027
「おのれ薄汚いドワーフどもめ――っ! もはや許しておけぬ!」
エルフたちは激怒した。ドワーフが鉱山から川へ垂れ流す穢れた水のせいで、おそるべき疫病が蔓延していたのだ。手足がしびれ、全身に痛み、骨はもろくなり、狂気に侵される。これ以上グズグズしていたら、おおげさなハナシでも何でもなく、この一帯のエルフは絶滅してしまうだろう。まだ戦える者たちが残っているうちに、ヤツらを排除しなければ。
「……それにしても、ヤツらはホントにドワーフなのか?」
「いきなり何を言い出す?」
「確かにドワーフといえば、チビでクサくてガサツでブサイクな種族だったさ……。だがけっして、あんな醜いバケモノじゃアなかったハズだ」
「しかし、連中は間違いなくドワーフだぞ。ある日突然、まったく別の集団と替わったワケじゃない。われわれが気づかない程度に、少しずつ変わっていたんだろう。今やおもかげはカケラもない」
「いいかげんにしろ。連中がドワーフかどうかなんて関係ない。ヤツらは敵だ。滅ぼさなければ、私たちが滅ぼされる。道はふたつにひとつだ」
「言われずともわかっているさ。とはいえ、いかにして戦うか――」
鉱山からの病のせいで、まともに剣を振れる者はごくわずかだ。数では到底ドワーフに敵わない。さらに厄介な点は、こちらから鉱山へ攻め込まなければならないというコトだ。単純に地の利が相手にあるだけでなく、鉱山内部は迷宮のように入り組んでいて、遭難してしまえば敵に殺されるまでもない。
時間が経てば経つほど、確実に状況が悪くなっていくのは理解しているものの、あまりの勝ち目の見えなさに、どうしても二の足を踏まざるをえない。もし失敗すれば、それこそあとがなくなってしまう。結果、作戦会議は一向に進展を見せなかった。ここが闇に包まれた〈東の森〉でなければ、昇っては沈むのをくりかえす太陽に焦らされ、平静さを保つコトはできなかっただろう。
停滞した空気を乱すように、見張りをしていた兵士が駆け込んで来た。「申し上げます。屋敷の外に、奇妙な馬車が現れました」
「奇妙とはどういうコトだ?」
「それが奇妙としか言いようがなく。おそらく馬車だとは思うのですが、外観が摩訶不思議なのもさるコトながら、なんと馬が引いていないのです。にもかかわらず動いている」
「で、誰が乗っていたんだ?」
まさかドワーフが攻め込んできたというコトはあるまい。ヤツらはエルフなど眼中にしていない。ひたすら穴掘りに夢中なのだ。何かに取りつかれているようでさえある。
では、ほかのエルフ氏族が遣いをよこしたか。このような状況に陥ってから、たびたび救援を頼んでいるのだが、いまだ返事は届いていない。どうやら穢れた水をおそれているらしい。それがようやく重い腰を上げたのかもしれない。
だが見張りの男は首を横に振って、「どちらでもありません。これまで見たコトのない種族です」
「エルフでもドワーフでもない、だと? 何者なんだ、その男は」
「いえ男でもなく、女ですが。それもたったひとりで」
聞けば聞くほど奇妙なハナシだ。その女はどこからやって来たのだろうか。何が目的なのだろうか。何もかもが謎めいている。
「かの女は何でも、ドワーフ討伐に協力したいとか」
「そういうコトは早く言わんか。このうつけ」
ふだんならば問答無用で追い払うところだが、今ばかりは事情が違う。溺れず済むならわらにもすがりたかったのだ。
すぐさまこの場所へ通された女に対し、エルフたちはまっさきに尋ねた。「いろいろと訊きたいコトはあるが、とりあえず名は何と言う?」
女は肩をすくめて、「アタシの名前なんてどうでもいいさ。名無しだろうと何だろうとね」
竜の好物は金銀財宝と、乙女の血肉だ。ゆえにお宝があれば奪うし、美味そうな娘がいれば誘拐する――もちろん食うためだ。
ただし、竜が人里を襲うのはごくまれだ。なぜなら、ひとと竜では生きる時間が違う。満腹でひと眠りするあいだに、ひとつの文明が栄枯盛衰しさえする。裏を返せば、主観的な体感時間はほとんど変わらないとも言えるが。
今の時期、竜はいわば冬眠の期間だった。それをあろうコトか、たたき起こした者がいる。
