タタリ祓いの契約結婚

ハジメ

タタリ祓い



「いや、無理です」

「無理が無理だ」

「無理が無理が無理です」

「お前の肩に全てがかかっているんだぞ!」


 リュシャは栗毛色の髪を左右に振りながらもう一度「無理です」と言った。

 目の前で眉を下げるサステナはリュシャの兄弟子であり、父親替わりでもある。


「お前しかできないんだ」

「いいえ。落ちこぼれの私に出来ることなんてありません」


 声色も顔色も変えずに拒否し続ける妹弟子に、サステナは困ったように息をついた。


「リュシャ、お前もわかっているだろう。このままじゃこの国は終わりだ」

「どんなに見事な大樹とて、朽ちるときは朽ちるのです。ましてや、愚かで浅ましい小国が、終わりを迎えるのは当然だと思いますが?」

「滅多なことを言うんじゃないよ!首が飛ぶぞ!」

「はっ、飛ばせるものなら飛ばして欲しいものです」


 少女の辛辣な物言いには、理由がある。

 その理由を知っているがゆえにそれ以上強く言うこともできず、サステナは頭を抱えた。


まじない師は人に仕えるのだと師匠は言いました。私は未熟なタタリ祓いですが、国にこうべれたことは一度もありません。…………あに様は、違うようですが」

「国に仕えることでより多くの人が救える。お前もよくわかってるだろう?とりあえず、期限までにはまだ余裕がある。もう少し考えてみてくれ」


 サステナはそう言うと部屋を出た。

 リュシャは一人残り、窓際に近づく。

 少しの間の音、馬のいななきが聞こえて、兄弟子を乗せた馬車が去っていった。


「誰が神の妻になど……」


 窓に映るリュシャの髪は漆黒。表情を見せない丸い両眼は、凍てつく氷のような銀だ。日を知らない透けるような肌は青白く、かすかに唇だけが赤みを帯びている。


 かつて、最果ての魔女と呼ばれた一族の、リュシャは最後の生き残りだった。




 





 山国と名高いテラ王国の中でも、首都クルスは開けたところに作られていた。

 大国から技術を学び、整えられた町並みは、それはそれは美しく、首都を囲む山並みの美しさと相まって、周辺各国からの旅行客が絶えない観光名所となっている。


 リュシャとサステナが住む家は、そんな首都から馬車で一時間ほどの郊外にある。そこはもう山の麓で、小さな山の向こうに東の聖山シャステナビアが見えた。一年を通して雪に覆われた高貴な山は、最高神のおはす場所として、かつては多くの人が信仰を寄せていた。


 それも今は昔の話。

 大国の技術が流れ込み、国が繁栄するに従って神々への信仰も薄くなっていった。

 もう一体、どれだけの神々が忘れ去られてしまったのか。


「薬草が足りないな。採りに行かないと……」

 

 皇宮にむかった兄弟子を見送り、リュシャは自分の仕事を始める。

 籠を背に背負い、採ってくるものを確認していると、玄関の扉がけたまましく叩かれた。


「リュシャ!出た!タタリだ!!」


 その一言で、リュシャの表情は一変した。

 素早く籠を置き、代わりにいつものポーチを身に付ける。

 肩までで切りそろえたおかっぱ頭を揺らしながら、すぐに家を飛び出た。


「リュシャ!リュシャ!お願い!妹を助けて!!」

「場所は」

「山に入ってすぐの欅の下っ」

「すぐ行く。道案内を」


 少年の案内で山の中に入っていく。

 下草を踏み荒らし、リュシャは先を進んだ。雪解けのせいで山の土はぬかるみ、少し歩いただけで踝まで汚れる。


「ここまで来たら大丈夫。もうおかえり」

「で、でも」

「タタリの周りには瘴気が出ている。耐性の無いものが行くと死ぬ。大丈夫だから、もうおかえり」

「じゃあここで待ってる。待ってるから、妹をお願い!」

「……わかった」


 リュシャは山の中を急いだ。

 さっきから時折異臭がしている。タタリが近くにいる証だ。

 タタリに飲まれたら一刻も早く助け出さないといけない。子供は精気が強いから多少耐性はあるだろうが……


(あそこか)


 鼻につく異臭がどんどん強くなっていく。瘴気だ。

 肌が粟立つ。

 リュシャは自分を沈めるように、大きく息を吐いた。


《震え、震え、幽世かくりよの》


 呼び水の詞を唱えながら、ゆっくりと近づいていく。


《我此処に有、古の、恩に報いゆ。しろたへッ》


 空気が歪んだ。

 一瞬世界が凍りき、一拍後、地面からタタリが姿を現す。

 タタリはそのままリュシャを飲み込まんと、大きく口を開けた。

 

