第18話 再会

本屋が好きだ。きっと、好きな場所は?と聞かれたら本屋と即座に答えるし、ツイッターなるものを始めたら、位置情報にふざけて生息地、本屋と書いてしまいそうだ。

紙とインクに満たされた屋内でゆったりと静かな時間を過ごしつつ、あてもなく、目当ての本を探し続ける。

大型店舗なら、その品ぞろえに胸を震わせて、アリスのようにうろうろと、自ら迷いに行く。小さな個人店舗というのもなかなか乙で、その店ごとに、本の品ぞろえや傾向が違い、それらを比べつつ、見て回るのも非常に面白い。時折立ち読みをして、気になってレジに向かってしまう。

こんな、何気ない行動がとても好きで、善行は本屋に来るたびに、無駄な時間を過ごしてしまう。

「新刊が出てる……!買わなきゃ。ああでも、こっちの本も面白そうだ」

そんな善行は現在、近所の大型書店で小説を見ていた。本来の目的である、参考書を買うという事を忘れて、だ。

受験勉強に役立ちそうな参考書をネットで見つけたため、近所の本屋にないかと探しに来たものの、寄り道をして、本来の目的を忘れてしまうのは仕方のないことだろうか。

すっかり参考書を忘れて、片手に小説数冊を抱えていた時、善行は冷や汗を垂らした。

「参考書、買いに来たんだった……」

これだから嫌なのだ、本屋は。何処を見ても魅力的で、尚且つ人を誘惑することを惜しまない。住めるものなら住んでしまいたい。いっそ本に埋もれてそのまま一生を過ごしたい。

そんなことを考えつつ、善行は参考書のコーナーに足を運んだ。

ずらりと並ぶ、頭痛を誘うような内容の文字列に、ネットで見つけたタイトルと照らし合わせて、視線を動かす。しかし、何度往復しても、目当てのタイトルは見つからず、善行は肩を落とした。

「可笑しいな。結構有名な参考書みたいなんだけど……」

在庫が紛れている可能性もある。一度店員に聞いてみた方がいいかもしれない。

そう思うと、一度参考書のコーナーから離れて、右手にそびえる、漫画のコーナーに移動する。前方に背の高い、エプロンを着た男性を見つけて、店員だと悟ると、すみません、と声をかける。

声をかけられた店員は、一瞬だけ肩をびくりと震わせると、水色のバインダーに紙を挟んで、向き直った。

「はい、何かお探しでしょうか」

「このタイトルの参考書を、探してほしい……んですが、」

途中まで言いかけた善行は、その後口をつぐむ。

何故なら、男性に見覚えがあったからだ。

いくら冷房が効いていて涼しいとはいえ、指まですっぽりと覆うような長袖に、無造作に伸ばした長い髪を後ろに一くくりにした大雑把な身なり。

小さい目を強調するかのような、顔を覆うマスク。この異様な人物を、善行は以前にも見ている。

「……貴方は」

男性店員は小さな声で叫ぶように言うと、客の目の前だというのに、慌てて踵を返して、逃げ始める。

その後ろ姿は、やはり数日前に見たものと同じ。

「待ってくださいッ!」

間違いない。夏祭りの日、千秋の持つ悪魔の書を見て、怯えた反応を示した男だ。

肌を一切見せる事のない異質さに加えて、引きつった目元。忘れるはずがない。

どうやら相手も鮮明に覚えているらしく、足早に店の中をぐるぐると回る。このままバックヤードにでも入られたら、客である善行は捕まえられない。あそこまで露骨に怯え、何もしていないのに逃げるということは、やはり悪魔の書について何か知っているとみていい。いくら対抗策が見つかったとはいえ、契約は完全に切れていない今、僅かな情報でも欲しいのは当然のことだ。

善行は大好きな本屋で走るという初めての経験をして、ようやく店員の腕を掴むことが出来た。

「……ッ、放してください」

「嫌です。夏祭りの日、あの本を見て、貴方は怯えていた。そして今も、僕を見て怯えている。どうしてですか」

「知りません。何のことですか」

「知らないなら、僕を見て逃げたりしないはずだ」

「もういいでしょう。迷惑ですから、放してください。仕事の邪魔です」

「放しません。あの本について、知っていることがあるなら教えてください。お願いします」

「嫌です。僕はもう……あれに関わりたくない」

言い切ると、店員は顔を俯かせて、黙り込んだ。悪あがきをするように、掴んだ手に力を出して放れようとしてはいるが、そこは善行の根性で抑え込む。そもそも、こんなもやしみたいな身体では出せる力もたかが知れていた。

