003

 竜の心臓には、膨大な魔力が篭もっている。

 それを食らえば、神にも等しい叡智を手に入れることさえできるのだという。

 叡智を得られたならば、魔法使いとしての力は格段に向上する。白のコルブッチに成れるのだ。

 むろん言うだけならばカンタンだが、ことはそうたやすくない。魔王ボーレガードを別にすれば、竜は地上最強の生物だ。その生命力、大きさ、賢さ、堅固な鱗は刃を跳ね返し、鋭い牙には獲物を麻痺させる神経毒が、口からは時に火を噴く。その眼光に射すくめられたら、恐怖のあまり身体は石のように硬直してしまうという。

 魔法使いの名は伊達ではないが、竜退治となると完全に専門外だ。いくらなんでも相手が悪すぎる。グリフォンやマンティコアなどとはワケが違う、正真正銘の怪物だ。コルブッチとて必要がなければ、竜になどけっして手を出したくない。だが不幸にも、竜を倒さなければならない事情が出来てしまった。やるしかない。やるしかないのだ。

 コルブッチがどんなに頑張ったところで、竜相手に勝ち目はない。それは事実だ。どうしようもない。

 だったら、勝てる者を味方につければいい。

 この世界で竜より確実に強い存在といえば、間違いなく魔王ボーレガードだろう。

 そして、その魔王を倒した者がいる。

 女神が加護を授けし勇者。〈聖なる機関銃〉の使い手。

 その名は――ジャンゴ。

 いや、厳密に言えば、ボーレガードを倒した勇者の名は、ジャンゴではなかったという。

 では、なぜジャンゴと呼ばれているのか?

 魔王ボーレガードはいずれ復活する。しかし勇者は短命な人間グリンゴだった。勇者が死んでしまえば、誰がふたたびあの魔王を倒せるというのだろうか。いや、ほかの誰にも不可能だ。

 そこで女神は勇者を転生させるコトにした。

 いつ魔王が復活してもいいように、勇者はたとえ死しても、ほぼ同時にこの国のどこかで新たな生を受ける。しかも前世を引き継いだ上で。ゆえに、勇者の生まれ変わりは〈目覚めし者ジャンゴ〉と呼ばれるようになった。

 当代のジャンゴは13代目。今年ちょうど成人になったばかりのハズだ。まだコルブッチも面識はないが、魔法を使えばすぐに見つけられる。何としても探し出し、竜退治に協力してもらわなければ。

 この件はジャンゴにとって、けっして無関係というワケではない。魔王復活の日は近い、そのとき即座に対応できるよう備えておけるかどうかが、被害を最小限に抑えるカギだ。そのためにはレオーネを通じて、ヴァレリ王を説得しなければならない。そのための竜退治だ。であれば、勇者が協力するのはむしろ当然と言えるだろう。少なくともコルブッチはそう考えている。

 とにかく会わなければ始まらない。さっそく行方を探すとしよう。

 コルブッチはひとまず夜を待った。残念ながら今夜は満月ではないが、新月でさえなければ問題ない。よく晴れていて邪魔な雲もなく儀式をおこなうにはイイ日和だ。

「ソコウヨヘンオ ゾウユキイビノン ケイタミイナク ヨコツカニナンソ テクサクテクサ ダイバヤチイチ イガフリセ ハチニンコンサ ナミノブウ ユシンヘヤ シイカイセ」

 ブツブツと呪文を唱えながらパイプに火を点けて、深く吸い込む。ゆっくりと吐き出した煙に月光が当たると、そこにどこかの光景がぼんやりと映し出された。

「見つけたぞ……ほほう……なるほどのう……これはこれは……」


 セルジオ王国でも1、2を争うアレッサンドローニの歓楽街は、今夜も賑わいを見せている。酒場があちこちに軒を連ね、道を歩けば1歩ごとに娼婦から声をかけられる。ここではカネさえ支払えば、酒も女も好きなだけ愉しめるのだ。もし地上に楽園があるとすれば、まさしくここ以外にない。むろん客にとっては、だが。

 コルブッチはそれらに目もくれず、まっすぐ目的の店へと入った。

 小さな町では、宿屋と酒場と娼館と賭場とに明確な区別はない。1軒にすべてが収まっている。しかし、この街くらいの規模ともなると、それぞれが独立して店を構えていることも多い。コルブッチが足を踏み入れたのは、街でも1、2を争う賭場だ。ルーレット、サイコロ、カード、闘鶏、ネズミレース――その他モロモロ、よそでは見られないようなギャンブルが見本市のごとく行われている。

 なかでもひと際盛り上がっているのは、一風変わった勝負だった。

 ひとりの男が片手でひたすら卵を割るという、見るからに滑稽な光景。どうやら10回連続で成功すればプレイヤーは賞金がもらえるらしく、さらに周囲の客がその勝敗にチップを賭けている。

 片手で卵を割るくらい、慣れている者ならたやすくやり遂げそうなものだ。普通に考えれば面白みのないギャンブルだが、そこにもうひとつの要素が加えられている。

 卵を割る利き手とは反対の手が、薬指だけ伸ばした状態でテーブルに押さえつけられ、肉切り包丁が突きつけられている。つまり、失敗すれば即座に指を1本失うというわけだ。こんな状況ではいくら手慣れた者であっても、緊張してミスをしかねない。

 現在のプレイヤーはすでに9個、卵を割っている。最後の1個だが、なかなか割ろうとしない、手が小刻みに震え、額から大量の脂汗が流れ落ちる。口もとは引きつっていて、いびつな笑み。

 ようやく決心がついたのか、ついに最後のひとつをテーブルにたたきつけ、ひびを入れた。片手で器用に殻を開き、器のなかに中身を落とした。プレイヤーから安堵の溜息がこぼれる。

 だがよろこんだのもつかの間、器に落ちた黄身は崩れて、内容液がもれだしてしまった。しかも、よく見れば殻の破片が混入している。失敗だ。

 次の瞬間、容赦なく肉切り包丁が振り下ろされた。

「指が! おれの小指がァ!」男は絶叫してイスから転げ落ちる。

 コルブッチはため息を吐いて、のたうちまわる男へと歩み寄った。

 暴れる男を力ずくで押さえ込むと、切断面に拾った薬指を押しつける。「グササニシ ウヨリシヤハワカ シイヲクサンホ」呪文を唱えると、そこへ杖の先から火が鋭くほとばしり、指が溶接したようにつながった。ヤケドの痕が残っているだけだ。

「まったく、わしがすぐそばにおったからよいものの……コレに懲りたら、2度とバカな真似はやめるコトじゃな。ジャンゴ」

「知ってるか? 指が10本もあるのは2、3本なくなっても大丈夫なようになんだぜ」

 ジャンゴは小指のない左手を得意げに掲げながら言った。

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