第13話

「……びっくりした」

 何の他意もなく、ただただ純粋に、びっくりしていた。芝生に広げられたビニールシートで、類はお弁当を広げていた。

 手作りの。

「びっくりした?」

 類ははにかんではいるけれど、得意げだった。

「びっくりした」

 同じ言葉を繰り返す。二つのお弁当箱には、鳥の唐揚げに卵焼き、ほうれん草の胡麻和え、蓮根の金平、という和風のおかずと、おにぎりが詰まっている。おにぎりは五目御飯と、鮭と菜っ葉の混ぜご飯の二種類。

「あとこれ、スープ」

 そう言って、類はスープジャーを取り出した。

「スープ?」

「けんちん汁だけど」

「……おお」

 カップについでくれる。お出汁のいい匂い。

「……好きなものばっかりだ」

 母親だってここまで私の好物を具体的に把握はしていないと思う。どれから食べようか迷うぐらい好きなものしかない。

「よかった。ほら、食べて」

 頷いて、いただきますをする。とりあえず、唐揚げに手を付ける。私好みの、衣が厚いやつだ。

 一口で食べるには大きいので噛み切ろうとしたら、肉汁がこぼれそうになったので慌てて口の中に放り込んだ。

「美味しい?」

 肉を頬張ったまま頷く。正直、専業主婦で料理上手のはずのうちの母親の唐揚げよりも、美味しい。私とは比べられるレベルではない。

「……美味しい」

「よかった」

「料理出来たんだ」

 知らなかった。だが料理ができることにはさほどの驚きはない。類には苦手なことなどないのかもしれないと昔から思っていた。何事にも勘のいい男なのだ。

「一人暮らしだからね」

「私一人暮らしだけど料理下手だよ」

「里香はそれでいいよ」

 私はよくはない。

 類の眼差しは優しい。小さく微笑みを返して、私は卵焼きに箸をつける。きっとこの卵焼きは甘いのだろう。それが私の好みだから。かじってみると、実際甘かった。醤油と砂糖の、固めのよく焼いた卵焼き。類の方を見ると、類も私を見ていた。私はお弁当に視線を落とす。美味しい、と言えばいいのに、言葉が出ない。

 お弁当は全部美味しかった。量もちょうどおなかがいっぱいになるぐらい。食べ終わって、手を合わせる。

「ごちそうさまでした」

「美味しかった?」

「うん」

 細かいところまですごく行き届いたお弁当だった。私のためだけに作られたお弁当。こんなに細かいところまで、私のことを理解されている。体は満たされ切っているのに、気持ちだけがちりちりと毛羽立ってくる。 

「はい、お茶」

「ありがとう」

 魔法瓶からカップに注いでくれる。あついほうじ茶だった。唇を湿らせて、小さく咎める。

「類も、早く食べなよ。人の面倒ばっかり見てないで」

「ごめん」

 心なしか嬉しそうに謝る類の分はまだ半分以上も残っている。見られていると食べにくいだろうと、体の向きを変える。

 公園は広く、人の出もそこそこだ。お弁当を食べている家族や、犬とフリスビーをしている人たちを見かけるけれど、ぶつかることを心配しなくてもいい程度の距離は保てる。鼻を動かすと、冷たい空気の底に塩っ気を嗅ぎ取れた。いつもと違う場所にいる、という単純な事実に、気分が高揚する。ほうじ茶を啜る。

「ごちそうさま」

 その声に振り返る。思いがけない早さだ。

「そんなに急がなくてもいいのに」

「退屈してるんじゃないかと思って。散歩しようか」

「もうちょっとここにいたい。類もお茶呑みなよ」

「うん」

 二人で黙って、お茶を啜っている。類とこうしていると、さっきみたいに心拍数が落ち着かない。お茶を呑む時間を楽しむというよりは、何かを始めるタイミングを計っているみたいだ。

「やっぱり里香がいるのは、いいなあ」

 類が大事に取っておいた宝物を取り出して、そうっと撫でるみたいな言い方をする。私はそれについては触れず、話題を逸らす。

「類は公園とか、よく来るの?」

「いや、全然」

「普段休みの日は何してるの?」

 考え込むように目を細めた。

「あんまり休み自体がないな。仕事を作ろうと思えば、いくらでも作れる仕事だからね。逆もまた然りだけど」

「ワーカホリック?」

「そこまでではない、と思いたいな。でも、仕事をするのは嫌いじゃない」

 私には理解できないことだ。私にとって、仕事は必要に迫られてやることだった。お金の心配さえなければ、このまま永遠に無職でいい。私は怠惰を飼い馴らすすべを、ほとんど生まれつき知っている人間なのだ。怠惰と、それから、多分孤独を。

「……僕が楽しいって思うのは、里香といるときだけだからね。一人でいるなら、仕事をしていたほうがいい」

 喉の奥が詰まる。類の口から出た言葉が、嘘ならいいのに。

「……仕事が嫌いじゃないのは、いいことだね」

「うん。それについては、僕は運がいい」

 それについては、か。類は無邪気だ。この男は自分がどれほど運が良いのか、自分が当然に持っているものを他人がどれだけほしがっているのか、まるでわかっていないのだ。彼はいつだって最上のものを持っている。それ以外があるなんて想像もしない様子で。もちろん、それは責められるようなことではない。でも、私は類の無邪気さに直面すると、いつだって悲しくなるのだ。

「体には気をつけてね」

「うん。気をつけるよ」

 ヘイゼルグリーンの瞳が、無邪気に私を見つめている。私は目を伏せ、カップに残っていたお茶を、口に含んだ。

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