021

 ウェルズ港へやって来ると、名無しの女の言葉どおり捕鯨船が用意されていた。屈強な船員たちもそろっている。荷物の積み込みもすでに完了し、いつでも出港できる態勢だ。

「お待ちしておりました勇者どの。私がペンギン号の船長ロコです」

「よろしく頼む。あんたは歴戦の船乗りだと聞いてるぜ。何でも仕留めた鯨の数は、両手足の指を合わせても足りねえとか」

「いやいや、めっそうもない。ほとんどはイルカと大差ない小物ですよ。それに一番の獲物は、いまだに仕留められていない。〈大いなる静寂〉をご存じで? あるいは単に白鯨とも」

 ジャンゴはすぐさまおのれのなかの叡智を検索したが、どういうワケか鯨の骨格の特異性やら、鯨肉の調理法やら関係ない情報ばかりが出てきて、お目当ての知識までたどりつけない。ジャンゴが叡智をいまだに使いこなせていないのか、それとも叡智をもってしても白鯨のコトは不明なのか。

 答えないのを答えと判断したか、ロコは白鯨について語り出した。

「おそろしくドデカい化け鯨です。ヤツの背中に町ひとつ築けるんじゃないかってくらいだ。もっとも、ヤツの背中にあるのは町じゃなくて、突き刺さった大量の銛ですがね。あれはさしずめ、これまでヤツに挑んで散った銛打ちたちの墓標ってところでしょうか。ヤツと出くわしたら、誰ひとり生き残るコトはできない。海はふたたび静寂を取り戻す――」

「ロコ船長。念のため確認しておくが、今回の航海は商売が目的じゃアない。それこそあんたが言う、小物1頭捕れれば充分なんだ。この船を雇った女からも、そう聞いているはずだが」

「ええ。それはもう重々承知しています。すでに船員たちには給金を前払いでいただいていますし、仕事がラクに越したコトはありません。こういう仕事をしているのでカンチガイされがちですが、別にどいつもこいつも命知らずってワケじゃアない」

「そうかい。ところでひとつ訊いても?」

「何でしょう?」

「その右手はどうしたんだ?」

「ああ、こいつですか」ロコは義手を外してみせた。「お恥ずかしい。まだ一介の船乗りだったころ、白鯨に食われちまいまして。おかげでマスをかくのもひと苦労だ」

「そいつは災難だったな」

「なに、命と引き換えだと思えば安いものですよ。ちなみに、そのとき白鯨は私の時計も一緒に呑み込んだんですが、以来ヤツが近づくと、その音が聞こえるんだそうです。あいにく私自身はまだ耳にしたコトがないんですが」

「その時計の音を、また聞きたいと思うか?」

「まさか。2度とゴメンですよ。命がいくつあっても足りやしない」

「……そうか。そいつを聞いて安心したぜ」

 いや、ジャンゴの心中は不安でいっぱいだった。ロコは嘘をついている。口でいかに取りつくろおうと、目は正直だ。彼の瞳は復讐者のソレ、灼熱の溶鉱炉のごとく煮えたぎっている。もし白鯨と遭遇したら、雪辱を果たさずにはいられないだろう。むしろ彼は、そのためだけに生き続けている死体。この男はもはや死んでいるのだ。

 捕鯨船を船員ともども雇えたのだから、別にみずから乗り込まずとも、この港で帰りを待っていればいいのではないかと思っていたが、どうやら甘かったらしい。船長がよけいな色気を出さないよう、おのれの目で監視する必要がありそうだ。

「じゃあ、あたしは陸で帰りを待ってるね」サクラが当然のように言う。「やっぱりデロリアンを放っておくのは心配だし」

 ジャンゴは意地の悪い笑みを浮かべて、「なに言ってやがる。おまえも乗るんだよ」

「エッ? いや、だってあたしは必要なくない? てかジャマになるだけだと思う」

「おまえのいた世界はどれだけ安全だったか知らねえが、港町の治安はお世辞にもイイとは言えねえぜ。若い娘がひとりでいたら、ひと晩で3回は妊娠させられちまうだろうさ。ああ言っておくが、野宿はもっと危険だからな? このあたりの砂漠にはミルメコレオって魔物が生息してる。こいつは上半身がライオンで下半身がアリだ。アタマがライオンだから肉好きなんだが、胃はアリだから肉を消化できねえ。万が一、生きたまま丸呑みにされちまったりした日には、くッせえ消化液に浸かって、ミルメコレオが食った肉のおこぼれにあずかって飢えをしのぎながら、残りの一生をすごすハメになる。もっとも、すぐに正気じゃなくなっちまうだろうから、そのときは別に平気と言えば平気なのかもだ。ちなみに肉は消化できないが、布は消化できるらし――」

「あーもう、わかったわよ。乗ればいいんでしょ乗れば。正直、船はニガテだけど……何とか耐えてみせるわ。そんな怪物に襲われるよりは、海の上にいたほうがよっぽど安全なんだもんね」

 ジャンゴはあいまいにうなずいた。けっして嘘は言っていない。ただし、少々言葉が足りなかっただけだ。確かに港町の治安は悪いし、1歩町の外へ出れば賊や魔物がウジャウジャいる。とはいえ、それでも捕鯨船に乗るコトと比べれば、陸の上ははるかに天国なのだが。

 監視が必要という意味では、サクラも同じだ。どうもあの女神像を目にしてから態度がおかしい。本人は隠しているつもりだろうが、どこかよそよそしいというか、とにかく挙動不審なのだ。

 今やサクラのタイムマシンに、この〈西つ国〉の命運が懸っているといっても過言ではない。万が一にも失うコトがあってはならない。それには、そばに置いておいたほうが安心だ。

 むろんサクラの言うとおり、捕鯨に出ているあいだデロリアンを放置しておくのも心配だ。名無しの女が保管場所を手配してくれたが、いかにそこが絶対安全でも、あの女に裏切られたら元も子もない。どこまで信用してよいものだろうか。とはいえ、どれほど疑っていようと信用せざるをえないが。

 女ふたりに振りまわされているなど、ロレダーナが知ったら嫉妬で怒り狂いそうだな、とジャンゴは思った。

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