第12話

 二回目のデートはドライブになった。あまり人が多くないところがいいと私が言ったせいかもしれない。

 家まで迎えに来ると言われたけれど駐車場の場所がわからないからと断って、駅で待ち合わせた。

 そうだろうなと漠然と思っていた通り、十五分前に行っても類は先に待っていた。

「おはよう」

 声をかけると、類は嬉しそうに微笑んだ。上着は車に置いてきたのだろうか。鎖骨が見えるVネックの紺色のセーターに、ジーンズとスニーカー。日本でこんな格好が許されるのは秋口までではないだろうか。見ているだけで首が寒い。

 けれど、

「寒くない?」

 と聞いてきたのは類のほうだった。私はいつものマウンテンパーカーにタートルネックの厚手のセーターとジーンズという格好だ。マウンテンパーカーには裏地もついている。

「全然」

「よかった」

 類は? と尋ねるのはやめておいた。寒くないのだろう。

 駅の駐車場に類の車は駐めてあった。車の知識は皆無なのでよくわからないが、国産車だった。そして、高そうだ。類ぐらいの年齢の独身男性ではなく、もう少し年配向けの車に見える。

 ドアを開けてくれたので、乗り込んで、シートベルトを締める。シートは広くて、座り心地がいい。車の独特のにおいじゃなく、いい香りがした。ジャスミンのようなやわらかでほのかな香り。

「いい車だね」

 隣に座る類に言う。

「気に入った?」

 私は首を傾げる。私にとっては車はただの移動手段だ。電車を気に入ったりしないように、不都合さえなければなんでもいい。

「どうかな」

「お気に召すように頑張るよ」

「いいよ。普通で」

 類は微笑んで、車を動かした。

「里香がいるのに、普通にはできない」

 小さく呟かれた言葉を、私は聞かない振りをした。

「音楽聴く? それともテレビ見る?」

「音楽って何があるの?」

「クラシックしかないけど」

「それでいいよ」

 類が何かを操作すると、ヴァイオリンの音が流れてきた。曲はわからないけれど、ラフマニノフだったような気がする。

 久しぶりの類の運転は、相変わらずそつがなく、丁寧だった。安心して座っていられる。

「ここって首都高?」

「そうだよ」

「初めて来た」

「本当?」

「うん。なんかすごいね。こんなに起伏激しくて大丈夫なんだ」

「怖い?」

「ううん」

 と否定して、それだけでは足りない気もしたので、付け加える。

「面白いよ。ちょっとジェットコースターみたい」

「なるべく安全運転を心がけるよ」

「うん」

 運転中の相手にどの程度話しかけていいものかいまいちわからなくて、会話は途切れがちになる。音楽もオーケストラではなくピアノやヴァイオリンの曲が多くて、私は少し、眠たくなってきた。シートは柔らかく、車の中は温かくて、揺れも気持ちいい。でも、さすがに寝るのはまずいだろうと姿勢を正すと、類が笑みの混じった声で尋ねてきた。

「眠い?」

 迷ったけれど、正直に言う。

「少しね」

「寝てもいいよ」

「寝るのは失礼でしょ」

「僕は、寝てる里香、見たいけど」

 冗談らしく言われたので、私も冗談のふりで返した。

「私は見せたくない」

「残念だな。でも、本当に眠いなら寝てくれていいよ。見てほしくないなら、なるべくそっちを見ないようにするから」

「寝ないよ」

「さて、どうだろうね」

 類の言葉が軽くて、私の気分も軽くなる。

「寝ないけど、もし寝たら、こっち見ないでね」

「約束するよ」

「あとどのぐらいでつくの?」

「四十分ぐらいかな。道が混んでなければ」

「じゃあ、お昼前だね」

 類は不意に、とても優しく笑った。車の中の空気が甘く色づくような微笑み。

「……どうしたの?」

「え? なんでもないよ」

 嘘つけ。

 顔に表れていたのか、類は困ったように笑った。

「なんでもないよ。本当に……ええと、後で教えるよ」

「なんでもなくないんじゃない」

「たいしたことじゃないんだ。うん。忘れたふりをしてくれるとうれしいな」

「じゃあ、「ふり」するね」

 前回の職のこともそうだけれど、類のサプライズは私にとっていいこととは限らないので、覚悟だけはしておくことにする。

「ありがとう」

 と言ってもこの感じからすると、そうたいしたことでもなさそうだ。肩の力を少し抜く。

 言われた通り、四十分ほどで着いた。わざとなのか類は言葉少なで、途中で寝そうになったけれど、なんとか耐えた。

 目的地は海沿いの公園だった。雲が出て、日差しが少し翳っている。

「寒そうだね」

 何の気もなく呟いてから、しまった、と類の顔を見る。

「ちょっと待ってて」

 類は車から降りると、後ろから荷物を出していた。私はシートベルトをはずして、おとなしく待っている。

「はい、降りて」

 ドアが開いた。類が、降りるのに手を貸してくれた。右腕でほとんど抱き降ろされるようにして、私は地面に足をつける。

「はい、これ」

 広げた大きな布で、両肩からすっぽりと包まれる。焦げ茶色の、軽くて大ぶりのブランケットだった。新品のようだ。

「これなら寒くないでしょう?」

 類が手を離すと肩から滑り落ちそうになったので、両手で押さえる。車の中と同じ、ジャスミンの香りがブランケットから漂っていた。三歳ぐらいの子供にするような過保護に顔と体が熱くて、ブランケットの防寒効果は感じられない。

「……マントみたい」

「可愛いよ。可愛い魔法使いさん」

 何言ってるんだかこの男は。

「行こうか」

 掠め取るように、類は小さく私の頬を撫でた。つめたい風を吹き付けたあとも、頬にはしばらく類の感触が残っていた。

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