第11話 少女の姿

「今日は部活のお礼にお前の仕事を手伝ってやろう」

夏休み初日、生徒会長の仕事が残っているため、朝から登校して黙々とデスクワークをこなしていると、いきなり生徒会室の扉が開いて、そんな声が聞こえてきた。

持っていたペンを置き、善行は眼鏡をくい、とあげつつその声の持ち主を捉える。彼は、その爽やかな茶髪を少しだけ手で整えると、一息ついたように肩を落とした。

「いやあ、やっぱここは涼しいな」

「手伝うっていうのは口実なんだろ?だったら帰っていいよ」

善行はため息をついて、彼に素っ気ない返事をした。首を傾げて、何を言っているのか理解しない彼、大井聡はつかつかと室内にやって来て、隣にドカッと座る。自由奔放な所は、相変わらずのようだ。

「口実なわけないだろう。一応、部活のお礼にと思って手伝いに来てやったんだよ。やっぱりお前以外誰も活動していないじゃないか」

「まあ、それはそうだけど」

他の生徒会メンバーが来るとは思っていないので、善行は押し黙る。むしろ、他のメンバーが来たらどうしたんだと正気を疑いそうだ。それくらい、彼ら彼女らはこの仕事に無関心で、全てを押し付けられている。

それを甘んじて受け入れている善行は、友人の上から目線だけども、嬉しい申し出に心温める。たまには、こういうのも悪くない。

「じゃあ、この書類、ちょっとチェックしてくれる?誤字脱字がないかだけでいいから」

「りょーかい、待ってな。速攻終わらせてやるよ」

得意げに言った聡は、早速渡された書類に目を通し始める。およそ高校生の光景に見えないこの二人の行動に、誰もツッコミを入れる者はいない。まるでサラリーマンのようだ。

そうしてしばらく、二人は黙々と作業を続ける。

しかし、それも三十分を超え、ようやく仕事の山が減り始めた頃だった。

再び、生徒会室の扉が開いて、来訪者を告げる。何だなんだと二人は顔をあげて、その来訪者に視線を向け。

聡がペンを落とした。

ああ、驚くよな、そりゃあ。

善行は横で大袈裟な態度をとっている聡に憐みの視線を送りながら、やって来た少女にどうしたの、と問いかける。

すると、彼女はさも当然のように、頷いて、目の前に歩み寄る。隣で顔が引きつっている聡は無視して彼女の答えを待った。

「命令、下ったので。今日は、仕事、手伝わせてください」

千秋はそう言うと、机に散らばった書類に指さす。悪魔の企てで、善行の仕事を手伝う。一体、どういう風の吹き回しか。きっと、この先、おぞましいことを考えているに違いない。

善行は内心でため息をつきつつも、教室の隅に仕舞ってあった椅子を持ってきて、向かい合わせに設置する。どこかで見ているであろう悪魔には、警戒心を解かず、千秋は素直に座った。

「お、おい……、どうしてこの子がここに来るんだ。停学処分なんじゃ……、ていうか、こないだ色々やらかしてるのに、ここ来て大丈夫なのかよ」

小声で問いかけてきた聡に、善行は苦笑した。人間観察が大好きな彼でも、関わりたくない相手は居るらしい。やはり彼女にはあまりいい目をせずに、少しだけ苦い顔をしていた。あーあ、イケメンが勿体ない。

「大丈夫。米倉さんは悪い子じゃない。僕が、責任を持って言うよ」

彼女の事を何も知らないはずなのに、それでも胸を張って言う善行は、少しだけ滑稽だ。千秋はその言葉を聞いて、顔を俯かせた。聡は少しだけ疑問に色を染めて、それでも真摯に善行を見つめた。

すると、今度は千秋が口を開く。必死な顔して、眉を寄せに寄せて、聡に、弁解した。

「昨日、驚かせてしまって、ごめんなさい。その、私が言える事ではないんですが、あの後荒井先輩に助けてもらって、そのまま逃げました。終業式を壊してしまったのは、事情があって、理由は話せません。でも……私は、あんなことがしたかったわけじゃ、ないんです」

言っていることは荒唐無稽だった。自分はあんなことをしたくない。だけどやった。だからごめんなさい。そして、仲良くしてくださいと頭を下げる少女。

信用しろと言われたら十人中九人が首を振るだろう。

しかし、大井聡は違った。

何より、彼は人間観察が大好きな腹黒男。面白いことを見つけたら、それを体験しないと、気が済まない。十人中の、唯一の一人。

「ごめん、僕も事情は説明できない。けど、本当に米倉さんは悪くない。言ってる事むちゃくちゃだけど、信じてやってくれないか」

「は。……はは」

何だか可笑しくなってきた。一応、昨日の終業式の顛末は知っている。善行が生徒会長の権限を使って庇い切り、今回限り、彼女を見逃すと教師から優しい判断を貰ったのだ。その話を聞いたとき、どうして彼がそこまでするのかと思っていたが、二人が揃ってから何かを予感した。

