第4話 米倉千秋という女について
「そおらっ!」
誰かの掛け声で、ボールはバシンッと音を立てて相手側のコートに落ちた。受け止められなかったボールを、相手側は無気力に見つめていた。負けたというのに、その感慨すら見受けられない。
まあ、それもそうか。
善行は内心で相手側のチームに同情しつつ、勝ったことに大はしゃぎな自分のクラスメイトを見つめた。
球技大会、当日。最高気温三五度を超えるこの暑さの中、一体どれくらいの生徒が本気を出すのか分からない中、善行は補欠としてコートの隅で座り込んでいた。生徒会長として、学校行事に参加しなければならないのは分かっている。もちろん、善行はいつだって真剣に物事を取り組む。
しかし悲しいかな、善行は運動音痴で、クラスメイトから一斉に補欠で!と指名されたのだ。高校最後の球技大会が補欠とは、なんとも泣けてくる。
こうなったら全力で応援してやる、と意気込んでコートの隅で鎮座すること数時間。地獄のような体育館で、善行どころか生徒全員が疲れた表情を見せ始めていた。
そんな中、善行はちらちらと隣のコートの様子を見ていた。
いつもは応援を全力でするのだが、出来ない理由が、そこにはあった。
なんといっても。
「ちょっと、米倉さん……、なんで自分から当たりに行くの?やめてよ」
米倉千秋、すなわち昨日善行の眼鏡を粉々にした張本人が、バレーをやっているからだ。
眼鏡を壊された後、善行は慌てて聡のところへ行き、彼女について聞きだした。
いつもは眼鏡が壊れたと知ると面白がる聡が、今回ばかりは同情の目で見てきたのはショックだったが、その代わり、彼女についていくつか聞き出すことが出来た。
名前は米倉千秋。一年一組の問題児で、入学して早々窓ガラスを割る、花壇を荒らす、トイレを水浸しにするなど、奇行ばかり続ける生徒。以前も言っていたように、聡は関わったら最後、何をされるか分からないとため息をついていた。
そんな話を聞いて、善行は彼女が同じバレーを選択していたことに、少しだけ不気味さを覚えた。
こちらから関わって行った覚えはない。階段から転げ落ちたところで話かけたが、それだけだ。
だというのに、まさか愛用している眼鏡が壊されるに至るとは思わなかった。何がいけなかったんだろう。同じバレーを選択していたのは、たまたまだろうか。また、眼鏡を壊されはしないか。そんな不安がよぎる。
ちなみに、今かけている眼鏡はスペアだ。二本で五千円と謳う店で買っておいて良かったとこの時ばかりは安堵した。
何もない所でこけたり、またもやボールに当たりに行ったり、何処からどう見ても不可解な行動しかしない彼女を見ていたら、あっという間に時間は過ぎていった。
気付けば、昼休憩開始のチャイムが鳴っていた。
「メシだメシー」
「お前らちゃんと水分補給するんだぞー」
体育教師の掛け声を横に聞きながら、善行は立ち上がり、弁当袋を抱えて前方を歩く少女の影を追う。
米倉は、誰にも話しかけられず、また脇に分厚い本を抱えて体育館を出た。思わず足音を立てないようにしてしまい、これではストーカーではないか、と内心で苦笑した。
だが、それでも。
――確かめたいことがある。
いくら不気味で、関わったら最後、何をされるか分からないと言われても。愛用の眼鏡を壊されても。
どうしても、謎の行動を繰り広げる少女が気になって仕方なかった。
早足で歩いていく米倉がようやく立ち止まったのは、誰も寄り付かない校舎裏だった。このうだるような暑さの中、この場所だけは鬱屈とした雰囲気が漂い、冷気すら感じさせる。その気温差に、善行はぶるりと肩を震わせた。
そして、おもむろに弁当箱を取り出して広げた米倉に近づいた。
「ねえ」
「……っ!?」
たった一言、声をかけただけなのに、 米倉はこちらを見るなり、威嚇の眼差しを向けてきた。無表情で居るところしか見たことがない善行には、その威嚇は酷く鮮明に見える。どうしてそんなに怯えているのだろう。怯えたいのは、こちらだというのに。
「隣、いいかな」
本当は隣に座るのだって遠慮したいが、それでは自分の目的は果たされない。ここは甘んじて彼女とお食事タイムと行こうではないか。
「…………何ですか」
「何って、君が言う?僕、聞きたいことがいっぱいあるんだけど」
「眼鏡を壊したことですか?それなら謝ります。だから、ここから離れてください」
「いや、それもあるけどさ。とりあえず、眼鏡はもういいよ。スペアあったから大丈夫だし。それよりも僕が聞きたいのは」
「いいからッ!離れてください!!」
