012

 先ほど拷問したゴブリンは、一時戦線離脱した1名が半日ほどで戻ってくると言っていたが、それが実際いつになるかは断定できない。追いかけて始末するヒマもないし、ジャンゴは〈聖なるダイナマイト〉でてっとり早く開通した穴をふさいでしまった。これで邪魔は入らない。

 作業を終えて地下宮殿の前へ戻ると、見事退治した竜の死骸を前に、コルブッチはだまって立ち尽くしている。その様子にジャンゴはいぶかしんで、「どうした? まだやってねえのか。さっさと心臓を取り出せよ」

「……そうは言うが、どうやって?」

「どうやってって、そりゃアおまえ」あらためて考えてみれば、生きていようと死んでいようと、竜の鱗が堅固なコトに変わりはない。地道に鱗を剥がすのも手だが、「やっぱり、口から入って内側からえぐり出すしかねえんじゃねえか」

「わしにそれをやれと?」コルブッチは身震いする。「冗談じゃアないわい。考えただけで気分が悪くなる」

「おいおい、心臓が欲しいんだろ。今さらあきらめるのか?」

 コルブッチは捨てられた子犬のような目で、「のうジャンゴ……おぬし、わしの代わりに取ってきてくれぬか?」

「ハァ? 心臓が欲しいのはおまえだろ。ガキみてえなコトぬかしてねえでさっさとやれ」

「頼む。一生のお願いじゃから。代わりにおぬしの言うことを何でも聞いてやる」

「何でも? その言葉に二言はないか?」

「女神に誓って」

「そうかい。だがことわる」

 いくら死んでいるとはいえ、食道のなかへ潜るなんて、嫌な記憶をまたぞろ思い出しそうな真似はしたくない。

「ぐぬぬ……ひとが下手に出ればイイ気になりおって……だいたいおぬし、ジェンマに渡すわずかな分け前を除けば、竜の財宝を独り占めできるのじゃぞ。わしにそのくらいしてくれてもバチは当たらぬはずじゃ」

「おれが財宝をもらうのは正当な権利だ。最初にそう約束したのを忘れたとは言わせねえ。実際さんざん苦労し竜を倒したのは、このおれ様だぜ。てめえはほとんど見てただけじゃアねえか」

「ほとんど、と述べたことは誉めてやろう。つまりわしの功績を無視できぬということじゃ。わしが〈聖なるダイナマイト〉を見つけ出さねば、勝てたかどうかわからぬからなァ」

「結果論だ。あんなもんがなくたって、おれはチャント勝てたとも」

「それこそ、終わってからいくらでも言えることじゃの。これ以上言い争ってもムダか」

「ようやくあきらめてくれたか」ジャンゴは胸をなでおろす。

「しかたあるまい」そう言って、コルブッチはふところから例の絵を取り出す。「忘れておらぬか? おぬしの首にかけられた縄が絞まるかどうかは、わしの心しだいじゃと」

 ジャンゴはハラワタが煮えくり返った。「ふっざけてんじゃねえ。おれは約束どおり竜を倒した。だっていうのに、まだそのクソッタレなネタを持ち出しやがるのか」

「わしとて、このようなまねは本意ではない。許しておくれ。これで最後じゃ。どうか、わしの願いを叶えてくれぬかのう」

「――っ、クソッタレ」

 ジャンゴは挙げかけた拳を下ろし、深々とため息をつく。何だかアホらしくなった。さっさと用事を済ませ、このムカつく魔法使いとはオサラバしよう。それがいい。ムリヤリ自分を納得させる。

「しょうがねえなァ、まったく」

「そうか。よかった。ありがとう。それでこそ勇者ジャンゴ、女神に愛されし真の英雄じゃ。いやはや」

 消化液と血液で汚れるので、ジャンゴは衣服をすべて脱いだ。胃までいかなければ、溶かされるコトはないハズだが、肌で直接触れるコト自体は耐えるしかない。先ほど坑道内に地下水の溜まった場所があったから、汚れはそこで洗い流せばいいだろう。

 マチェットソード片手に食道へと潜る。まだ生暖かい肉の感触。カラダにまとわりつく消化液。狭くて臭くて息苦しい。だが締めつけられないだけ、あのときよりはるかにマシだ。まるで穴に突っ込まれたナニの気分だった。着ていた服もあっというまに溶けてなくなり、ナマの感触が――

