最高神-2





「──全く。賢いお前のことだから大人しくやってくるかと思えば、直前になって逃亡か」

「ミュ、ミュンテ公……!」

「人に仕えるという割には、些細なことで逃げ出すんだな」


 蜂蜜色の髪が揺れる。

 冷え冷えとした菫色の瞳に見下ろされ、流石のリュシャも青ざめた。


「これでもお前を信用し、お前の意思に任せていたんだが。最初から首根っこ捕まえて連行するほうが早かったな」

「は、離してください!」

「ふざけるのもいい加減にしろ。お前は何をしにここに来たんだ」

「わ、私は、」

「連れて行け」


 従者二人がリュシャの腕を持ち、持ち上げる。


「わ!」

「逃げようと思うなよ、最果ての魔女」

「最高神の加護を受けられなくなったらどうしてくれる」


 口々に従者が文句を言う。

 それを聞いてリュシャも大きく息を吸った。


「どうしてくれるもなにも、自業自得でしょう!ふざけたこと言わないで!加護を手放したのは人のほうだっていうのに……!」


 いきり立つリュシャをミュンテ公が冷めた顔で嘲笑う。


「ならお前は見捨てるのだな。目の前の人間には手を貸すくせに、それ以上の人間になると救えないのか、呪い師は」

 

 リュシャはその顔を思い切り睨んだ。


 悔しい

 悔しい!!


「どれだけ目の前の人が苦しんでいようが自国の民ではないからと切り捨てる人に、偉そうに言われたくはない!」


 脳裏に蘇る。あの時も、この人はこんな目をしていた。


「相変わらず青いな」

「リュ、リュシャ!公爵に対してなんて口の利き方を!」


 遅れてやってきたサステナが青ざめる。

 従者はリュシャの抵抗が緩んだ隙に歩き出し、ズルズルと神殿の方へ引っ張っていった。


「も、申し訳ありません!公爵!」


 サステナが深々と頭を下げる。説得すらできず、彼女を神殿に連れて行くことすら満足に出来なかった。

 恐々として謝るサステナを、ミュンテ公は手で諌めた。


「良い。それよりも儀式だ。あのじゃじゃ馬がまた逃げ出す前に始めるぞ」

「は、はい!」


 サステナはあわててリュシャ達を追った。










 従者に連行されたリュシャは、神殿につくなり女官に身ぐるみを剥がされた。いかにも手練れそうな女官たちはてきぱきと支度を進め、はっと気づいたときには、リュシャは湯浴みを済ませ花嫁衣装を身に纏っていた。


(こんな、こんな、こんな!)


 衝動的な苛立ちは、まだ胸の中にくすぶっていた。


(確かに、直前で逃げ出すのは子供じみているけど!)

 

 たしかにリュシャは、自分で決めたのに、直前になって衝動的に逃げ出した。

 かっこ悪い。

 まるで子供だ。

 わかってる。わかっている。

 

(こんなだから……ほかのまじないがろくに使えないんだ……)


 師匠の元に弟子入りしてもう七年も立つというのに、リュシャが人並み以上にできるのはタタリ祓いだけ。タタリ祓いだけは、王宮勤めのサステナよりも、上手くできる自負がある。


 師匠には何度も気の短さを怒られた。

 呪い師は山から恵みを貰い、神々から力を借りる。

 そのためには、永久の時間を生きる彼らと心を合わせていく必要がある。


 短気なのは呪い師として致命的な欠点なのだ。


(でも、なぜこの国の人は、見えないものを捨ててしまうんだろう)


 この国に元からある豊かさには目もくれず、大国から得られる豊かさにだけ心を砕くのはなぜだろう。今は首都だけが大国風になっているが、それもやがて国全体に広まっていってしまうのだろう。

