第29話「桜の樹の下」

 晩秋の夜。

 俺は食後のランニングとして、その日は珍しく近くの公園の

 桜並木の下を走る事にした。

 ただ、桜並木と言っても、もう肌寒い時期になわけで、

 当然ながら花も無く、赤や黄色に変わった葉を横目で見つつ

 俺は暗い道を走っていた。

 …そうして、桜並木も半分ほど過ぎたあたりのことだ。

 ふいに、近くから声が聞こえた。

「た…助け…て…。」

 俺は足を止め、周囲を見渡す。

 すると、暗がりであまり顔は見えないが、

 一人の青年が桜の根元付近で座り込んでいるのが見えた。

 俺は彼に駆け寄り、「大丈夫か」と声をかけた。

 すると、彼は必死に声をあげる。

「た、頼む、俺を引き上げてくれ。片足が…。」

 見れば、彼の足の片方が深い穴のようなものにはまっている。

 俺は、こんなところに穴があるのを不思議に思いつつ、

 彼の肩に手を貸すと思い切り青年を上へと引き上げようとした。

 しかし、不思議なことに、二、三度引っぱっても青年の身体は

 持ち上がらない。

 いや、むしろ下へと引っぱられる感覚さえ覚える。

 だが、俺も運動部ではウエイトリフティングをしている身の上。

 ここで男の身体一つ持ち上げられないのでは名が廃る。

 そうして、俺は青年の胴体をしっかりとつかむと勢い良く上へと

 引き上げた。

 ボゴォッ!

 そんな音がしたかもしれない。

 そうして、俺は引き上げられた彼の足についていたものを見て

 ぎょっとした。

 …そう、そこには青年の片足をがっしりとつかむ一体の人骨が

 あったのだ…。

 …そうして、俺たちは通報で駆けつけた警察の事情聴取を受け

 十分ほどで解放された。なんでも、この公園は数年前まで寺の

 敷地だったらしく、どうやらまだ無縁仏が残っていたらしい。

「…まあ、運の悪い方では良い方の部類だよ。君は駆けつけて

 くれてありがとね。そして、次からはタケシのお兄さんも気を

 つけるように…。」

 そう言うと、俺を送ってくれた警察は半べそをかいたタケシの

 兄さんを後部座席に乗せたままパトカーを走らせていった。

 そして俺は半ば呆然としながら家へと足を向けた。

 …桜の樹には死体が埋まっている…。

 玄関のドアノブをにぎるとき、ふと、そんな言葉が頭をかすめた。

 しかし、今は晩秋の頃であり、桜だって紅葉するような時期だ。

 俺は自分の考えた事を追い出すように頭をふると、あたたかい家

 の中へと入って行った…。

 

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る