 気がつけば呼吸がひどく荒くなっていた。ジャンゴは臭いを嗅がないように、口でゆっくり深呼吸する。

 落ち着け。あれは過去の出来事だ。もう終わったコトだ。とっくに助かったのだ。何度も何度も自分に言い聞かせる。

 平静を取り戻すと、ようやく作業に取りかかった。生きているときなら、鼓動している心臓を見つけるのは実にカンタンだ。けれども竜は死んでいる。いかに何度も転生をくりかえしたといえども、竜を解剖した経験はない以上、カンで探すしか手はない。この、どこまでが首でどこからが胴体、どこからが尾だかもわからないカラダの、いったいどこが胸なのかサッパリ見当もつかない。心臓は胸に納まっているものという常識さえ、そもそもアテになるかどうか。

 だが、女神はジャンゴに味方してくれたようだ。おかげで早々と心臓を発見することができた。よくよく考えてみれば、1歩間違えれば肝心の心臓ごと〈聖なるダイナマイト〉吹き飛ばしていたかもしれない。ホントに運がよかった。女神に感謝しなければ。

「ほら、取ってきてやったぜ」

 ジャンゴが血まみれの心臓を得意げに掲げてみせると、コルブッチは顔面蒼白になり、足下がおぼつかなくなった。「おお、コレは……想像以上にエグいのう……」

「おいおいおいおい! 生娘じゃアあるまいし、思い切ってガブリといっちまえ」

「ムリじゃ。こんな生臭いモノ、舌に触れた瞬間吐いてしまうわい」

「ガマンしろって。何のためにここまで苦労したと思ってんだ」

 コルブッチは上目づかいで、「食べやすいように焼いておくれ」

 ジャンゴはのどから出かかっていた文句をムリヤリ押し込め、舌打ちにとどめた。コレ以上不毛な言い争いは時間のムダだ。

「イタキゴウコイ テヨノリテスミ ンエクガカフエ スエアピトスイ デハクサイカジ」

 コルブッチが魔法で出した火を使い、丹念に心臓を焼いていく。だんだん食欲をそそる香ばしい匂いが漂ってきて、自然と唾液があふれる。

「よいか? なかまでしっかり火を通せ。腹をこわしとうない」

 そうは言うものの、かなり大きさと厚みがあるので、完全に火を通すのはなかなか時間がかかりそうだ。こんなコトなら、先にカラダを洗って来ればよかった。――一方、コルブッチはヒマをもてあまして早々に居眠りしはじめた。

 いっそのコト、わざと生焼けのままコルブッチに食べさせてやろうかと考えていたら、熱い脂がジャンゴの指にはねて、ヤケドしてしまった。反射的に脂のついた指をなめる。思わず笑みがこぼれるほどの美味さだったが、それでも怒りは収まらない。

「チクショウめ。これでコルブッチがまだワガママ言いやがったら、ぶん殴ってやる」

 もう充分だと思ったところからさらに念入りに、周囲が黒コゲになる寸前まで焼いた。コゲた部分を食べるのはカラダに悪いと聞いたコトがあるが、知ったことではない。

 眠るコルブッチの鼻を乱暴につまんで起こし、寝ぼけた顔の前に竜の心臓を差し出す。

「よォ、待たせたな。召し上がれ」

 しかし、コルブッチは困惑した表情でだまったまま、一向に手を出そうとしない。

「おい、まさか、今度はひとくちサイズに切ってくれなんて言わねえだろうなァ」

「……違う。そうではない。そうではないのじゃ」

「あァン? だったら何だ」

 口に出してしまったら、それが事実になってしまうかもしれないとおそれるように、コルブッチはためらいがちに告げる。「先ほどは感じた、膨大な魔力が、今はすっかり消え去っておる。消えてしまったのじゃ」

「それがどうしたってんだ」

 コルブッチは苛立ちを隠そうともせず、「察しの悪いヤツじゃのう。ようするに、わしが求めておった神に等しい叡智を授ける力が、もはやこの心臓には一片も残されていないということじゃ」

「だから言わんこっちゃねえ。くだらねえワガママぬかしてねえで、さっさとナマのまま食ってりゃアよかったんだ」

「いや、いくらなんでも焼いたくらいで消えるはずがなかろう。竜の糞を燃やした灰すら、万病を癒す霊薬になるコトを知らぬのか? ゆえにありえぬ……なぜじゃ? いったいなぜ……」「オレ様が教えてやろうか」