 黒い。黒い固まり。粘り気のある、泥水のような何か。蛇の鱗のような光沢は見ているだけでもぞっとする。


 リュシャが素早く避けると、タタリは何かを探すようにもぞもぞと身を震わせた。

 その、背中に当たるような部分に、小さな手が見える。


 リュシャはポーチから吹き矢を取り出し、少女のあたりを狙って矢を放つ。

 トスという小気味の良い音と、タタリの絶叫が響いたのは同時だった。獣のような鳥のような、人ならざる声をあげてタタリは体を震わせた。

 吹き矢の刺さった部分からタタリの体が溶けだしていく。


「月に晒した岩塩を塗ってある。効くだろう」


 リュシャはタタリが身を震わせているうちに近くかけより、伸ばされた少女の腕を掴んだ。


「行くよ!」


 思い切り腕を引く。タタリの中に飲み込まれた少女の体が僅かに動く。

 リュシャはいっそう力を入れて少女を引いた。そして、少女の体が抜けた瞬間、代わりに何かを突き刺した。


 タタリが身を引き絞るように声を上げる。


《愛し給え、許し給え、我らが長よ。輪廻りんねに帰り永久とわとなれ。振るえ、振るえ、我が為に。君が為にと巡り給え》


 タタリの絶叫に被せるようにして、詞を唱える。

 タタリに突き立てた祓いのヤマモモの枝が、ジュウと音を立てて消えていく。それとともに、タタリの体も崩れ落ち、地面に還っていく。


 リュシャはタタリがもう動けないことを確認すると、足元に倒れ込んでいる少女を助け起こした。


「おい!聞こえるか!おい!」


 ぐったりと少女に血の気はない。

 脈も遅く、身体も死んだように冷たかった。


「死ぬな。死ぬなよ」


 指先を噛み、自分の血で印を描く。

 少女の額と両頬、そして胸の部分に手を置いた。


現世うつしよの、細き洞の、中にいて。御霊をおろせ、たらちねの君》


 詞を唱え終えるとともに、印が淡く光り、熱を持つ。

 リュシャは何度も詞を唱え、少女の頬に赤みが指すのを待った。


(大丈夫。魂まで食われてはいない。大丈夫)


 三度目かの詞を唱え終えたとき、少女がゆっくりと目を覚ました。


「よかった…‥ナミ、大丈夫?」

「リュシャ……?どうして?」

「もう大丈夫。一緒に戻ろうか」


 リュシャは少女を背負い、少年が待つ場所へと戻った。








「リュシャ、ありがとう」

「いいえ。これが私の仕事だから」

「ありがとうございます本当に……!リュシャさんがいなかったら、どうなっていたか……!」

「気をつけてください。山に入るなとは言いませんが、山は神々の敷地ですから」

「ええ、よく言い聞かせておきます」

「また何かあったら来てください。……しばらくは、ここに滞在する予定なので」


 リュシャは二人を家に送り、涙を浮かべて礼を言う母親に頭を下げた。

 そしてふらふらと自分の家に戻ってくる。

 木製の立て付けの悪い扉を開けて中に入り、汚れた靴を脱ぎ捨てる。

 とりあえずお茶でも飲もうと顔を上げると、リュシャの先に先客がいた。


「無用心ではないかね?鍵もかけずに飛び出すとは」


 居間の中央で、のんきにお茶を飲んでいる。

 その後ろは彼の配下と思しき男たちが二人控えていた。


「…………ミュンテ公」

「サステナがどうしてもお前が頷いてくれないと嘆いているから、私自らお願いにきたのだ」

「…………」

「去年から急増しているあのタタリは自然発生的に起きたものではない。人為的に仕組まれたものだ。恐らくは南のユグノあたりの仕業だろう。タタリのおかげで二つの村と、三つの街が消えた。早急に対処する必要がある。君も、実感しているだろう?タタリの質が変わってきていると」


 公爵がティーカップを机に置く。

 蜂蜜のような金髪をかきあげながらリュシャを見据える。菫のような紫色の瞳に、国の若い娘達がみな黄色い声を上げているのをリュシャも知っていた。


「それで考えたわけだ。人ならざるものに対抗するためには、人ならざるものに任せなければならぬ。幸い我が国には多くの神々がいる。その神々に助力いただけないかと」


 その横っ面をひっぱたきたい!

 リュシャは反射的にそう思った。


「確かに、この国は神降りの地と呼ばれたほど、多くの神々がいた場所です。そんな土地にどうしてタタリが続出しているかわかりますか?人が神を忘れ、神の加護を失ったからですよ。それなのに!また、図々しくも神々に人を助けろというんですか!」

「そうだ」

「恥知らずが!」

「おいっ!」


 リュシャの暴言に、背後の二人が声を荒げる。

 公爵はそれを片手を上げて諌めた。


「……良い。君の言うこともわからんでもない。ただ民を助ける方法があるのなら、私は何でもする。一介の呪い師である君に、直接会いに来たのもひとえに民を救うためだ」


 公爵の表情はまったくもって変わらなかった。リュシャが家に入ってきた瞬間も、配下の者を諌めた瞬間も。ただ、民を守るといったときにだけ、その瞳に熱が生まれたような気がした。


 リュシャは黙り込み、公爵を睨みつける。


「引き受けてはくれないかね?最高神の妻となることを」

 





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