幸福追求券

ネロヴィア (Nero Bianco)

幸福追求券

 【おめでとうございます、貴方様はドナーNo.503適合と認められました。】


 今朝ポストを開くと国家保障省からの一通の手紙が届いていた。目立つ緑の表紙に私の住所と親展の判子が印字されている。中を開くと幾つかの書面と共に1枚のチケットが出てきた。新-臓器移植支援法の制定から3年が経過したある日の事だった。


私はその文書の指示通りに市役所へと向かった。到着した受付で例の表紙を見せると係員の女性は小さく頷いてから最も奥にある一室へと私を案内してくれた。

そこにはまた別の職員がいたが、胸に付けたプレートにはこの市の名前ではなく、国家保障省のマークと〈中村 祐也〉の名前がある。どうやら彼が私の担当らしい。


 「本日は御出で頂き誠に有難うございます。」非常に丁寧な挨拶で深々とお辞儀をすると神妙な面持ちでパンフレットと薄っぺらい誓約書を取り出した。これ一枚で今後が大きく左右されると思うとなんだか不思議な心地がする。


 「では、既にご存知かと思いますが、改めて説明させて頂きます。」


 「現在わが国ではドナーが非常に不足しております、ですが反面その為なら数千万から数億の支払いも厭わないという方も多いのです。ここまではお分かりですね?」


 『はい。』


 「今件での対象は貴方と同じ25歳の男性です。先天性の心臓疾患を抱えておりましたが、つい昨日に発作症状が現れました。名前は〈沖田 良治〉国内有数の財閥である沖田財閥の御曹司で、国政にも大きく関わっておられるお方です。」


 「単刀直入に申し上げます。期限までは3日とその対価には5億が用意されています。この条件でサインを行いますか?」


『私は…。3日後にどうなるのでしょうか…?』


 掌にじわりじわりと汗がにじんだ、秋空にも関わらず体温は天井知らずに上昇して心拍はかつて無いほどの速度で鼓動している。いかに集中して冷静で居ようとしても、この現実の前では理性などこれっぽちも働かなかった。


 「期限になりますと、すぐさま医療チームの元で移植手術が行われます。どうなろうとそれ以上貴方が延命することは不可能です。ですがその代わりにこれだけの費用が国から支払われます。生涯年収が1億行けば良いと言われる世の中ですから、5億あれば≪寿命まで生きるのと同じだけの総幸福量を得られる≫との試算結果が…。」


 『要は本来の寿命で得られる筈の幸せをこれからのたった3日に濃縮する…。』


 「その通り、他にも専門チケットをこちらから支給いたしますので大概の事は好きに出来ます。例えば超有名レストランでも順番待ちをせずに食事が出来ますし、その気になれば豪邸を買ってメイドや侍女を侍らせる事だって思いのままです。」


 『…。』


 「貴方には拒否権もあります。これは当然の権利ですが世の中にはこのチケットを人生最高のチャンスとして受け取られた方も多数いらっしゃいます。その方々は皆とても幸せそうな最期を送られましたよ。」


 「このまま悩んでいても結構ですが、今この瞬間にも期限は刻々と迫っております。私共はそれでもかまいませんが、結局割りを食うのはそちらですよ。」

 

 『…。わかりました、その条件に合意します。』


 手元のペンで誓約書に名前と拇印を押した、すると彼は懐から1枚のチケットを取り出した。それは残り数十年分の命がこの紙切れ1枚に変わった瞬間でもあった。

底辺を這いずり回る生活から一転しての大逆転、そういえば聞こえは良いだろうが実態はそんなに綺麗な話ではなかった。

彼に促されて家に帰る途中にふと幼馴染の家が目に入る、小さい頃は一緒にバカやってたあいつも今では大企業の社員として働いている。私が何時間もバイトしてやっと得られる金額をたった数分でモノにしてしまう、それはあこがれる反面恐怖すら覚えた。だが今ではそれもすっかり切れ端に思えるほどの大金と自由が手に入ったのだ。

今更になってこれが人生最高のチャンスと言った人たちの気持ちが少しだけ解ったような気がした。


 自室に戻ってまず目についたのは十数個の大型のジュラルミンケースの山だった。どれを開いても中身は札束ばかりが整然と並び、やっとのことで持ち上げられる程の重さに心底驚いた。だが実際の所この山を見ても不思議な事に何の欲望も湧いて来なかった。寧ろ、起きて飯を食って寝るといったただそれだけの日常が恐ろしいほどに貴重で価値ある物に思えてならなかった。


 結局私は5億を家族と友人に少額づつ分配し、残りを全て国内の寄付に回してしまう事にした。死ぬ前に偽善者でありたかったという思いも無きにしも非ずだが、それ以前に自分にこれだけの価値などあまりにも不釣り合いで、それすらも自己嫌悪の元凶として精神を蝕んでいったのだから。


 私は猶予の殆どを寝て過ごした、誰しもが勿体ないとか、その選択は間違っていると何度も何度も言ってきたがそんなものには耳を貸す気にもなれなかった。いいじゃないか、こいつは私の人生だ。死ねば大金すらも無意味なのだから。

いつものボロアパートの扉からノックをする音が聞こえてくる。

私はただ一言寝床で目を瞑ったまま答えた。 「どうぞ。」


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