少女の身体からは、想像もつかないほどの大声だった。怒声と言っても差し支えないだろう。
善行が驚いて、米倉の目を見つめると、彼女は涙を流していた。その瞳に映るのは、怯え、悲しみ、後悔、怒り。
善行は訳が分からずに、ただ、抱えたままだった弁当袋を強く握りしめた。
分厚い本と弁当を抱えた米倉は、そそくさと立ち上がって善行と距離を取る。なんだかそれにイラついた善行は、同じく立ち上がった。
「訳が分からないまま眼鏡を壊されて、大人しく引き下がれると思う?僕は聞きたいことがあるって言ったよね?弁償として、聞いてもいいんじゃないの?」
「……強情」
「そうだよ、強情だよ。でもね、普通の人は自分の大切なもの目の前で、何の脈絡もなく壊されたら怒るんだ。それで説明を求める。怒らないだけマシだって、思ってくれない?それで、僕の聞きたいことに答えてよ」
努めて冷静に。これ以上、彼女を怯えさせないように。柔らかい声音で言うと、米倉は唇を噛んで、何かに耐えているようだった。二人だけの校舎裏に、緊張が走る。
しばらく無言で睨みあっていると、突如として米倉の持つ分厚い本が光り始める。不可思議な現象に善行は目を見張り、その本を凝視する。
米倉はというと、その本を慣れた手つきで開き、何やら読み始めた。それは、階段で転げ落ちた時と同じ顔をしていた。
無感動で、無機質で、まるで人形のような。
「……どう、して」
そんな彼女の言葉を聞いた善行は、本を覗き込もうと近づく。しかし、それよりも早く、米倉は本を閉じて視線を落とす。
そして、再び顔を上げた時には、無色透明の瞳が、善行を見つめていた。
「その本、なに?」
「喜んでください。命令が下りました。貴方に、説明をしましょう」
機械のような口調に、平坦な声で、米倉千秋は説明を始めた。
それは、にわかには信じがたい話だった。
悪魔の書というものが、世の中にはある。それは、その名のとおり、悪魔の化身であり、持つものに災いを振り起すもの。そして、それを持つ人間は、悪魔と契約した者に限られる。
どうしても叶えたい、切実な願い。それを、悪魔は一つだけ聞いてやり、代わりに契約を結ぶ。契約者は、分厚い本を授かる。それが、悪魔の書。
「それを持つと、災いが起こるんだろ?それって、どんな?」
「災いなんてものじゃ、ない。その悪魔の書で、契約者は、操り人形となり得る」
厳かに言った米倉は、手元の分厚い本を忌々しげに見た。そして、その分厚い本の仕組みを話し始めた。
校舎裏に、米倉のか細い声が響き渡る。
「この本は、悪魔そのもの。悪魔はこの本に命令を書きだして、契約者に行動させる。それが、願いの代償。死ぬまで、悪魔の思い通りに行動させられる」
命令は悪魔の気まぐれで書きだされる。光が合図となって、契約者はそれを確認すると、即座に行動を強いられる。でなければ、何をされるか分からない。願いの代償に受けたものは、意思を殺した自分と、待ち受ける死だった。
全て、悪魔の思い通り。
それを聞いた善行は、階段で初めて会った時の事を思い出す。本を開いて、読んで、善行に言い放った言葉。
――貴方と話すのは、来週の水曜日、午後四時となっています。
それは、本に予言されて、そして、だからこそ。
悪魔の命令に従い、昨日眼鏡を壊してきたのか?
「君は、契約者、なんだよね。それで、昨日眼鏡を壊した?」
「その通りです。そして、今この説明をしているのも、本に命令が書いてあったから」
悪魔が善行に説明を促した。それがどういった意味を持つのか、分からないけれど。きっと、このまま踏み込めば、もっと危険な状況に立たされるであろうことは、予想できた。信じがたい話ではあるが、目の前で本が光ったり、理由もなく関わったことがない人間に危害を加えるのは、そんな突拍子もない話の方が納得できる。
「最後のページには予め、命令が書かれています。お前の魂を捧げろ、と。つまり、最後のページまで命令が書きだされたら、契約者の命は終わり。それまで、私は悪魔の言うとおりにしなければ」
米倉は一息つくと、分厚い本を煩わしそうに抱え直すと、踵を返す。背中を向けたまま、米倉は呟いた。
「これで分かったでしょう。私が可笑しな行動を取ることが。全て、悪魔の命令の通りに行動しているだけです。分かったら、今後私に近づかないでください。さもなければ」
――死にますよ。
びゅうびゅうと風が吹く中、そんな言葉を残して、悪魔に操られた少女は立ち去った。
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