 そしてリュシャや、呪い師たちが大切にする山の恵みや神々の加護は、なかったことにされて忘れ去られてしまうに違いない。


 この国が、リュシャの一族を見捨てたように。







「どうぞ、こちらへ。ミュンテ公がお待ちです」 


 女官達が案内する先へついていけば、呪い師の衣装に着替えたサステナと、冷めた顔のミュンテ公がリュシャのことを待っていた。


「リュシャ、こちらにおいで。これから神との契約を始めるから」


 サステナが手招きをする。

 兄弟子の前に立ち、リュシャは首を傾げる。


「契約?」

「そう。これはタタリを祓うために行う婚姻だから先に契約をしておくんだ。そうしたら君は、ことが済めば独り身に戻れる」

「そんな都合がいいこと出来るんですか?」

「我が国では代々、最高神の力を借りる際にはそのようにしてきた」


 数歩離れた所に立ったミュンテ公が付け加える。


「神に対して不敬だなんて騒ぐなよ。これはもう何代も前からのしきたりなんだからな」


 リュシャの考えを見透かすような台詞にふん、と鼻をならす。


 神殿は構えも内装もそれは立派な大国風だ。

 ただ、不思議と中の空気は澄んでいて、清廉とした精気で満ちている。神を迎える場所としての機能は果たせそうだ。


「リュシャ、ここに手をかざすんだ」


 そういってサステナが差し出したのは薄い水盆だった。

 一目でかなりの年代物だということがよくわかる。

 青銅色の金物には、細かな模様が刻まれていた。

 

(神を呼び出すための呪物──彫られているのは聖山か)


 東にそびえ立つ聖山の厳かな様が、薄く張られた水の底に沈んでいる。

 リュシャは促されるままに水盆の上へ手をかざした。


「いいか?今から契約内容を詠唱する。途中何度か問いかけるが、ただ是とだけ答えればいい。最後にお前が自分の名前を言って、この盆の中に手を入れる。契約が成立すれば手のひらに神印が浮かぶ。後は嫁入りの儀式を簡単に済ませれば、晴れて最高神の妻となる」

「………その後はどうするんです?」

「神にタタリを祓ってもらわなくてはならない。それが終わるまで、この神殿で暮らすんだ。神はお前を介して力を使うから、忙しくはなるだろう。お前は神の依代となるからな」

「ここで暮らす……」


 リュシャの顔を見て、兄弟子は困ったように眉を下げた。


「そんな顔をするな。王宮からも相当の報奨金が出るし、何よりミュンテ公が計らってくれる。相当贅沢な暮らしができるぞ」

「あに様は、それで私が喜ぶと思っているんですか?」

「まさか。すまないなリュシャ。感謝している」

「…………」


 リュシャは黙って水盆を見た。

 ただただ、居心地が悪かった。




《震え、震え、東雲しののめの》




 サステナが詠唱を始めた。


あまねく我らのしるべとなりて、揺蕩たゆたう光のしるべとなりて》


 まじないが空気を震わす。

 声が、音が、言葉が。


 それは調しらべ

 それはしるべ


《山の端の、我らをいだけ、》

 

 水盆の水が、身震いするかのように震えた。



「なっ!」



 一瞬だった。水がうねるように噴出した。


《し、東雲しののめの君!我ら此処に有っ、こいねがうは幽世かくりよの、》


 サステナの目が見開く。詠唱が乱れた。

 ミュンテ公が身じろぐ気配がする。

 こんなことは聞いていない。


 噴きでた水は生き物のように身震いをしてリュシャの右手を飲み込んだ。するするとそのまま、肘のあたりまで飲み込まれてしまう。


「あに様、詠唱は続けて!」


 リュシャは叫ぶ。非常事態だ。

 もう右肩まで飲まれてしまった。


「いや、儀式は中止だ!サステナ詠唱をやめろ!」

「中途半端なところで止めるのが一番ダメ!あに様!」


こいねがう。愛し給え祓い給え。幽世かくりよの、たまなき叫びを祓い給え。山の端の民を愛し給え》


 サステナの詠唱が広間に響く。

 水は彼の詠唱など意に介さないようにリュシャの身体を飲み込んでいく。


の者、リュシャ・ユグストリ。東雲しののめの山に嫁ぐ者なり》


 兄弟子の最後の詠唱を聞きながら、リュシャは湧き出た水に飲み込まれてしまった。


















「来たか」





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