「何をしやがるクソアマ。おれに食われたいのか?」
そう言ってみたものの、竜はまったく食欲が湧かなかった。その美貌は本来なら実にそそるハズなのだが、どうにも気分が乗らない。理由を考えて、ようやく気づく。「うわァ! なんだおまえさん正気か? 全身クソまみれじゃアねえか」
「このザマなら、アンタに食われる心配はない」
「いや、確かにそのとおりだが、そんな得意げに言われても……よく耐えられるな……そしてくさい……」
鼻をふさごうにも、竜には手がない。ガマンするしかなかった。
「自分ばっかりツライと思うな。一番ツライのは当のアタシだ。早くカラダを洗い流したい……でも、チャント落ちるかなァ……」
「ほら、さっさと用件を言え。まァまずは名前を聞こう」
「名前なんてどうでもいいさ」
「心配しなくても、笑い者にしようってワケじゃアない。おまえさんのたぐいまれな勇気と根性を称えたいだけさ」
「ああ、違うんだ。アタシは何者でもない名無し。ただのどこにでもいる女だ。アンタがただの竜であるように」
「おれはクソまみれの女なんて、産まれて初めて見たが……まァいい。おまえさんみたいなイイ女がクソまみれになってまで、おれに会いに来た用はなんだ」
女はあくどい商人のような笑みを浮かべて、「竜よ、アンタに耳寄りな情報がある。アンタの大好きな財宝と乙女が、一挙に手に入るハナシがね」
気まぐれな竜のおかげで、エルフとの長きにわたる戦争は、いよいよ勝敗が決したと言っていい。この〈西つ国〉の覇権は
もうすぐ平和が訪れる――そう誰もが期待した矢先に、その事態は起こった。国じゅうのあちこちで虐殺事件が発生したのだ。
はじめはエルフたちのしわざだと思われていた。しかし、エルフもまた尋常ではない被害が出ていた。それどころか、ゴブリンやオークまでも殺された。家畜や野山の獣たち、魔物すら手当たりしだいに。生きとし生けるものすべてが危機に瀕していた。
竜でさえその暴虐には理由があり、意志がある。けれども今〈西つ国〉で起きている惨劇は違う。疫病や洪水、落雷などと同じたぐいの理不尽だ。
しかし一方で、それらの災害とは確実に異なる部分がある。被害者はみな、殺されているのだ。誰も彼も、運悪く巻き込まれて、結果的に死んでしまったワケではない。ナニモノかの明確な殺意が、彼らに死をもたらした。
このおそるべき事態を引き起こしているモノが何か、まだわかっていない。生き残った者がひとりもいないからだ。何もわからぬまま、なすすべもなく、この地に住まう命が失われていく。
誰もが正体不明の殺戮者に恐怖を覚えた。家のなかに引きこもる者もいれば、気にしていないフリをして普段どおり生活し、正気を保とうとする者も。
けれども、その青年――ラインハルトだけは違った。彼の心を支配しているのは怒り、そして嘆きだった。
ほかの者たちにも少なからずそういった感情はあったが、ラインハルトほど強い感情ではなく、また恐怖に打ち負かされてもいた。彼だけが恐怖を克服し、災厄に立ち向かう勇気を持ち合わせていたゆいいつの存在と言えるだろう。
けれども死神の正体はわからず、ラインハルトはたったひとり。何ができるワケでもない。無力さをかみしめながら、丘の上で祈りをささげるくらいしかできなかった。このあたりではもっとも天国に近いであろう、その丘で。
「この地を守護するという名もなき女神よ。もし本当に実在するなら、どうかあわれみたまえ。この私に力を授けてほしい。かつてエルフに〈聖なるダイナマイト〉を与えたときのように。〈西つ国〉を覆い尽くそうとしている災厄に、立ち向かう力を」
彼の切なる祈りが聞き届けられたのか、神秘的なコトが起こった。何もない空間から突如、彼の目の前に、馬の引かない奇妙な馬車が出現したのだ。
「もしやアレこそ伝説の〈聖なるデロリアン〉じゃアないかっ」
ラインハルトがあわてて駆け寄ると、翼を広げるように扉が開き、なかからこの世のものとも思えぬ美貌が現れた。作物の豊穣を予感させるような成熟したカラダつき。砂漠のようにキメ細やかでなめらかな、それでいてうるおいに満ちた肌。いかなる宝石よりも美しく輝く瞳は、何もかもを見透かすかのよう。人間ごときにはおしはかれぬ思慮深さを感じる。
