013

 コルブッチを見送ったあと、ジャンゴはひとまず地下水が溜まった池でカラダの汚れを洗い落とした。まだ生臭いニオイが残っているものの、この場はあきらめるしかない。街へ戻ってからあらためて風呂に入ろう。

 さて、今後の段取りを考えなければならない。竜の財宝は想像していた以上に莫大だった。用意していた馬車では、一度にその1割も運び出せない。何回かに分けるとすると、すべて完了するまでに相当な時間がかかるだろう。そのあいだ周辺のダークエルフに、竜がいなくなったコトを悟られてはならない。

 また、せっかく手に入れた財宝だが、現金化できなければ持ち腐れだ。一度に換金しようとすれば出処を怪しまれるだろうし、そもそもそれだけの現金を持ち合わせている買い手など、この国にはいない。小分けにして別個にさばく必要がある。盗品を買い取る者にいくらか心当たりはあるが、彼らだけでは不充分だ。まだほかにも探さなければならない。

 理想を言えば、必要な分だけ少しずつ換金できればよいのだが、財宝の保管場所を確保するのが問題だ。まさかこのまま〈東の森〉に置いておくワケにもいかない。

 とりあえず、万が一途中で計画が頓挫したときのコトも考え、ジャンゴはなるべく価値が高そうな物を適当に見つくろい、棺桶に詰められるだけ詰めた。まずはこれを地上へ運び出してから、ジェンマに手伝ってもらって、馬車に載せられるだけの財宝を持って行くことにしよう。

 欲張って棺桶にたくさん詰め込みすぎたのと、帰り道に迷ったせいで、地上へ出たときにはすっかり真夜中だった。夜空に満月が煌々と輝いている。満月はひとを狂わせると昔から言われているが、それはきっと美しさのせいだ。まるで墓から這い出してきた女の青白い肌のよう。雲の衣を脱ぎ捨てて、光り輝く裸身を夜風にさらしている。あれを見て狂おしく思わないとしたら、そいつは不感症に違いない。

「……ジェンマ?」月に夢中で気づくのが遅れたが、城壁の外で待っているハズだったジェンマの姿が、どこにも見当たらない。4頭立ての馬車もいなくなっている。

 用を足しに行っているとか、たまたまこの場を離れているとしても、馬車までなくなっていることの説明がつかない。彼の身に何かあったのだろうか。

 まさかコルブッチといっしょに〈いと甘き水の地〉へ向かってしまったのではないか。ジャンゴが竜に殺されて命からがら逃げ延びてきた――そんな作り話をコルブッチが述べたとすればありえるハナシだ。だがそれだとジェンマの得にならない。損をしてしまう。〈知恵の鮭〉を釣り上げたところで、財宝は手に入らないのだ。

 コルブッチには使い魔のハゲタカがいるから、かならずしも移動手段に馬車が必要ではないハズだ。加えて、今のコルブッチは他人を信用していないだろう。ジェンマを連れて行ったというのは、やはり違和感がある。

 しかし、だとすると、ジェンマはいったいどこへ消えたのか。

 そのときだった。ジャンゴの背後で突然、ずっと開きっぱなしだった城門が、音を立てて閉まり始めた。

 あわてて振り返ると、城壁の上に武装した大勢のダークエルフたちが立っていた。

「あの裏切り者を探しているなら、われらが来たのを察知してさっさと逃げたぞ」

 してやられた。地下から戻ってきたとき素通りしてしまったが、連中は城内に潜んでいたのだ。もっとも、外へ出る前に気づいていたとしたら、さらにまずい状況に陥っていたのだろうが。

 ダークエルフの戦士たちを左右に従え、ひとりの女が進み出てきた。彼女の肌は透けるように白く、髪は白銀にきらめく。しかし耳の形が人間グリンゴとは明らかに異なり、長く尖っている。

 竜の炎で〈東の森〉を焼け出されたエルフたちは、その肌を日光に焼き尽くされてしまった。けれども例外はある。王族の末裔だけは、わずかに残された森のなか、太陽に当たらない生活を徹底することで、古代と変わらぬままの姿を保ち続けているのだという。

「これはこれは。誰かと思えば、もしや女王陛下では?」ジャンゴは慇懃無礼に尋ねた。

 ――ロレダーナ。ダークエルフの女王にして、現存する最後のエルフ。

「久しぶりと言うべきか? まっこと懐かしいのう、勇者よ。わらわはそなたと再会できてうれしく思う」

「そうかい。あいにくだが、おれのほうはほとんど憶えちゃいねえ。いったい何百年前の話だと思っていやがるクソババア」

「そうかえ? わらわにはそなたと過ごした日々が、つい昨日の出来事のように感じるがな。魔王ボーレガードとの決戦に臨む、そなたの背中を見送ったときのコトさえ」

「どうやら若作りは見た目だけらしいな。昔のコトばかり思い出すようになったら、老いぼれた証拠だぜ」

 エルフは非常に長命だ。ダークエルフの寿命も人間グリンゴと比べればかなりのものだが、エルフはケタが違う。それこそ竜とイイ勝負だ。

「イヤよイヤよも好きのうちと言うが、ハラが立つことに変わりはないな。口をつつしめ。せっかくそなたに慈悲をくれてやろうというのに、わらわの機嫌を損ねるでない」

「慈悲だァ? トシくって丸くなったか」

 女王を侮辱する物言いに、配下のダークエルフたちは今にも城壁から飛び降りて、ジャンゴを袋叩きにしかねないくらい殺気立っていたが、ロレダーナはひとにらみで彼らを押しとどめた。

