026

「ここは騒がしいね。落ち着いて話せる場所へ移動しよう」

 名無しの女に言われるがままに、ふたりはだまってあとをついていった。混乱しすぎて素直に従うしかできなかった。

 連れて来られたのは、なんとフォーシーズンズホテルのスウィートルームだった。「ハラペコなようだったら、ルームサービスで何か頼もうか」

 サクラはいぶかしんで、「どうしてこんな部屋取れる大金持ってるのよ?」

「タイムマシンでサブプライムローンが焦げつく前へ戻って、モーゲージ債のクレジット・デフォルト・スワップを買いあさったんだ。いやはや、ボロ儲けすぎて笑いが止まらなかったね実際」

「にしたって、それなりの元手がないと」

「白状すると、元手は竜の財宝だよ。ダークエルフに竜が退治されたって教えてあげた謝礼の一部」女は何でもないコトのように告げた。

「……オイ、今のは幻聴か? てめえ、とんでもねえコトをサラっとぬかしやがらなかったか」

「もっと言うと、コルブッチに濡れ衣を着せたのもアタシのしわざ」

 ジャンゴは言葉を失った。ワケがワカラナイ。何だかんだ言いつつ、ジャンゴはこの女のコトを信じていた。勇者を助けるために行動してくれているのだと。

「何なんだ……いったい何がしてえんだてめえは……。チャントわかるように説明してくれよ……。じゃねえとおれは……てめえをぶち殺したくなる」

「理由を挙げようと思えば、いくらでも挙げられないコトもない。アタシが竜の財宝を手に入れるためとか、あのタイミングでアンタにコルブッチを追わせてサクラと出会わせるためとか。――でも、モロモロの事情に関係なく、そうなるコトは最初から決まっていたのさ。なにせそれらは、すでに起きた出来事なんだから」

「何を、言っていやがる……?」

「例えばさっきも言ったけど、アンタらふたりがこの時代へ来るためには、このあとアタシがタイムマシンをあの洞窟へ戻さなきゃアならない。言い換えれば、ここでの会合が実現した時点で、会合はもう終わってるコトになる」

 サクラが口をはさむ。「ようするに、過去は変えられないって言いたいワケ?」

「“女が学者であることは長所ではない。しかも学者ぶることは非常な短所である。”」

「ケンカ売ってんの?」

「過去は変えられないなんて、そんなのはアタシが同意するまでもなく、アンタは気づいてるハズだよサクラ。そもそもタイムマシンは、時間をさかのぼれるワケじゃないんだから」

「オイオイ、デタラメ言ってんじゃねえ。事実としておれたちはこうして過去へやって来てるだろうが」

「それは美少女女子校生天才科学者のサクラ大先生の口から、直接聞くといい。さァ、そこのバカにわかりやすく教えてやってよ」

「誰がバカだ」

「タイムマシンが時間を超える基本原理は、ウラシマ効果――つまり白鯨の体内と同じ。光速に近づくコトでタイムマシン内を流れる時間は遅くなり、そのあいだに世界の時間がどんどん過ぎ去った結果、未来が向こうから押し寄せてくる。時間は川の流れのように、過去から未来への一方通行、けっして逆流はしない。だから過去へ行くコトは理論上、不可能なの」

「そりゃア机上の空論なんじゃねえのか? 実際ここは過去なんだから。もしその理屈が正しいとしたら、ここはどこなんだってハナシだぜ」

「……この時代は確かに過去ではあるけれど、同時に現在でもあり、また未来でもある」

 その答えにジャンゴはあきれて、「ひとをバカにするのも大概にしろよ。アレか? おれから見ればここは過去だが、おまえから見ればここは現在だとか言いてえワケか。そんな屁理屈でおれが納得するなんて、本気で思ってやがるとは信じたくねえなァ」

「まァそういう側面もあるけれど、アタシが言いたいのは違う。いい? 時間が一方向にしか流れないっていう大前提で、それでも過去へ行けると仮定すると、考えられる可能性はひとつだけ――未来のあとに過去が続いていればいい。この世界の時間は、円環の理に閉ざされているのよ」

「……ハァ?」サクラが何を言っているのか、ジャンゴはサッパリ理解できなかった。竜の心臓で得た叡智は、もはや何の役にも立っていない。

「だからね、この世界は寿命を迎えると同時に、またスタート地点へ戻るように出来てるワケ。例えるなら、表紙と背表紙をノリ付けした本ってトコかな」

「あー……ようするに、同じ場所をグルグルまわり続けてるってコトか? 歴史を何度も最初からくりかえしてると? けどそれなら、過去を変えられねえってのはおかしくねえか? 新たにやりなおしてるなら、タイムマシン使えばいくらでも改変し放題だろ」

