020

「なんだ。じゃあ鯨を捕れば万事解決じゃない」

 サクラは無邪気に言ったが、そうカンタンなハナシではない。鯨そのものの脅威もさるコトながら、むしろ厄介なのは航海そのものだ。海はある意味、いかなる怪物よりもおそろしい。

 それに、海へ出ればすぐ鯨が見つかると思ったら大間違いだ。捕鯨船は鯨を追って、数ヶ月以上さまよい続けるコトもある。鯨に返り討ちに遭うか、嵐で船が難破するか、はたまた食糧が尽きるか――命の保証はどこにもない。

 問題はほかにもある。ジャンゴたちは船を持っていないのだから、既存の捕鯨船に乗組員として加わるしかない。だが、それで鯨を捕まえたところで、報酬は金銭で支払われるのであって、手に入れた鯨油はあくまで船の持ち主のものだ。捕鯨船は命懸けというだけあって、必要な鯨油の金額に届く給料はもらえるだろう。ただし鯨油は貴重な生活必需品なので、個人でそれだけの量を買い占めることは許されていない。

 となると盗むしか手はない。まとまった量の鯨油が確実に置いてありそうなのは、やはり捕鯨船の要港だ。つまり船に乗ろうが乗るまいが、結局のところ行く先は変わらない。

 目指すは〈西つ国〉の東のはて。かつて人間グリンゴがこの地に足を踏み入れた、記念すべき最初の場所――ウェルズ港へ。


 さすがに大陸の端までたどり着くには、数日を要した。デロリアンの燃料はますます残り少なくなり、事実上あと戻りはできなくなったと言える。こうなったら何が何でも鯨油を手に入れるしかない。

「そういえばこの近くに、前に話した女神像があるんだ」

「ああ、確かにそんなコト言ってたっけ……」

「とにかくハンパじゃねえデカさでさ、見たら絶対おどろくぜ。おれも昔初めて見たときは、危うくションベンちびりかけたっけなァ」

「盛り上がってるトコ悪いけど、巨大像ならけっこう見たことあるのよねあたし。鎌倉の大仏とか、等身大ガンダムとか。アメリカで自由の女神も見たし。正直、反応薄すぎてガッカリさせちゃうかも」

「そう言っていられるのも今のうちだぜ。吠え面かくなよ。――ほら、見えて来た。あそこ」

「――エッ?」

 すまし顔を浮かべていたサクラだが、女神像を目にしたとたん、突如表情を一変させた。

 その様子にジャンゴは勝ち誇って、「だァから言っただろォ。吠え面かくなよってなァ」

 サクラは無反応のまま、車の行き先を女神像のほうへ変えた。何か明らかに様子がおかしい。「まさか、ウソでしょ……そんなのってない……」

 そうして女神像の前に着くと、サクラはおぼつかない足取りで車を降り、その場にひざをついてくずおれ、叫んだ。

「なんてコトなの――ここは地球だったんだわ! あたしはチャントたどりついていたんだ!」

「おい、サクラ落ち着け。いったいどうし――」

「ああ、どうして? いったいなんで世界は滅びてしまったの? 誰がそんなバカなコトを?」

 しばらく女神像に見入って、何やらブツブツつぶやいていたサクラだが、やがて疲れたのか眠ってしまった。出会ったときから明るく気丈に振る舞っていたものの、見知らぬ世界にひとり放り出されて心労が溜まっていたのだろう。少しくらい休ませてもバチは当たるまい。そのまま寝かせておくことにした。デロリアンはサクラでなければ運転できないので、ここで足止めをくらってしまうが、その程度の度量がなければ勇者以前に男ではない。

 ジャンゴは女神像の肩に登って、海をながめる。今も昔も、海だけは変わらない。何度も転生をくり返してきたが、海を見ているとまたたく間の出来事に思える。

 なぜ突然〈聖なる機関銃〉が使えなくなってしまったのか。女神の加護が失われたというのなら、もっと以前にそうなっていてもおかしくないハズだ。われながら勇者らしからぬ恥ずべきおこないをしてきた自覚はある。やはり盗みやギャンブルはよくない。だがそれにしても、あのタイミングはいささか不自然だ。なにしろ魔王と戦っていたのだから。

