第12話 人形が願ったこと
幸い、善行の怪我は大事には至らなかった。包帯でぐるぐる巻きにされたし、少々動かしづらいとはいえ、利き手ではないからそこまで実害は出ない。動かすと多少痛い気もするけど、そういうのは気にしたら負けだ。ということで、病院に行ってすぐに帰宅し、家族に終業式につけた痣とともに、微妙な理由をつけて怪我を誤魔化した次の日。
本日、生徒会の仕事がないという、とても素晴らしい日。そんな日は、受験生の彼としては一日勉強漬けになりたい。勉強は嫌いだけど真面目な彼らしく、ちゃんとやりたい。いっそ勉強になりたい。
と、そんな訳も分からない事を考えつつ善行は落ち着いて勉強が出来る場所として、図書館に足を運んだ。早朝から図書館に来る客は居ないのか、いつも以上に閑散とした空気の中、善行は学習コーナーと書かれた場所に腰を下ろす。ふと、携帯を見ると通知が来ているのに気付いて、そのままマナーモードに移行する。そして、何気なく見たその表示に善行は頬を綻ばせた。
「そういえば今日は火曜日だ。米倉さん、少しは自由になれるといいけど」
肝心の彼女と言えば、昨日は病院で平謝りの連発、そして悪魔の命令により強制的に家に帰ることになった。名残惜しそうに去っていく彼女は、少しだけ感情的になったようで安心したけれど、あの後家でまた痛い思いをしていないか心配である。
どうか五体満足でいますように、と大袈裟だけど決して油断ならない心持ちで祈ると、そのまま受験勉強を始めた。
そうしてしばらく、黙々と続けること数時間。携帯のバイブで集中力が切れたのを合図に、その通知を見た。
LINEかなと予想して開けると、その通りで、しかもその送り主は米倉千秋だった。そういえば、昨日連絡先を交換したのを思い出して、内容を読む。
――先輩、昨日は本当にごめんなさい。今、何処に居ますか?
――図書館だよ。それと、怪我の事は本当に気にしなくていいよ
――そうも行きません。今から向かいます
善行は既読をつけて嘆息する。あまり気にされると、こちらとしても気が重くなるから別にいいのに。というより、貴重な火曜日を自分に会うために使っていいのかな、とどうでもいいことを考え、善行は携帯を見つめた。
そして、背後に近づく人影に気付いて善行は振り返る。
そこには米倉千秋が制服姿で立っていた。
「思ったより早いね」
「丁度近くを歩いていたので」
「どうして制服なの?」
「昨日、私服を全て切り裂けという命令が下ったので……。それで、今服を少し買ってきました」
なるほど道理で紙袋を抱えているわけだ。彼女の私服姿、少しだけ見たかったなと思いつつ、目の前に座るように促す。恐る恐る向かい合わせに座った彼女は、しばらく顔を俯かせていた。善行もどうしていいか分からず、手さぐりに教科書の表紙を眺めていた。表紙の織田信長が、笑っているような気さえした。
「本当に、ごめんなさい」
ようやく絞り出した彼女の声は、蚊の羽音より小さく呟いた。相変わらず顔を俯かせたまま、視線を合わそうとしない。いっそ机と恋人にでもなりたいのかと思ってしまうほどだ。
だから善行はフッと笑って、身を乗り出す。そして、右手で千秋の頭を優しくなでた。
驚いた彼女は顔をあげて善行を凝視する。ようやく目が合ったとき、乗せられたと気づいた彼女は、ふい、と視線を逸らした。
「気にしなくていいって言ったじゃないか。終業式も、昨日の事も。僕は君を助けると決意した日から、こうなることは悟っていたよ」
「でも……」
「そんなに気にするなら、代償を貰おうか」
二コリ、悪魔のような笑顔で言った善行に千秋は目を見張る。代償、なんて言葉を使ったために、彼女の反応はいつもよりも俊敏だった。
「えっと……何ですか?」
