最高神-1
「引き受けることにした!?」
サステナが信じられないといった様子で立ち上がる。
「昨日はあんなに無理だと言ってたじゃないか」
二人分の朝食が並ぶ質素な食卓。
サステナのマグに紅茶を
「いいじゃないですか。思う通りになったんだから」
「それはそうだが…………一体何があったんだ」
「別に何もないですよ」
「そんな理由でお前が自分の意志を曲げるとは思えない」
サステナの言い分は的を得ていて、リュシャは小さくため息をついた。
何もなければ自分は絶対に引き受けない。
ただ。
「ミュンテ公が家に来ました」
「………ミュンテ公が?」
サステナが信じられないと目を見開く。
「民のためなら何でもすると。一介の呪い師相手に、直接会うことも厭わないと」
今王宮で最も権力を持っているのがミュンテ公だ。
富と権力とそれに見合う実力を持ち、甘いマスクとは反対に、必要ならばどんなことも行う。当代の甥っ子にあたり、体の弱い王の代役を引き受けることも多い。
王には三人の子供がいるがどれも
そして現在王宮に努めている兄弟子の雇い主でもある。
「……私だって目の前で苦しんでいる人がいたら助けたい」
でなければ呪い師を目指そうとは思わない。
ただリュシャの目の届かぬところで誰かが苦しんでいるときに、どうしていいのかわからない。
助けに行けばいいのか。見捨てればいいのか。
際限ない救いの声にどう向き合えばいい?
「枯れぬ花などないのだから滅びるときに滅びればよい。そう思う気持ちは変わりませんよ。ましてやこの国に、頭を垂れる気はサラサラありません。うん。やっぱり、こんな国、滅んでしまえばいいんです。ここらが潮時ということでしょう」
「リュシャ!」
慌てる兄弟子を見て、にっこり笑う。
「すいません、あに様。口が滑りました。ただ、……ただ目の前の人が苦しんでいたらやっぱり助けたいと思ってしまうんです。誰かを苦しめてまで、滅んでしまえとも思えない。なので少し複雑ですが、引き受けようと思っています」
「ほ、本当か」
「はい」
サステナはほーーっと息を吐いた。
全身の力を抜くようにそのまま席に腰を下ろす。
「死にぞこないの命です。先のあるもののために使います」
「…………リュシャ、」
付け足された言葉に、サステナは顔を歪めた。
7年前、初めて出会った時からずっと、リュシャは自分を死にぞこないだと思っている。
それは、間違ってはいないかもしれない。一族を殺され、一人生き残った彼女の気持ちは、きっと誰にもわからない。
──もっと前向きになってくれたら。
サステナは常々そう思っていた。
ただ。
今回の一件を知らされたとき、サステナはリュシャなら問題ないだろうと思った。思ってしまった。
死にぞこないの彼女なら、人を救うために神と寄り添うことを選んでくれると。
実際は「国の為になど動かない」と一蹴されてしまったが。それでもリュシャなら、この役を引き受けてくれるのではないかと思った。
そして、そう考えたのはサステナだけではなかった。
「すまない。妻候補としてお前を指名したのはミュンテ公なんだ。俺がなかなかお前を説得できないから痺れを切らしてやってきたんだろう」
おもむろに話しだした兄弟子の言葉に、リュシャは怪訝に思って眉を上げた。
「ミュンテ公が?」
「ああ。公爵はお前が必ず引き受けると、確信があったようだ。それに、どう考えてもお前以上に適任な娘はいない」
「それは、私が魔女の一族だから、ですか」
リュシャの表情が強ばる。
ただサステナは気づかない。
「ああ。神に嫁ぐ者としてこれ以上の適任はいない。神の血を引くお前なら、わざわざ神降ろしをするまでもなく、最高神と通じることができる」
リュシャはサステナから目をそらした。
確かにそうだ。リュシャは神の血を引く、最果ての魔女の生き残り。
ただそれを、都合の良い駒のように扱われるのかと思うと、胸のあたりがざわつく。