「その解釈だと、時間を円環じゃなくて螺旋で捉えているわ。時間が螺旋構造だとすれば、1周目と同じ出来事を地道になぞっているだけなワケで、そのばあい未来は単なる予定に過ぎないから、タイムマシンで介入すれば改変も可能でしょうね。でも、時間が輪になってつながっているばあい、現在は確定した過去と未来で挟まれているコトになる。タイムマシンで過去へ行くという行為は、未来の時点ですでに起きているし、未来でタイムマシンに乗るコトはすでに過去の段階で決まっている。だから時間を流れているって表現するのも正しくなくて、むしろ静止していると言うべきだわ。過去から現在、未来へ自分が移動するワケじゃなくて、過去現在未来のそれぞれに自分が散在している。この世界は本だって言ったでしょ。その本には結末まで記されている。誰かが途中までしか読んでなかったり、前のページへ行ったり来たりしても、あとの展開が存在しなくなるワケじゃないし、結末を先に読んだからって前の展開が書かれていないワケでもない。ページをめくろうとめくるまいと、物語はチャントそこにある」

 そう言われても、ジャンゴにはイメージがまったくつかめない。かく言うサクラ自身、眉間にしわをよせながらうめくように述べていて、自分でも理屈をチャント理解できているのかどうか怪しい。

 だが理屈を理解できようとできなかろうと、とにかく過去は変えられないという事実を、この場は納得するしかないようだった。

「そろそろ話を戻していいかい?」名無しの女は言った。「ていうか何の話してたんだっけ?」

「トボけるな。ごたくは聞き飽きたぜ。結局てめえの目的は何だ?」

「過去も未来もすでに確定しているんだから、今さらアタシ個人の意志を知ったところで、たいした意味はないと思うけど」

「なら訊くが、この世界の連中は誰も彼も、シナリオから外れねえように自分の役を演じてるとでも? 違えだろ。みんな役者なんかじゃねえ。ただ素の自分を生きてるんだ。単にその結果がワンパターンしかねえってだけのコトだろ」

 未来へ帰りたがるジャンゴをサクラが引き止めるのは、そうするとシナリオに記されているからか? ジャンゴがサクラの説得に応じないのは、あらかじめ決まっているからか? それは断じて違う。たとえ因果がすでに決定しているとしても、いや、だからこそ、原因と結果は等価なのだ。彼ら自身の意志があるからこそ、おたがいすれ違わざるをえない。

 名無しの女はうれしそうに微笑んで、「なんだい、わかっていないようでいて、チャント本質をわかっているじゃアないか。いや、アタシは知っていたけどさ。時間が円環に閉じているからといって、それはけっして何度もくりかえすコトを意味しない。なぜなら時間は静止しているんだから。なまじタイムマシンで過去へ来たばっかりに、流れているように見える。だが、タイムマシンはあくまで過去の世界へ移動するのであって、過去の自分に成り変わるワケじゃない。くりかえしなんて錯覚だよ。人生は一度キリだ。歴史にIFはないのさ」

 そう語る姿に、ジャンゴは初めて彼女の偽らざる素顔を見た気がした。得体のしれないヤツだと思っていたが、何者でもない女のなかに今は確固たる自我を感じる。今なら本音が聞けるかもしれない。

「あらためて訊くぜ。人生が一度キリだっていうなら、てめえはいったい何を成し遂げようと?」

「――決まってる。アタシはまだ見ぬ未来へたどり着きたいのさ」

 突如。女の笑みが豹変した。あまりの不気味さに、ジャンゴの背筋が凍りつく。ようやく会話の主導権を握ったつもりでいたが、それはジャンゴの気のせいだったようだ。

「アタシはタイムマシンでやって来た未来のアタシに、先の展開をことこまかに教え込まれた。そのせいで、これがホントに自分の意志なのか確信が持てなかった。だけどそれも終わりだ。もうすぐアタシの知らない未来が訪れる。のちのちの展開もキッチリ定められているんだろうけど、知ったコトじゃアない。アタシはネタバレなしで純粋に感動したいんだ。――なんて言っておいて何だけど、ゴメンね。これからアタシはアンタにネタバレする。アンタの言葉で、未来のアタシの気持ちを理解できたよ。もちろん不安だったのもあるだろうさ、ホントにアタシがシナリオどおり動いてくれるのか。でもそれ以上に、ネタバレしたくてしかたなかったんだ。ネタバレするのって愉しいんだよ。ネタバレされたとき相手の反応を見るのが。過去のアタシを自分と同じ目に遭わせたかったんだ。これも結局、確定した事象に過ぎないとしても、そこに意志がともなうかどうかが肝心だね。――ああ、未来のアタシも一字一句たがわず、このアタシとおんなじコトを言ってたっけ」

 女はジャンゴに向かって話しているようでいて、その実、壮大なヒトリゴトなのではないだろうか。目の焦点が合っておらず、どこか遠くを眺めているように見える。その視線の先は、はたして過去か、未来か。これまで感じたコトのない正体不明の恐怖が、ジャンゴを襲った。もうこれ以上、そんな目で見つめられるコトに耐えられない。

「未来へ帰る方法を知りたい? 魔王ボーレガードを倒すために。イイとも、教えてあげよう。ただし聞けばその先は地獄だ。“そのとおりだ。運命の車はみごとひとまわりし、おれはこのとおりどん底だ”」名無しの女はジャンゴを指さして、「覚悟はイイかい? ア・タ・シ」

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