「不遜にもわらわの財宝を盗み出そうとしたことは、いっさい不問に付してやる。その棺桶に隠している分も見逃そう。あの忌々しき竜を退治してくれた礼と思え」

「そいつは光栄だね。うれしすぎて涙が出そうだ。ついでに馬車を用立ててくれるとありがたいんだが」

「残念ながらそれはムリだ。来たるべきセルジオ王国との戦いに備え、馬はいくらあっても足りぬ」

「クソッタレ」ジャンゴは毒づいた。馬車がなければ、財宝とともに砂漠を越えるのは不可能だ。強盗に襲われるか、それとも食料が尽きるか、とにかく街へ着く前にのたれ死ぬだろう。

 ただしジャンゴは財宝のことなど、なかばどうでもよくなっていた。それよりも今は、ほかに気になるコトがあったからだ。

「ロレダーナ、ひとつだけ訊く」

「苦しゅうない。申せ」

「なんでバレた?」

 ジャンゴたちはダークエルフたちに気取られないよう、細心の注意を払った。そして竜を始末してから、まだひと晩と経っていない。それにもかかわらず、なぜロレダーナたちはその事実を知り、こうしてジャンゴを出し抜くことができたのか。いくらなんでも行動が早すぎる。

「ああ、そんなコトか」ロレダーナは愉しげにあざ笑う。「わらわが答えるまでもなく、そなたはもう承知しておるハズだぞ。秘密をもらせる者はけっして多くない」

「……灰色のコルブッチか」

「おうさ。あの私欲に狂った魔法使い、こちらが尋ねもしないのに、愉しそうにペラペラと。実に醜い。あさましい」

 裏切ったのがジェンマならば納得できた。何だかんだでヤツもダークエルフ、同族の利益を優先させて当然だ。

 しかし、コルブッチが裏切るのは許されない。竜の心臓が手に入らなかったコトは申し訳なく思うし、同情する。けれども、それとこれとはハナシが別だ。最初の約束どおり、ジャンゴは竜を退治した。財宝はその正当な報酬なのだから。コルブッチのおこないは、あまりに理不尽と言わざるをえない。

「ヤツがどこへ行ったかわかるか?」

「確かハゲタカに乗って、北北西の方角へ飛び去っていったな」

 ジャンゴは棺桶をひっくり返して、中身の財宝をその場にぶちまけた。「情報を教えてもらった礼だ」

 財宝は重すぎる。コルブッチのあとを追うには邪魔だ。

「のう勇者……今度こそ色よい返事を願って告げよう。わらわの婿にならぬか? さすれば財宝の半分はそなたのものだ」

「ことわる。おれは勇者だ。誰のものにもならねえ」

「このうつけめ。わらわの愛を受け入れぬとは」言葉とは裏腹に、ロレダーナはほほ笑む。「だが、そんな勇者がわらわは好きだぞ。気が変わったらいつでもまいれ。わらわは待っておるからな。何ならつぎ死んだときは、わらわの腹で転生するがよい」

「……あばよ」

 ジャンゴは魔王も含め、今まで数多くの敵を殺してきた。それは勇者としての正義であり、悪に対する義憤であった。一方で、けっして聖人君子というワケではなく、実に身勝手な理由で殺したコトもなくはなかった。だが、これほどまで純粋な憎しみに駆られた相手はいない。

 ただ殺すだけではつまらない。まずはヤツの望みを打ち砕いてやろう。ヤツがおそれていたとおり、〈知恵の鮭〉を横取りするのだ。


 ジャンゴの姿が完全に見えなくなってから、ロレダーナの側近はようやく訊きたかったコトを口にした。「女王陛下、ホントによろしかったので?」

「なにがだ」

「あのような素性も知れぬ女の言いなりになり、勇者をだますなど」

「しかたなかろう。約束してしまったのだから。わらわは一度した約束を絶対にたがえぬ」

 ジャンゴが竜を退治したという事実を、ダークエルフたちに知らせたのは、灰色のコルブッチではない。ひとりの若い女だった。

 名前を名乗らないその女は、情報を伝える代わり、報酬とは別に奇妙な交換条件を提示した――このネタはコルブッチから教えられたとジャンゴに言え、と。

 単にふたりの仲たがいが狙いだったのか、あるいはもっと深い意図があるのか。本人に問いただしてみなければわからないが、まずロクなコトではなさそうだ。この地の平和を守る使命を持つ、勇者と魔法使いを仲間割れさせてよろこぶ者がいるなら、それは悪党にほかならないだろう。

 しょせんは口約束だし、ロレダーナからすれば土壇場で反故にしてもよかった。実際ギリギリまで迷っていたくらいだ。

 けれども、結局はそうしなかった。できなかったと言ってもいい。とはいえ、何かしらの強制力を感じたとかではなく、あくまでおのれ自身の意志だ。名無しの女への不信感よりも、約束を破らない性分のほうが勝ったに過ぎない。だがあの女の目――何もかも見透かしているかのようなあの目を思い出すたび、まるでおのれの選択が、あらかじめ決められていたみたいに思えてならないのだ。それがどうにも気にくわない。

 それに加えて、去り際にあの女が言い残した謎の言葉――“美しいコーディリア。あなたは今、無一物になってこそもっとも富み、見捨てられてこそもっとも尊ばれ、蔑まれてもっとも深く愛される人となられたのだ。”

「……そういえばあの女、あとで分け前を受け取りに来ると言うておったな。勇者が棺桶からぶちまけたヤツでよかろ。――ああ、そのままでよい。おのが手で拾わせるとしよう。そのくらいせんと、こちらの腹の虫が治まらん。カネ欲しさに地べたを這いずる姿をながめるのが愉しみじゃ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る