 ほかに原因があるとすれば何だ?〈聖なる機関銃〉が力を失うような理由は。

 ジャンゴはあれこれ考えてみるが、竜の心臓で得た叡智をもってしても、これといった回答は浮かばなかった。そもそも〈聖なる機関銃〉自体が正体不明すぎるのだ。剣とも槍とも違う規格外の武器。魔法の産物だと思い、これまで深く考えたことはなかったが、いったいどういう仕組みなのだろうか。皆目見当もつかない。サクラは何か知っている様子だったし――彼女は〈聖なるスミス&ウェッソン〉も持っていた――目が覚めたら訊いてみるべきか。

「どうしたんだい? 難しい顔して。何か悩みゴトでも?」

 その声にジャンゴが振り返ると、いつのまにか女が背後に立っていた。

 ――名無しの女が。

「てめえ――どっから湧いて出やがった」

「ひどォい。こォんな美女をつかまえてウジムシみたいに言うだなんて、まったく失礼しちゃうなァ――。せっかくひとがイイ話を持ってきたっていうのに」

「イイ話だと? 前回みたいにか。ジェンマから聞いたぞ。あいつをハメておいて、あとからおれたちに助け出させるなんて、何がしたかったんだてめえは」

「前にも言ったはずだけれど、アタシは勇者ジャンゴのファンなんだ。アンタの手助けがしたい。ただそれだけの女だ」

「そんなタワゴトが信じられるか」

「別に信じる信じないはアンタの勝手さ。でも事実として、アタシの行動がアンタの役に立っているコトは、否定できないはずだよ」

「…………」

 くやしいがこの女の言うとおりだ。彼女の助けがなければ、ジャンゴは今だに財宝を運ぶ馬車の御者が見つからず、途方にくれていたかもしれない。鮭の脂がはねてヤケドするという不測の事態に見舞われなければ、何もかもうまくいっていたハズなのだ。

 けっして信用しているワケではない。この女は嘘をついている。だまそうとしている。そう直感していながら、ジャンゴは誘惑を振り払えなかった。ここで賭けなければ損をする気がして。

「心配しなくてもジェンマのときみたいなやりくちは、もうしないしないって。心が痛むからね」女は白々しい笑みを浮かべて言った。

「そいつは安心だ。で、どんなイイ話を持ってきてくれたんだ? もったいぶってねえで、そろそろ聞かせてくれよ」

「ウェルズ港に捕鯨船を手配しておいた」女は何でもないように告げた。「優秀な船員もチャント雇ってある。ああ、お金のコトは心配しなくてもいいよ。全額肩代わりしておいたから。“そのかたとして、きっちり一ポンド、その、あんたの体の肉を頂戴したい。”なんてムチャな要求もしない」

 ジャンゴは絶句した。ある程度予想はついていたが、それでも実際おどろかざるをえない。捕鯨船を貸し切るだけの大金を工面したこともさるコトながら、この女はいったいどうやってジャンゴたちが鯨油を必要としていると知りえたのか。馬車のときもそうだったが、まるで未来が視えているかのような采配だ。そう、まるであの女神のごとく――

「……まさかてめえ、女神に遣わされたのかっ」

 だとすれば、理屈に合わないジャンゴへの献身ぶりにも納得がいく。あるいは、この女は仕事を果たせば、女神から何かしらの報酬を受け取れるのかもしれない。

 けれども、名無しの女は鼻で笑い飛ばした。「それ本気で言ってるのかい? だったら〈聖なるデロリアン〉とともに現れたサクラのほうが、よっぽど女神の遣いらしいと思うがね。だいたい〈聖なる機関銃〉を使えなくなったコトはどう説明する? 女神がアンタを嫌ったワケじゃないとしたら」

「ほら、それだ。おれたちの事情について、てめえは何もかもご存じじゃアねえか。ありえねえだろ。女神と通じている以外考えられねえ」

「“「洞窟のイドラ」とは人間個人のイドラである。というのも、各人は(一般的な人間本性の誤りのほかに)洞窟、すなわち自然の光を遮り損う或る個人的なあなを持っているから。”――まァ、そう信じたければ信じればいい。何度も言ってるように、アンタの勝手さ。それでアタシが苦労して用意した捕鯨船、ペンギン号に乗ってくれるならね」

「……船の名前変えちゃダメか?」

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