そのあまりの神々しさに畏敬の念をいだいて、ラインハルトはみずから平伏した。「おお、女神よ。われらをあわれみたまえ」
「そうかしこまらなくていい。アタシは何者でもないんだから。とはいえ、アンタの願いを叶えに来たのは事実だ。その背中を踏んでやってもいいし、足をなめたければ好きなだけなめさせてやる。だけどラインハルト、アンタが望んでいるのはそんなコトじゃないくらい、アタシはチャント知っている」
女神は〈聖なるデロリアン〉から棺桶を下ろした。
「このなかには、死が眠っている。悪党どもに与えるべき無慈悲な死が。この力をもってすれば、魔王ボーレガードなんておそれるまでもない」
「魔王ボーレガード! それが現在、この〈西つ国〉を恐怖のドン底に陥れている存在なのですか」
「ああ、そうとも。だからヤツを倒せ、それがアンタの使命であり運命だ。たとえ死によっても逃れるコトはできない。その覚悟が、アンタにあるかい?」
「――私は男だ。居心地のイイ母の腹から出でて、この世界に産まれてくるコトに比べれば、それ以外の覚悟なんてクソ以下だ。男に二言はない」
ラインハルトは迷わず棺桶のフタを蹴り開けて、なかから〈聖なる機関銃〉を取り上げた。
「“どちらがりっぱな生き方か、このまま心のうちに暴虐な運命の矢弾をじっと耐えしのぶことか、それとも寄せくる怒涛の苦難に敢然と立ちむかい、闘ってそれに終止符をうつことか……”すばらしい。アンタこそ真の勇者だ」
魔王を倒したのちも、ラインハルトは勇者として〈西つ国〉の平和のために力を尽くした。
だが彼もしょせんは
最期を目前に控えて、ラインハルトはおのが棺桶に横たわった。その胸に〈聖なる機関銃〉を抱いて。
薄れゆく意識のなかで、彼は女神のまぼろしを見た。
いや、幻覚ではない。それはまさしく現実の女神にほかならない。
いよいよ迎えが来たかと確信したラインハルトだが、彼女の口から出てきた言葉は、予想外のものだった。
「この地に瘴気が満ちるとき、魔王は復活する」
「――今、なんと?」
「これは絶対運命黙示録。かならず実現する未来。だけどそのとき勇者がいなければ、この世界はどうなるか」
「おおっ――短命の
「その心配はないよ」名無しの女は微笑んで、「言っただろ? 魔王を倒すコトがアンタの使命であり運命、たとえ死によっても逃れるコトはできない――ってねェ」
ラインハルトは恐怖した。そんな自分が信じられなかった。魔王に対しても、おのれの死さえも、たぐいまれな勇気で打ち勝ってきた勇者が、生まれて初めて怖いと思った――あるいは母親の腹から出ていくとき以来に。ワケもわからず逃げたかった。女が告げようとしているその先を聞きたくなかった。
だが悲しいかな。もはや今の彼の両手には、おのれの耳をふさぐ力も残されていなかった。
「何も魔王のコトだけじゃアない。この地にはまだ勇者が必要だ。だからアンタには、死してもすぐさま生まれ変わってもらうよ」
「ああっ! なんと――この世界はおそろしい。実におそろしい。理不尽にあふれている。なかでも一番の恐怖は、産まれいづるコトだ。それをくりかえせと、あなたはそうおっしゃるのですかっ」
「ああ、そうだよ。しかも一度や二度じゃアない。何度もくりかえすんだ。何度も何度も。男に生まれるかもしれないし、女に生まれるかもしれない。
「
「男に二言はないンだろォ?」
ラインハルトは死にたくないと思った。死ねばまた生まれなければならない。そんな目に遭うくらいなら、このまま永遠に、死に際のまどろみのなかで生き続けたかった。
けれどそれは叶わぬ夢――。
「死んで生まれて死んで生まれて、いくたの人生をまっとうし、そうして千の貌を手に入れ、貌を失う。無貌になる。アンタは何者でもなくなるのさ。このアタシと同じようにね」
「女神よ……あなたは、もしや……」
その問いを最後まで口にするよりも早く、ラインハルトの魂は次なる人生へと導かれた。
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