014
いきおい勇んで〈東の森〉を飛び出したジャンゴだったが、〈いと甘き水の地〉までは歩きで行けるような距離ではない。どこかで馬を確保する必要があるだろう。ただし道のりの途中に人里はないから、遠回りをしなければならない。「ジェンマめ、1頭くらい残して行ってくれたっていいじゃねえか」
もっとも、たとえ馬を使ったところで、ハゲタカに乗って飛ぶコルブッチに追いつけるとは言えない。およそ半日出遅れているコトもあるし、こちらが寝ずに夜通し行動したとしても微妙な線だ。となると、コルブッチが〈知恵の鮭〉を釣り上げるのに、どれだけ苦戦してくれるかにかかっているだろう。間に合わなかったら間に合わなかったで、そのときは別の仕返しを考えるだけだが、鮭を横取りする以上の効果的な嫌がらせは、今のところ思いついていない。
「ああ、クソッタレ……なんだって、こんなメンドくせえコトになってやがる」ジャンゴは自嘲ぎみにつぶやく。何が原因かとひと言で言うならば、やはりカネだ。カネに困っていなければ盗みを働くこともなく、そのせいでコルブッチに脅され竜退治に協力することもなく、財宝についてもめるコトもなかった。
今さらながら、ロレダーナの求婚を受け入れておけばよかったと後悔する。財宝の半分と、あの美しいカラダを自由にできたかもしれないのに。実のところ、ことわった理由はコルブッチの件だけではない。カネ目当てのオトコと思われたくないなんて、つい見栄を張ってしまったのだった。
昔はよかった。竜にかぎらず、魔物というヤツにはヒカリモノを集める習性がある。だから魔物を駆除していれば、自然とカネが手に入ったのだ。しかし、少々調子に乗りすぎた。ハチミツ欲しさにハチを殺しまくったら、全滅してしまうに決まっている。もっとも、当時はカネ目当てではなく、ただ純粋に勇者としての使命をまっとうしていただけなのだが。ハチに刺されるのは誰だってイヤだ。
「そういや、もう何十年もハチミツ酒呑んでねえなァ……」
この〈西つ国〉を覆い尽くしていた森が失われ、砂漠化した影響で、ハチが蜜を集められる花々も減った。もちろんハチミツがなければ、ハチミツ酒も作れなくなる。今では現存する残りわずかが高値で取引されており、当然ジャンゴの手には届かない。
ふと、いつかの記憶がよみがえる。全身ハチミツ酒まみれのロレダーナが、ジャンゴを夜這いに来たコトがあった。あのときは結局どうやって切り抜けたのだったか――。
アレコレ考えながら歩くうちに、夜が明けた。地平線を真っ赤な朝陽が昇っていく。
太陽のなかに、鳥の影を見た気がした。どのくらい距離があるかわからないが、見えたというコトは、けっして絶望的な開きがあるわけではない。そうおのれを奮い立たせて、ジャンゴは先を急ぐ。
1番近場の村へとようやくたどり着いた。しかしそこには馬が1頭しかおらず、農作業で必要な馬だからと売ってもらえそうにない。とはいえ、どちらにせよ農作業で疲れ切った馬では、たいして役には立たないだろうが。今欲しいのは足が速くて、かつ長時間駆け続けられる馬だ。
ここから2番めに近い人里へ向かうと、さらに遠回りになってしまう。確実に馬が手に入る保証もない。
ジャンゴはいよいよあきらめて、徒歩で追いかけることにした。運がよければ、途中で馬に乗った盗賊でも見つかるかもしれない。そいつから奪えばいい。
実に楽観的な思考だったが、結果的にジャンゴは女神の加護を再認識することになる。
「……なんだァ?」
太陽が中天へとさしかかるころ、ジャンゴの耳に奇妙な音が聞こえてきた。獣の鳴き声のようでもあるが、これまで聞いたどんな獣とも似ていない。しいて言えば竜の咆哮が近いか。その音は徐々に大きくなっていく。
地平線の向こうから、砂煙を大量に巻き上げて、何かが近づいてくる。しかも、とてつもない速さで。馬でさえ比べ物にならない速さ。どうやらアレが音の発生源らしかった。
距離が狭まるにつれ、だんだんとソレの姿が見えてきた。
まるで大きな棺桶のようだ。白銀に輝く美しい鋼鉄製の棺桶。下部に車輪らしきものが4つ回転している。ヘンテコな馬車に見えないコトもないが、肝心の馬が1頭もいない。
ジャンゴは息を呑んだ。なぜならこの謎の走る棺桶について、少なからず見覚えがあったからだ。
――其は、月がごとく白銀に照り輝き、竜がごとき咆哮を放ちながら走る、不可視の馬に引かれし鋼鉄の馬車。
女神が有する三種の神器、〈聖なる機関銃〉〈聖なるダイナマイト〉につぐ最後のひとつ。
名は――「〈聖なるデロリアン〉だとっ!!」
ほかの神器と違い、この〈聖なるデロリアン〉だけは女神が誰にも与えていない。女神は地上へ降臨する際、かならずこの車に乗っていたという。実際、初代勇者が〈聖なる機関銃〉を授けられたときもそうだった。とすれば当然、あのなかに乗っているのは女神以外にありえない。
「おお、女神よ。お目覚めですか。やはり魔王の復活が近いので?」