お節介男と、この高校一のトラブルメーカー少女。この二人には、他人に話せない何かがある。それを、見ていくのも悪くない。

聡は、ニッコリ、真っ黒な笑顔で顔を歪めると、千秋に向かって、会釈をする。

「よろしく、米倉さん。噂通りの人じゃないってところ、見せてね」

手を差し出して、握手を求める。言い方が嫌に皮肉染みているが、千秋は予想外の返答に驚いて、彼の顔を見つめていた。いつもなら、ここでみんな逃げ出したりするのに。

やっぱり、荒井先輩の友人だけ会って変わり者なんだなと変なことを勘ぐり、それでも千秋は笑顔で握手に応じた。何よりも、嬉しかった。

「よろしくお願いします」


いくら腹黒男とはいえ、大井聡という人間は普通の人間よりもコミュニケーション能力が高い。おかげで、数年以上悪魔の言いなりになって、ほとんどの人と会話をしなかった千秋ともすぐに打ち解けた。

聡が書類に目を通して、千秋が判子を押す。時折趣味や、学校でのことを聡が話して、千秋がついていきやすいように話題を広げる。もちろん、善行もそれに参加している。そうして二人は想像以上に会話を続け、やがてそれなりの仲になった。

「千秋ちゃん、見た目可愛いからモテたでしょ」

「そ、そんな……。私、人と滅多に話さないですし」

「ふうん。話してみたら、意外と喋りやすいし、モテそうなんだけど」

千秋の顔が林檎のようになって、聡は破顔する。こいつ、わざと千秋を照れさせている。さすが腹が真っ黒な男は違う。善行は隣で二人の会話に苦笑しつつ、それでも安心していた。

良かった。

千秋に、少しでも話せる人が出来て。

お節介男の通り名を持つ善行は正直例外だ。いくら性格が悪いとはいえ、聡ほど普通の人間と話せるなんて、滅多にないことなんじゃないか。そう思うと、どうにもわが子を見るような目で安心してしまう。

だが、ホッとしていたのも束の間だった。

ようやく書類が片付いて、さあ三人で帰ろうかとわいわいしていたところで、千秋が突然崩れ落ちた。

当然、二人は焦って彼女に近寄る。熱中症か、はたまた貧血か。ひとまず苦しそうに顔を歪める千秋の様子を見て、どうにかしようと、必死だった。

しかし、千秋が僅かに目を開いた瞬間、善行は咄嗟に聡の肩を掴んで、彼女から遠ざけた。

先ほどと様子が違う。目が、ぎらぎらと光彩を放っている。

砂漠の中で見る、太陽のように、その目が主張をしている。この目は、見た事がある。

昨日、終業式で自分に向けてきた、あの瞳だ。

悪魔の、目。

善行はじりじりと彼女と距離を取って、逃げようとした。聡は訳も分からず、善行に引っ張られるまま。

しかし、悪魔に乗っ取られた千秋の方が、素早さは上だった。

俊敏な動きで聡の背後に迫ると、手刀で彼を昏倒させる。漫画みたいな展開、まさかあれをリアルに見るとは思わず、善行は顔を引きつらせる。

しかし、それだけでは終わらなかった。倒れた聡に駆け寄って揺さぶっていると、千秋は鬼気迫った顔で、刃物を振り上げていた。

そして、鈍い音がする。

ドスッという、滅多に聞かないその音がして、善行は自らの左手を見る。

手の甲、丁度中心に、ナイフが深々と突き刺さっていた。

やがて溢れてくる血に、じんじんと痛みを伴い始める左手。善行は熱くて燃えそうな手を押さえながら、右手で千秋の頬を引っぱたいた。女子にこんなことをするのは少々ためらいがあったが、それどころではない。左手が、全く動かせないのだ。これでは、まずい。

『ククッ……自分のせいでお前が苦しんだという事実を突きつけられたとき、こいつはどんな顔をするだろうなァ……。楽しみだ』

何処からかそんな声が聞こえたと同時に、千秋の瞳に色が戻った。そして、現状を見て、顔を青くした。

「荒井先輩、これ……」

「説明は後だ。とりあえず、病院に行こう」

絶望的な顔をしながら、それでも携帯電話を取り出した千秋を見て、善行は嘆息した。一瞬の出来事だった。けれど、確実に、人の心をえぐりに来ている。

本当に、奇怪な行動しかしていない。

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