「……参考書の場所、教えてください。探している本があるんです」

いきなりそんなことを言いだす善行に、男は唯一見える目を見開き、驚いてみせた。いきなりなぜそんなことを、と言いたげだ。善行は証明するように、掴んだ手を放して、メモを見せる。

「僕は今日、お客として来ています。だから、それくらいは、いいでしょう?」

「…………ご案内します」

ちらりと見た名札には、梶、と書いてあった。どこかで聞いたことのある名前だ。心中で、梶さん、と呟くと、善行は探している参考書のタイトルを見せて、案内をしてもらう。

だが、そこで素直に従う善行ではない。お節介男の、真のしぶとさを見せてやる!

「どうして悪魔の書を知っているんですか?契約したんですか?」

「……」

「怯えているってことは、過去に何かあったんですよね?」

「契約したんだとしたら、何を願ったんですか」

それはもう、ねちっこい記者のように質問攻めにした。おかげで覗き込んだ顔は歪められ、明らかに不機嫌面だった。参考書の話は何処へ。いきなり話を変えたのは、気を抜かせてうっかり口を滑らすタイミングを作るためか。梶はマスク越しに舌打ちすると、参考書のコーナーで目当ての本をものの数秒で探し出し、乱暴に善行に手渡した。客に対してなんだその態度は!と善行は睨んだが、自業自得だろう。営業妨害になりかねないくらい、しつこく付きまとっているのだから。

「これでいいでしょう。では、失礼します」

「いやいやいや、そんなわけないでしょう」

そそくさと仕事に戻ろうとする梶の肩を掴んで、踏みとどまらせる。もやしのような身体は、決して男らしくない身体を持つ善行にも、簡単に引き留められた。

「他に何か用が?」

「ええ、もちろん。あの本について、何か知っているのなら、洗いざらい話してもらいます」

「嫌だと言っているでしょう」

「では付きまといますよ。お客に対して乱暴に本を寄こしたこと、クレームつけて店長に言ってやりましょうか」

なんともあくどいこの方法は、以前聡に聞いたのだ。世の中にはそうやって脅しをつける客もいるらしい。店員に脅しをつけて要求することとはなんぞやと思ったが、なるほど案外あるものだ。今となっては腹黒男、聡に大感謝。

「……逆に聞きますけど。どうしてそこまでして話を聞きたいんですか。……貴方は、契約者ではないんですよね?」

「助けたいんです。契約した、あの子の事を」

「偽善者、ですか」

「そんなところです。偽善と言われたって構わない。僕は、お節介だから。困っている人が居たら、どうしても手を差し伸べたくなる」

かつて悪魔と契約しようとした時の、妹の姿は、今でも鮮明に思い出せる。泣き叫んで、どうにもならない病に絶望して。生きたいと、ただ漏らした。花のように美しく咲いて散ることなんて、望まない。もがいて、もがいて、苦しみながらも、生きていたい。小さな幸せを噛み締めたい。

年齢に似つかわしくない言葉で、駄々をこねた結花を、善行は怒鳴った。だからと言って、悪魔と契約していい理由にはならない。だったら、病と正面から向き直って、苦しめ。お前の言葉は、悪魔と契約するのではなく、病と向き直ったとき、現実になる、と。

渋々諦めた時の、結花。今を、苦しみながら、何とか病と向き直った、大切な妹。

そして、悪魔と契約して、人生を奪われてしまっていた千秋。

結花も一歩間違えれば、ああなっていたかもしれない。

そう思うと、ゾッとして、だからこそ、千秋は放っておけない。ただ、平凡に暮らしてほしい。

それだけだ。

「…………分かりました」

悲痛な顔色を浮かべたのが効いたのか、梶は固い声で頷くと、整然と並ぶ本の背表紙に視線を向けた。

「まだ仕事があるので、今は出来ません。だから、向かいにある喫茶店で、お話します。五時半に、そちらに向かいますから」

善行は、その言葉を聞いて、飛び跳ねるほど嬉しくなった。まだよく分かっていないが、あの本について知っている人から、話を聞ける。

それは、大きな前進の予兆だった。

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