023
ジャンゴは気がつくと、立派な部屋のなかにいた。室内には窓ひとつなくランプが灯っていて、昼か夜かもわからない。そばにいたサクラもすぐに目を覚まし、同様に困惑した。確か自分たちは、鯨に呑み込まれたハズだが。いったいここはどこだろう。湿気も少なく清潔で、とても快適な場所だ。
「気がついたようじゃのう?」室内に若い男が入って来た。奇妙な恰好をした男で、袖のやたら膨らんだ青い上着と、同じくすそのやたら膨らんだ白いズボンを穿き、腰には剣らしきものを2本――1本は長く1本は短い――差している。
サクラは目を丸くして、「さ、サムライぃ?」
「なんじゃ、そっちの男は間違いのう異人として、おまんも洋装じゃからどうかと思っちょったが、やっぱり日本人じゃったか。ちゅうかそいは水兵服がか? ええのう、わしらもホントはそういうのが着たかったぜよ」
どうやらこの男、サクラと同じ言語を話しているようだ。ならば同じ世界から来たというコトだろうか。
サクラはためらいがちに、「あの、失礼ですが、お名前は?」
「わしの名か? わしゃあカメヤマシャチュウのイケクラタちゅうモンじゃ。びっしりイケウチと間違えられちゅうが、違うぞね。イケが姓でクラタが名じゃ。クラタのクラはオオイシクラノスケのクラじゃき」
「イケクラタ――っ」サクラは息を呑んだ。
「もしやおまん、わしのこと知っちゅうがか?」
サクラとクラタ、それからクラノスケといったか、響きがよく似ている。サクラの反応も見るに、やはり同郷と見てよさそうだ。
だがそうなると、この男はどうやって〈西つ国〉へやって来たのだろうか。サクラのようにタイムマシンを使ったのだろうか。気になるところだが、今は他人のコトを気にしている場合ではない。
「おまん、サカモトさんがどうしちょるか知らんかのう。ワイルウエフ号が沈んだせいで、グラバーの言ってた『ベニスの商人』みたいになっちょらんとええんじゃが」
ジャンゴは言葉をさえぎって、「てめえの身の上話はどうでもいい。それよりここはどこなんだ?」
おのれのなかの叡智に解答を求めても、まったく知識が思い浮かんでこない。どうやらディドロ効果のせいか、本格的に力が薄れているようだ。
「おお! おんしゃア異人のくせに、げにまっこと日本語が達者じゃのう! どこから来ゆう? メリケンか? エゲレスか? オロシャか?」
「質問に質問で返すんじゃねえ。質問してるのはおれだ。さっさと質問に答えろ」
「ほたえな。そがなコト訊くまでもなか。ここは鯨の腹ンなかじゃきに」
「鯨の腹のなか? ここが?」
「まわりをよう見てみい。天井を支えちょるのは背骨じゃし、壁は肋骨で出来ちょる。これが真のアバラ屋ちゅうヤツぜよ」クラタは心底おかしそうに言った。
「背骨に沿った管はなんだ? 先端からランプに何か雫が垂れてるみたいだが」
「わしにもようけわからんが、管から垂れちょるのは油じゃ。アレのおかげでわしゃ餓えずに済んだぜよ。おんしらも舐めえや」
勧められたのでジャンゴが試してみると、実際油はとても甘くて美味しかった。次から次へとなめたくなる。
「一応言うちょくけんど、管には触らなや」
「なんでだ?」
「わからんが、嫌な予感がするぜよ。わしの勘はよう当たるきに。思えば出港するときも……。さすがに油だけちゅうのは何じゃ。どういうワケか知らんが、向こうに野イチゴがべらぼうにある。ほいたらざんじ取ってきちゃるき、ここで待っちょれ」
そう言って部屋を出て行こうとするクラタを、サクラが呼び止めた。「ねえ、あなたはどのくらいここに?」
「そいじゃのう……もうひと月ばーなるかいのう。まっこと時はごんごん過ぎゆうにゃあ」
「ひと月……」サクラはまたそれきりだまってしまった。
クラタが野イチゴを持ってくるのを待つあいだ、ジャンゴは管から垂れる油をなめ続けていた。美味い。美味すぎる。やめられない止まらない。雫が落ちるそばからなめる。ただし不満があるとすれば、一度に垂れる量があまりに少なすぎるコトだ。まどろっこしくてイライラする。
