025
燃えるわだちを引き連れて、タイムマシンが出現する。
ジャンゴたちは何か焦げ臭さを感じた。ついでボンネットと車体の真下から煙が出ているコトに気づく。ふたりはあわてて車外へ逃げ出した。
するとジャンゴは、日中とは思えない寒さを覚えた。そして、車内からは煙のせいで見えなかった外の風景に気がついて、仰天した。
そこは〈西つ国〉全体に広がっているハズの、不毛な荒野ではなかった。地面は固い岩盤のようなもので覆い尽くされていて、道のはしにはもう何年も目にしていなかった木々が、行儀よく整然と一列に並んで生えている。
空は異様に狭い。王都ミリアンでも目にしたことのないような、ものすごい高さの塔が、ところせましと乱立している。
周囲は多くの人々であふれていた。誰もが奇妙な身なりをしている。また見たところ
人々は突然現れたジャンゴたちに、ほとんど興味を示していなかった。なかにはいぶかしげに観察している者もいるにはいるようだが、あくまで少数派だった。おそらく何かの見間違いだと思っているか、あるいは本当に気づいていないのだろう。彼らの多くは手のひらに持った板のようなものに見入っていたり、その表面を指でなでたりしている。
それから、ひとの数に負けず劣らず、〈聖なるデロリアン〉と同じ馬の引かない車が走っている。どうやらそれがアタリマエらしい。信じられない。
「どうなってんだこりゃア……いったいここはどこなんだ……?」
「西暦2015年10月25日。アメリカ合衆国の一大都市、ニューヨークよ」サクラが告げた。
「アメリカ?」それは確か、サクラがもともといた世界の国ではなかったか。
「おまえが〈西つ国〉へ飛ばされたときみたいに、今回は逆におまえの世界へ来ちまったってコトか?」
何やらタイムマシンが異常な煙を吐き出しているし、故障が原因でそうなったとしても不思議ではない。
「ううん。違うわ」しかしサクラは否定して、「そもそも異世界なんかじゃなかったのよ。この時代と〈西つ国〉は地続きの同一世界――未来の地球だったの」
そして彼女はジャンゴの背後を指さした。
おそるおそる振り返る。注意深く目をこらすと、無数にそびえ立った塔の隙間から、あの巨大な女神像が見えた。ただし、前に見たときと違って損傷がなく、美しい姿で。
「アレは自由の女神っていうの。ニューヨークのシンボル。あたしも向こうで女神像を見た時点じゃア、まだ半信半疑だったけどね。ディドロ効果で自由の女神が補完されたのかって。確信したのは、白鯨の体内でイケクラタに会ったとき。あの男は150年近く前に海難事故で死んだコトになってたんだよ。そのときからずっと白鯨のなかにいたワケね。白鯨の体内と体外じゃア、時間の流れが違うから」
「待て。待てよ。チョット待ってくれ」ジャンゴはアタマをかかえた。「つまりどういうコトだ? ここが異世界じゃねえってんなら、おまえはいつでも自分の時代へ帰れたワケで、だから――」
「しかたなかったの」サクラは申し訳なさそうに、「だって、ナイトラスオキサイドシステムに必要な亜酸化窒素のタンクは、行きと帰りに予備を合わせて3本しかなかったんだもん。亜酸化窒素なんて〈西つ国〉じゃ手に入れようがないし、ボーレガードが〈知恵の鮭〉を食べる前の時間へ戻ったら、あたしがこの時代へ帰る分がなくなっちゃう」
「……おまえの言い分はわかった。小難しい話にまだイマイチ理解が追いついてねえけども、とにかく納得したぜ」
「ホント?」
「ああ。バカなヤツだな。そういう事情があるんだったら、素直に教えてくれりゃアよかったんだ。おれがムリヤリ従わせるとでも思ったか?」
「そういうワケじゃアないけど……何となく言い出せなくって……」
「亜酸化窒素とやらだって、この時代へ戻ってくれば手に入るんだろ? だったらこっちで補給してから、おれを送ってくれればいいだけじゃアねえか」
「それはダメ」サクラはそれまでのしおらしさが嘘のように、断固とした態度で拒絶した。