 第三者の声にジャンゴは周囲を見まわした。しかしどこにも姿が見えない。その様子をコルブッチは怪訝そうに見つめる。「どうしたジャンゴ? 何を探しておる」

「おまえには今の声が聞こえなかったのか?」「こっちだこっち。こっち見ろって」

「やっぱり聞こえる。どこだ」

「ネズミの鳴き声なら、わしにも聞こえたが。ほれ、おぬしの足下におるぞ。噛まれぬように気をつけろ。病気をうつされるからな」

 注意されて地面を見下ろすと、確かにそこには1匹の薄汚いドブネズミがいた。「オレ様が病気持ちだとォ? 失礼なジーサンだぜ」

 ジャンゴはおのれの目を疑った。気のせいでなければ、このドブネズミが言葉をしゃべっているように見える。いや、だが、そんなおとぎ話みたいなコトが、「おい、無視してんじゃねえよ」

「ネズミがしゃべったっ!?」

「何を言うておるジャンゴ。気が触れたか? チューチュー鳴いておるだけではないか」「なんて、そこの魔法使いはほざいてやがるが、実際オレ様はチューチュー鳴いてるだけだ。つまり、おめえがネズミの言葉を理解できるようになったってこった」

「なんだって? どうしてそんなコトに」

 ジャンゴがドブネズミに問いかけると、コルブッチは深刻そうな顔で、「なんと! これは本当に気が触れてしまったのやもしれぬ。ネズミの鳴きマネなどして、よもや会話しておるつもりか」

 指摘されて気づいたが、ジャンゴは無意識のうちにネズミの言葉を使っていたのだ。

「答えろドブネズミ。てめえは何を知ってやがる?」「わざわざオレ様に教わらなくても、おめえには心当たりがあるハズだぜ。ネズミの言葉をあやつる知識を得られた原因に」

「……まさか、竜の心臓か」「そうだ。おめえはさっき心臓を焼いてるとき、指にはねた脂をなめちまった。実はあの脂に、すべての魔力が凝縮してたんだ。だからおめえは今や、神に等しい叡智を手に入れたってわけさ。残った心臓は言ってみりゃア、単なる絞りカスにすぎねえ」

「マジかよ……」この残念な事実をコルブッチにどう伝えればよいか、ジャンゴは考えあぐねた。

 しかしその必要はなく、ネズミと会話するジャンゴの様子を見て、コルブッチは自力で気がついたらしい。

「なんという……なんということじゃ……わしのこれまでの苦労はいったい……何もかも水の泡……」

「すまねえコルブッチ。悪気はなかったんだ」

「アタリマエじゃ。わざとであってたまるか」

 ジャンゴは手元の書物を読み上げるように、「満月がひとを狂わせるって昔から言われてるが、月へ行けば奪われた理性が取り戻せる――これはチョット違うか。――海を渡って南西の方角にある暗黒大陸の奥地に、秘密の湖とか呼ばれる場所があるんだが、そこには大昔に世界じゅうを覆い尽くした大洪水の以前から生きているカメがいるらしい。そいつと対話すれば、とてつもなく貴重な知識が手に入るハズ――違う。もっとてっとり早いのは――ここから北北西に〈いと甘き水の地〉って呼ばれる場所があるだろ。そこの川で生息する〈知恵の鮭〉を食らえば、竜の心臓に勝るとも劣らない効果を得られるぜ」

「……なるほど、それが叡智か。今やおぬしは何でも知っておるわけじゃな。うらやましいのう」

「知ってるのとはチョット違う。なんつーか、アタマのなかに大量の本がしまわれてるカンジだ。それを意識して読もうとしないかぎり、知識を引き出すコトはできねえ」

「まァどちらでもよいわ。わしの知ったコトではない」

 投げやりにそう言って、コルブッチは力なく歩き出す。

「どこへ行くんだ?」

「言うまでもなかろう。今度こそわしは叡智を手にする。かならず」

「おれも手伝うぜ。あの鮭を釣り上げるのは、下手すると竜退治よりも難しい。ひとりじゃムリだ」

「助けはいらぬ」コルブッチはいきなり激昂して、「誰の助けもいらぬ。わしひとりでいい。またぞろ横取りされてはかなわぬしのう」

 その悪態には正直ムカッ腹が立ったが、ジャンゴは罪悪感を奮い立たせてこらえた。「トチるなよ。いずれ魔王が復活したとき、おれのそばには頼もしい魔法使いがいてくれなきゃア困る」

「…………」

 コルブッチはもはや何も言わずに去った。

 しかしその背中は、ジャンゴへの罵詈雑言を雄弁に語っているような気がした。

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