ジャンゴは初代のとき、〈雪降りし丘〉にて女神に直接会っているはずなのだが、その記憶はもはやかなりおぼろげだ。しかし文字どおり、この世のものとも思えぬ美貌であったという事実だけは憶えている。否が応にも期待が高まるというもの。
車は少しずつ速度を落とし、ジャンゴから少し離れたところで停まった。側面が翼を広げたカモメのように開くと、なかから人影が出てくる。砂煙のせいでハッキリと見えない。
やがて視界が晴れると、ジャンゴは落胆した。
「ねえ、そこのあんた。あたしの言葉わかる? チョット訊きたいコトあるんだけど――Excuse me, Can you understand English?」
それは十代後半とおぼしき少女だった。奇妙な衣服を身に着けており、天上の召し物と言えなくもないが、大胆に脚を露出したそのさまは、どちらかといえば娼婦のようだ。脚どころか、布がひらひらと揺れていて、突風が吹こうものならめくれ上がってしまうおそれがある。
姿かたちからして、もちろんゴブリンやオークのたぐいではない。ダークエルフとも違う。肌は白いがエルフほどではなく、耳は尖っていない。一番近いのは
こんな豊穣と母性のカケラもない、子供みたいな中途半端なカラダの少女が、あの女神であるはずがない。そんなコトをわずかでも信じるなら、それは女神への冒涜だ。
少女はこめかみをひくつかせて、「……あたしの気のせい? 今あんた、胸が平たいとか言わなかった? それとも空耳?」
「平たい胸を平たい胸と言って何が悪い。この平たい胸族め。むしろ胸板と言わないだけ感謝してほしいぜ」
ジャンゴがいけしゃあしゃあと返すと、なぜか少女は安堵の表情を浮かべた。
「おおっ! あたしの言葉が通じてる? あんた今、ニホン語しゃべってるわよね?」
「ニホン語?」ネズミのときと同じように無意識だったが、言われてみれば少女の言葉は耳慣れない言語だし、ジャンゴも同じ言葉を使っていた。どうやらこの身に宿った叡智は異国語でも瞬時に理解できるらしい。まァ獣の言葉さえわかるのだから当然か。
「あー、よかったァ。それにあんたはさっきのヤツらと違って、見ためもフツーの人間っぽいし」
「さっきのヤツら?」
「あたしを馬でさんざん追いかけまわした連中よ。今はそいつらから逃げてきたの。褐色の肌で耳の尖った、なんていうかこう、いかにもダークエルフっぽいカンジの」
「ぽいも何も、そりゃア間違いなくダークエルフだろ」
「ダークエルフって言って通じるんだ……」
「当たり前だろ。この国にダークエルフを知らねえヤツなんかいねえ。この国は以前エルフが支配してたんだからな」
少女は首をかしげ、「いや、エルフとダークエルフは別物でしょ」
「たいして違わねえよ。エルフが日焼けして、若干寿命が縮んだのがダークエルフだ。まさかそんなコトも知らねえのか」
「うわ、なにその雑な設定……」
「設定? 言葉はわかるが、妙な使い方をするんだな。――まァいい。それよりおれの質問に答えろ」
「あんたは話がわかりそうだし、かまわないけど」
「いろいろ気になってることはあるんだが、とりあえず知りたいのはひとつだ。なんで〈聖なるデロリアン〉に乗ってる? 女神に授けられたのか?」
「……ゴメン、のっけから意味わかんない。聖なるゥ? 確かにこれはデロリアンだけど」
「ちげえよ。デロリアンじゃなくて〈聖なるデロリアン〉だ」
「えらそうに言ってるけど、あんたデロリアンがどういう意味なのかわかってるワケ?」
「さァ。まァ古代エルフ語で馬車とか、だいたいそんなトコだろ」
「あ、そ……。とにかく、コレはあたしの車だから。女神だか何だか知らないけど、誰かからもらったわけじゃアない。オークションで高かったんだから」
「じゃあ〈聖なるデロリアン〉じゃないのか。だが〈聖なるデロリアン〉以外に、こんなとんでもねえシロモノが存在するはずが――」
少女は心底うんざりした様子で、「わかったわよ……もう〈聖なるデロリアン〉ってコトでいいわ……ほかに質問は?」
「じゃあ、そうだな……海の向こうに異国があるらしいってのは聞いたことがある。けど、もう相当長いあいだ交流がねえ。ひょっとしたらとっくに滅びちまったんじゃねえのかと思ってた。異国の存在は、へたすりゃアおとぎ話以上に信憑性が薄い。なァ、おまえ、いったいどこから来たんだ?」
「ニホンよ。いや、出身はニホンだけど、出発地点――直前にいた場所はアメリカ。どっちか聞いたことない?」
「……知らねえな」
ジャンゴに宿る叡智をもってしても、ニホンもアメリカもわからなかった。ニホン語を話せるのはあくまで、その場で解読しているに過ぎないようだ。あるいは、いまだジャンゴが叡智を使いこなせていないとも考えられるが。無意識のうちに言語を翻訳できてしまうのも、裏を返せばその証左だろう。
「逆にあたしからも訊くけど、ここはどこなの?」
「ここは〈西つ国〉だ。現在はそのほぼ全域を、
「知らないわ。あたし、そんな国は知らない」少女はひどく困惑した様子で、「やっぱり、ここは異世界ってコト……?」
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