ジャンゴは困惑して、「ハァ? なんでだよ。もしかしてあの未来へ戻るのが怖いのか? だったらおれひとりで行く。タイムマシンをおれに預けてくれ。かならず返すから。ゼッタイ約束する」
「そうじゃないわ。コレ見てわかるでしょ?」車体から立ちこめる煙を指さして、「メンテナンスもなしに、3連続でナイトラスオキサイドシステム使ったのがいけなかったのかもしれない。それか鯨油が合わなかったのかもしれないわ。チャント確認してみなきゃ正確なコトはわからないけど、たぶんエンジンがイカレてる。こんな状態じゃア動かせない」
「だったら直してくれよ。時間はいくらかかってもいい。どうせタイムマシンで戻るんだから関係ねえし」
「ザンネンでした! 時間があっても、おカネがないのよ。タイムマシンの開発費用でサイフがスッカラカンなの。あたしがどうして最初に未来へ行こうとしたと? 未来で宝くじの当選番号を入手して、一発当てるつもりだったのよ。けど知ってのとおり、そのもくろみはパー」
「だが、それこそ時間があればカネなんかいくらでも――おれにできるコトなら何でもするし――」
サクラは心底不思議そうに、「ねえ、なんでそこまでして戻りたがるの? どうしてあんなヒドイ未来へ戻るの?」
「そんなの決まってる。おれが勇者だからだ」
「勇者は魔王を倒して、世界を救わなくっちゃいけないって?」サクラは腹をかかえて爆笑した。「チャンチャラおかしいわ。たとえボーレガードを倒したところで、もうディドロ効果は止まらない。ゴブリンたちは銃火器と車を手に入れる。ひょっとしたら今度こそ新しい魔王が補完されるかもしれない。そうでなくても、あの国はオシマイよ。たかが勇者ひとりに何ができるって?」
ジャンゴは何も反論できなかった。サクラの言うとおりだ。ジャンゴひとりで立ち向かったところで、もはや勝ち目はない。
「……それでも、おれは勇者なんだ。いや、おれは勇者である以前に〈西つ国〉の住人だ。クソ暑いわ砂ぼこりすげえわ水も食糧も貴重だわカネねえわ、とにかくクソッタレなところだが、それでもおれの国だ。あんなクソッタレどもにおれの国を好き勝手されるのは、ガマンならねえ。だまって見てるなんざゴメンだ。誰に無理強いされてるわけでもなく、おれ自身の意志で。おれの魂がそう命じてるのさ」
「ハイハイご立派ご立派。でも、ハイそうですかって同意できるほど、あたしは冷たいヤツじゃアないの。絶対死ぬのがわかっててあんたを送り出したら、あたしはきっと後悔する。罪悪感に押しつぶされる。そんなのはゴメンだわ」
「素直に言ったらどうだ? おれに惚れちまったから死なせたくねえって」
「なに言ってんの? あんたがあたしに惚れたんでしょ? 好きな女の前だからってカッコつけなくていいから」
「このわからず屋ァ」
「そっちこそ――」
ふたりが激しく言い争っていると、それを遠巻きに見ていた野次馬のなかから、ひとりが進み出て割って入ってきた。「“かりに私が敗れるとしても、もともと名誉などもたなかった男が一人恥をかくだけのこと、あるいは私が殺されるとしても、心から死ぬことを望んでいる男が一人死ぬだけの話です。そうなりましても友人に迷惑をかけはしません、私の死を悲しんでくれる友人などいないのですから。また世のなかに害を与えはしません。この世になに一つもたない私なのですから。この世界で私はただ一人分の場所をふさいでいるだけの男です、私がそこをどけばもっとましな人間があとを埋めてくれるでしょう。”」
「て、てめえっ――」ジャンゴは闖入者を見て、絶句した。
おどろいているのはサクラも同様だ。「嘘でしょ――なんであんたがここに――」
「カンタンなコトだよ。アンタらは3ヶ月ものあいだ、タイムマシンをほったらかしにしてたじゃアないか――まァ時間は関係ないが。燃料は石油がいくらでもあったし。このあとアタシは、アンタらがチャントこの時代へ来れるように、またあの洞窟へタイムマシンを戻さなきゃならない」
――名無しの女が、そこにいた。
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