「……あいつはああ言ってたが、別に平気だろ。チョット口を広げるだけだ。ほんのチョットだけ。先っぽだけだから」
サクラがうわの空なのをいいコトに、魔が差したジャンゴは管の先端をマチェットソードで切り落とした。
すると、とたんに管から大量の油が流れ込んできた。みるみるうちにひざの高さまで浸かってしまう。
「なんだこりゃア!? このままじゃやべえぜオイ!」
「あんたがよけいなコトするからよバカ! アンポンタン! ボケナスカボチャ!」
さらに部屋全体が激しく揺れはじめる。「じ、地震っ! いや、だけどここは鯨の腹だぜ?」
クラタがあわてて戻ってくると、先の千切れた管に気づくや叫んだ。「たまるかこのかんきもん! いかんちや言うたぜよ!」
怒り狂って腰から白刃を抜いたクラタだったが、油に滑って転んでしまい、その拍子に刃がおのれの胸へ刺さって死んだ。ボーレガードのせいで死体を見飽きたハズのサクラが、これまで以上の悲鳴を上げる。「ああっ! せっかく無事だったのに!」
揺れはさらに激しくなる。さらに何やらすさまじい音も鳴り出して、頭がどうにかなってしまいそうだ。
「ッッッ――ありゃ?」
だが、やがて鳴り響いていた音は消え失せ、揺れも嘘のように収まった。今のは何だったのか。
答えはジャンゴ自身が知っていた。ようやく竜の心臓で得た叡智が反応してくれた。どうもあの管は、心臓からの動脈だったらしい。それを破ってしまったせいで、白鯨は息絶えてしまったのだ。
ならばいいかげん、この腹のなかから脱出を考えるべきだ。しかしどこが出口なのだろうか。探索してみたが、それらしい通路はどこにも見当たらない。例の野イチゴを見つけただけだ。野イチゴは実際かなり美味かった。
ならばと肉壁を破ろうとマチェットソードで突き刺してみる。だがあまりに分厚く、ムリに掘ろうとすると刃が折れてしまいそうだ。
「どうするのよ……。油はもう垂れてこないし、野イチゴだって数は限られてる。このままじゃアあたしたち、白鯨と一緒に死ぬしかないじゃない。アンタは転生できるからいいけどさァ」
「うるせえチョットだまってろ。今考えてる」
しかし頼みの綱の叡智も、鯨の腹からの脱出方法は教えてくれなかった。検索が不調というよりも、どうやら知恵でどうにかなる問題ではないらしい。外からの助けがなければ脱出は不可能だろう。そして、そんな都合よく誰かが助けてくれるハズもない。もはや完全に手詰まり――。
ジャンゴの脳裏に、名無しの女の姿がよぎる。あのご都合主義のカタマリのような女。もしかしたら女神の遣いかもしれない彼女がまた現れて、ここから助け出してくれるのではないだろうか。
「……いや、まさかな」
落ち着いて考えてみれば、いつでもあの女の助けがあったワケではない。ダークエルフたちに竜の財宝を横取りされたときも、ボーレガードから逃げたときも。はかない希望をいだくべきではない。
けれども、ジャンゴたちが絶望するコトなかった。
壁から一条の光が射し込む。それは太陽の光だった。何者かが白鯨の死骸に穴を開けたのだ。
はじめのうちはごく小さい穴だったが、徐々に口が広がっていき、やがてひとが通れるほどまでになった。
ジャンゴとサクラはわれ先にと出口から這い出る。
「助かった――あたしたち助かったのねっ」
「ああ……都合よく、な……」
外へ出てみると、そこは静かな浜辺だった。聞こえるのは波の音と、カモメの鳴き声だけ。
白鯨は死してなお強大だった。打ち上げられた死骸には、死肉食らいの鳥や獣どころか虫さえよりつかず、穏やかに腐敗が進んでいた。そのおこぼれにあずかって、ロコ船長の遺体も食い荒らされずに済んでいるようだ。腕に絡みついた縄のせいで逃げられなかったのか、あるいは死んでも離さなかったというコトだろうか。彼の名誉のために、後者だと信じておこう。
「もう砂時計の音にわずらわされることもねえ。〈大いなる静寂〉に抱かれて、やすらかに眠れ――」
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