今度はサステナも異変に気づき、焦ったように身を乗り出した。
「リュシャ、すまない。
「……本当にそうですかね。神相手に、人の予想が通じるとは思えませんが」
気づくと言葉がもれていた。
リュシャはハッとしてサステナを見た。
「……今のは失言でした。すいません」
慌てて取り繕ってもらうが、漏れてしまったものは戻らない。
サステナが曖昧に笑う。
(ああ、嫌だ)
リュシャは取り繕うのを諦めて、黙々と用意した朝食を咀嚼した。
リュシャは人に仕える呪い師。
まだまだ未熟で、タタリ祓いぐらいしかまともにできないけれど、呪い師である誇りを捨てたことは一度もない。
これからも、これまでも。
国に
ただ国は強大な力でリュシャの頭を押さえつける。
その度に燃えるような怒りが胸の中で爆ぜる。それは決して消えることのない怒りだ。勢いが収まり、燻りになってしまうことがあっても、完全に消えてしまうことはありえない。
リュシャは無意識に右手をなぞった。複雑な模様が描かれた刺青。今はもうリュシャ以外誰も読むことができない一族の象形文字。
(私が救うのは国じゃない。人だ。だから、落ち着け)
胸に巣食う怒りが、ほのかに立ち上るのを感じながら、リュシャはタタリから救われる人のことだけを思った。
「善は急げだ」
そう言うと、サステナはすぐにでも嫁入りの儀式を行えるよう、馬車で首都へむかっていった。
一人残ったリュシャは身の回りのものを簡単に片付ける。そして身なりを整えて、サステナが戻ってくるのを待った。
サステナはすぐに戻ってきた。
そして今度は二人で馬車に乗り、首都クルスへ向かう。
馬車は順調に街道を抜け、一時間もしないうちに首都クルスへと滑り込んだ。
大国の技術で整備された街は優美だった。石造りの建物の向こうに青い山々が見える。街道から続く石畳は整然としていて、道行く人も皆、着飾った格好をしている。
まるで作り物の絵画のようだとリュシャは思った。
しばらくは物珍しくて眺めていたが、それもすぐに飽きて下を向く。
「リュシャ、そろそろ着くぞ。神殿だ」
車窓を眺めていたサステナが、リュシャに向かって声をかける。
その言葉に引っかかったリュシャは顔を上げて兄弟子を見た。
「神殿?
「ん?ああ、そうなんだ……」
サステナは「しまった」という顔で目を背ける。
その反応に嫌な予感がして、リュシャは兄弟子の袖を掴んだ。
「待ってください、神殿は大国の様式ではないですか!それをわざわざこの国に持ち込んで、そこで最高神を祀るっているんですか?」
「いや、その、……ここまで力を入れて整備した街並みの中で、いきなり我が国の様式の建物があったら浮くということでな」
「なっ!?」
カッと全身が熱くなる。
一体、何ふざけたことを言ってるんだ。
「信じられない!首都の人間は馬鹿なのか!大国風にしてどうするっていうんだ!この国の最高神を祀るっていうのに…………!」
一度なくなってしまったら、もう取り戻せないというのに。
「それほど自国の縁を軽視するなら、いっそ滅んでしまえばいいんだ」
思わず溢れ出た言葉は、呪いのようだった。
「リュ、リュシャ?」
「やっぱり無理です。こんな国のために働くなんて反吐が出る。タタリなら自分で祓えますから。私は、自分の目の前にいる人だけを助けることにします」
「リュシャ!」
「帰ります!!」
ちょうど馬車の速度が緩まった。そのタイミングでリュシャはサステナの手を振り払い、馬車の扉から転がり出た。
石畳に身体を打つ。
道端で一回転し、リュシャは直ぐに立ち上がった。
打ったところが多少痛むが別にいい。
「リュシャ、待て!リュシャ!」
サステナの叫び声が聞こえる。
それを無視して
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