「君がどうして契約したのかを聞かせてほしい。君は、何を叶えてもらったんだ?」
過去、妹の病を治すというまたとないチャンスを棒に振った善行は、千秋に問いかける。彼女は、滅茶苦茶な人生を引き換えに、一体何を得たというのだろう。
千秋はそんなことでいいのならと頷き、ぽつりぽつりと語り始めた。
それは、米倉千秋の、家族の話だった。
「私の両親、お見合い婚なんです。恋愛に興味のない二人が、祖父母に無理やり結婚させられたみたいで、あんまり仲はよくなくて」
結婚をしろ。孫を生め。この家を継げ。なんともまあ、昔の考え方をもろに出した彼女の祖父母は、そう言って両親を無理やり結婚させ、一つの家庭に押し込めた。
結婚当初は千秋の両親もそれなりに仲を築こうと頑張っていたようで、円満だったらしい。千秋が物心つく前あたりの事だ。
しかし、千秋が生まれ、やがて成長するとともに、両親の本音は顕著に表れ始めた。
好きでない人との結婚。共同生活。生涯の伴侶として生きていく覚悟が出来ない。それらが、二人を襲い、やがて喧嘩の絶えない毎日がやって来る。
千秋が小学生に上がると両者に険悪な雰囲気が漂い、中学生にもなると、毎日怒鳴り合い。相手の嫌いな所をただひたすら言い続け、目につくことは何でも武器にして攻めた。そんな二人を見ているのは、千秋にとって耐えられなかった。
喧嘩が絶えなくとも、子供の千秋には優しく厳しく、いつも傍に居てくれる両親が、毎日お互いを罵り合うのは見ていられなかった。
限界を超えたのは、千秋が中学二年生の頃だった。
ついに、離婚の話が持ち上がったのだ。実際、父親は離婚届を用意して既に判を押していた。母親はその時、友人と旅行に行っていたため、すぐに判を押すことがなく、少しの間猶予があった。
父親に離婚することを聞いた千秋は、酷く訴えたものだ。
どうか、離婚を止めてください、と。
そしてその願いは、餓えた悪魔に届いた。
かの悪魔は、千秋の人生と引き換えに両親を繋ぎ止める誓いをして、離婚を阻止させた。
「それが、君の願い」
「はい。私は、両親が離れ離れになるなんて、耐えられなかった」
千秋は遠い目をして窓の外を見る。人形のような彼女は、果たして悪魔の人形となり得た。しかし、だ。
「離婚は阻止できたとしても。その後は?」
「……ダメでした。両親の不仲は続いて、今は別居中です」
事実上の離婚に追い込まれた。善行は歯がゆい思いで千秋を見つめる。やはり、悪魔は悪魔だった。
悪魔はきっと、上辺だけの言葉しか聞かない。離婚を阻止してほしい?ああそうするだろう。しかし仲を取り持つことはしない。離婚をしないという事実だけを残して、むしろ今までより酷い結果をもたらすことだっであるはずだ。むしろ、それこそ悪魔の目的だ。人間の所業じゃない。
きっと、妹の病も治して他の不治の病を罹らせるに違いない。それを悟ったからこそ、善行は数年前、頑なに拒み続けた。
「両親が仲良くなると見越して、私は悪魔と契約しました。あれの人形になると、決意したのに……。全てが、台無しです」
ただひたすらに、大好きな両親が仲良くしてくれるのなら、人形になってもよかったのに。
「こんなの、あんまりです……」
「変わらなかった。ただ、離婚が阻止されただけで、何も変わらなかったんだね」
「はい。……もう、うんざりです。明日になれば、また私は人形になってしまう。もう、こんなの嫌……!」
やがて小さな雨を降らし始めた千秋は、再び顔を俯かせた。善行は黙って千秋の隣に座って、ただただ頭を撫で続ける。その雨が止むまで、傍に居た。
必ず、彼女を救うと再決意して、善行は教科書を片手で閉じる。包帯にまかれた左手は、どこまでも痛かった。
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