまるで生き物のように成長していき、動物を捕らえようとズルズル地面を這う。
多分、もうそろそろ追加攻撃を仕掛けてくるはずだ。
そう思った時だ。
足元からアスファルトを突き破るようにして出てきた。
雫型の葉に、小さな緑色の植物。
たまたま通りがかった烏がその植物にからめとられると、何か熱いものに触ったように苦しみ悶えていた。
「これは……最悪だ……」
「……御船?」
「ギンピ-ギンピですよ。棘に毒があり、触ると“酸をスプレーされたような”痛みを伴いますから。絶対に触らないでくださいね!」
そう言うと御船は目をつぶり、集中し始めた。
サポートのために銃で応戦しつつも、切れた場所からまた伸びてくる。
他の隊員はどうしているかと周りを見渡した。
朱雀さんを含む五人はよけたり、刀剣を使い植物を薙いだりしていた。
徐々にそれぞれ退避し、相手の出方を様子見るようだった。
「はらえ魔の者その毒を 我がこの手で焼きつくさん!」
呪文を唱え、手を植物に向かって薙いだ。
手を触れた場所から炎が広がり、たちまち危険な毒草は灰へと姿を変えてゆく。
「退避!」
朱雀さんの声が響き、私は御船を抱え走った。
あの白髪の少女がどうなったかはわからない。
御船の炎に焼かれたか、はたまた植物の残骸の中にいないと分かり怒っているか……
じゃり、と砕けたアスファルトと灰だらけの地面を踏む、
白髪の少女が立っていた。
彼女は舌打ちをし、灰を蹴る。
「ああもう!なんでこううまくいかないのかな!?殺さなきゃ……ノアを……破壊……しなきゃいけないのに……!」
頭を抱え、灰を蹴り、ぶるぶると震えながら八つ当たりする姿は、まるで何かに怯えるようにも見える。
「っは……!!はぁ……!!」
いきぎれしながらも、少女のいらだちは収まることはない。
後ろから近づく異臭と引きずる音、それすらも彼女のカンに触った。
振り返ると皮膚のない、薄い粘膜で覆われた人型の化け物がぞろぞろと近づいてくる。
白い湯気を噴出させ、足をまだ使うことができないから腕のみで移動をする。
食性は人間。……それがこの都市で大量発生したシメーレと言われる化け物の生まれたての姿だった。
「役立たずが……気持ち悪いんだよ……!!」
袋から粒をひとつかみ取り出し、彼女はそれらに向かってまき散らす。
植物が粒から生え、成長した茎がシメーレを道のわきへと薙ぎ払い、建物にたたきつけた。
「ノアを……破壊しなければいけないのよ……!」
目の前に現れたものをすべて排除しながら、彼女は道の真ん中を進んだ。
――中央にそびえる塔を目指して。
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