第16話 ひとときの休息
校内一問題児と謳われている千秋は、最近、生徒会長の荒井善行にべったりだ。
そんな噂がまことしやかに囁かれているのは、夏休み真っただ中の八月上旬、職員室であった。
教師たちは、これであの正義感の強い荒井の影響を受けて、彼女の行動が収まるのならそれに越したことはない、と語る。同時に、停学処分の身に関わらず、こっそり学校に居るのを見て見ぬふりをしていることを、肯定していたが、あえてそれには触れなかった。
結局、触らぬ神に祟りなし。千秋ほどの問題児が、学校に来て、何事もなく帰っていくのなら、教師が触れて問題を起こされるより幾分マシというものだ。
ということで、今朝も何やら、荒井が生徒会室に引きこもって勉強をしているようだが、その隣に女生徒が居ることを教師たちは知っている。
しかしまあ。そこはなんだ。
「ま、好きにやってくれってな」
問題さえ起こさなきゃ、それでいいのだ。
何度も言うが、善行は受験生だ。割と偏差値の高い大学を目指しているため、この時期はとにかくかきいれ時で、だからこそ、空いた時間は全てを勉強に費やしている。生徒会の仕事も全てが終わり、しばらく何もやることがないため、彼は一番落ち着ける生徒会室に足を運ぶと、黙々と受験に向けてひたすら頭に叩き込んでいた。
そろそろ太陽が高く昇る頃、その陽に当たって、隣で冷房完備に緩やかな温かさに包まれて寝てしまいそうになっているのは千秋だ。彼が黙々と勉強している傍ら、千秋は出された大量の宿題を片付けるために、ペンを握っていた。宿題が終わったら停学処分中のため、反省文も書かなければならない。やることは山積みだというのに、どうにもじっと座っているのが苦手で、すぐに眠くなってしまう。
うとうと、うとうと。
そんな擬音がついてしまうくらいには、千秋は首を振って、目を閉じかけていた。このままだと寝落ちしてしまう。起きなければ。しかし目の前に連なった文章たちは、なぜか安眠を誘ってくる。あらら、おかしいな。
そうしてようやく意識を手放しかけた時。
ふと、頭に何かが触れた気がした。
温かいそれが、人の手だと知ったとき、千秋は自然とそれに身を預ける。ゆったりと撫でられるその感触は心地よくて、いつまでもされていたい。だけど、これはいったい誰の手だろう。ごつごつしていて、だけど妙に安心感があって。私を撫でてくれている、身近な人。
それって。
夢うつつだった千秋は、ハッと目を開けるとすぐさま頭をあげて隣の善行に視線を向けた。そして、宙に浮いたままの彼の手を見て、悲鳴を上げた。
「ああーー!?」
善行に、頭を撫でられていた。その事実に、千秋は自然と顔が真っ赤になり、ふい、と背中を向けた。恥ずかしくて、彼の顔をまともに見ていられない。
「あ、ごめん。嫌だった?なんだか眠たそうだったから」
嫌だったか、って?そんなことはない。むしろずっとされていたかったくらいだ。嬉しいかと問われれば、素直に嬉しいと答えよう。
しかし、なにぶん。
恥ずかしいのだ。
カアッと熱くなる頬に手で風を作り、冷まそうとするが、一向に冷めてくれる気配もない。ここ、冷房が緩いんじゃないだろうか。
「あ、暑いので冷房強めますね」
慌ててリモコンを奪い取り、温度を下げると、ようやく千秋は落ち着きを取り戻して、椅子に座り直した。
どうしてこうも、恥ずかしいのだろう。それに加えて、嬉しさがこみあげてきて、身体全体が熱い。
落ち着け落ち着け、と暗示をかけていると、善行は不思議そうな顔をして千秋を見つめてくる。頼むから、今はこっちを見ないでほしい。
しかし、そんな時に、都合がいいのか悪いのか、傍らの本が淡い光を放って、千秋の心を落ち着かせた。
すかさず善行は気難しい顔をして本を奪い取り、終盤に近くなってきたページを開くと、ためらうことなく破り去る。千秋は横でホッとして、肩を落とす。もう大丈夫だと思っていても、緊張はしてしまうものだ。
「米倉さん、暑いのに長袖着てるんだよね。なんで?」
善行は単純な疑問として、本を机に置くと、そんな問いかけをする。千秋はしばし茫然として、ふと、冷静を装って返した。確かに暑い。今もまだ、ずっと。そのまま外に出れば、炎天下の元で焼け落ちてしまいそうな気分に陥る。だけど、それを素直に従っていられるわけにもいかない。
「肌、焼けちゃうじゃないですか。女の子はそういうの、気にするんですよ」
「へえ……。日焼け止めは?」
「塗ってるんですけど、焼ける時は焼けますから」
実際の所、千秋は病的に白い肌をしているのだから少しくらい焼けたって問題ないと思うのだが、それは女性としての価値観があるのだろう。善行は頷くと、それ以上追及するのはやめた。
「ところで先輩、勉強は?いいんですか?」
「ああうん。一区切りついたから休憩しようと思って。そしたら隣で米倉さんが寝てるから」
それで頭を撫でていたのか。千秋は思い出して、無意識に頭に手をやってしまう。もうあんな不覚は二度ととるまい。
「なんか、契約は切れてないけど、一応対応策が見つかって安心したのかなって思ったんだ。どうかな」
「……はい。それはもちろんです。最後のページまで、破り捨てれば、私はついに悪魔の人形から抜け出せる。そう思うと、最近は毎日が楽しくて」
事実、ここ最近の千秋は笑顔が増えたと思う。一つ一つの事に関して、最大限に興味を持ち、それでいて、感動に心を震わせる。出会った当初の無機質な印象は、何処かへと消え去っていた。
「それなら良かった」
「はい。本当に、以前までは未来を諦めきっていたので、最近は将来の夢なんかを考えたりしてるんです」
「へえ?何になりたいの?」
「まだ、決まってはいないんですけど……。でも、興味のあることはいくつか。決まったら、先輩に報告します」
「それは楽しみだ」
「先輩は?何か、ありますか?」
「僕は……これといってないけど、人の役に立てる仕事に就きたいとは思ってるかな」
なるほど、善行が考えそうなことだ。事実、彼がそういった仕事に就けば、助けられる人が数多く居るのだろう。千秋のように、命を救われる人だって現れるかもしれない。
「私。……先輩に恩返しがしたいです」
「え?どうしたの、突然」
「だって、命を助けてもらったんです。これからの未来を切り開いてもらって、凄く感謝してるから。……恩返しがしたい」
「はは、まだ契約は完全に切れてないのに」
善行は笑うと、また無意識だろうか、千秋の頭を撫でた。されるまいと思っていた千秋も、あえなく陥落して、されるがままに、目をつむった。
完全に契約が切れていないと言っても、もう切れたようなものなのだ。千秋には、そう思えて仕方ない。
だから、善行には感謝しか、出てこない。
いつか、必ず。彼には最大限の恩返しをすると、彼女は心の中で誓った。
その様子を、どこかで悪魔が見ていると知りながら。
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