第17話

 エレベーターを降りて、タクシーに乗り込んだ。智也のマンションの近くの目印になる場所を告げる。

 夜のイルミネーションが通り過ぎて行くのを眺めながら、携帯を取り出す。そう言えば父がずっとそばにいたし、聡さんと会っていたので確認してなかった。

 携帯には一通メールが来ていた。胸がギュッと締めつけられた。『ここに来て』という智也からのメールだった。こことは智也のマンションだと思う。地図も何も添付されていない。


 智也になんと返事をすればいいか迷っている間に、智也のマンションに着いてしまった。タクシーを降りて合鍵でマンションの自動ドアを開ける。エレベーターの扉も開けて智也の部屋へと向かう。

 智也に会いたと思って、そのままここまで来てしまった。この格好のままで……なんて言えばいいんだろう。そして、智也が私を見ても何も言わなかったらどうしよう。髪から化粧、服も靴もいつもとは違っている。智也が違いに気がつかないはずはない。どうしよう。

 迷っている間にエレベーターは到着してしまった。私はエレベーターを降りて智也の部屋まで歩いて行く。どうしよう。どうしよう。どうしよう。

 迷っている間に部屋の前まで来てしまった。

 仕方ない。鍵を取り出して部屋の鍵をあける。そうだよね。どんな関係だっていい、智也のそばにいたいんだってさっき決めたじゃない。ガチャっと部屋のドアを開ける。

 あ、インターフォンを押せばよかった。智也何してるんだろう。部屋にいるのは確かだった。廊下の奥のリビングに明かりがついている。ドタドタって足音が聞こえてきた。ガチャっとリビングのドアがあく。リビングの明かりと共に智也がこちらにやってきた。


「なんで連絡なしで……」

「ご、ごめんなさい」


 あ、や、やっぱり連絡なしに部屋に勝手に入って来たからだ。智也は怒っている。


「か、帰るね」


 弱気な私が顔を出す。私は今開けたドアから廊下に出ようと、玄関のドアを開けようとする。

 ドン!

 智也が玄関のドアに手を着いた。やっぱり怒ってる。


「梨央奈、メール見たの?」

「あ、うん。そのさっきタクシーの中で……。ごめん……」

「俺ここに来てって言ったのになんで帰るの?」


 あ……そうだった。あれ? じゃあ、智也は何に怒っているの?


「あ、いや」

「とにかく、こっち向いて。話できない」

「う……ん」


 智也の手に挟まれてドアと智也の間にいる。その場でくるりと向きを変える。智也が近くにいる。胸はドキドキと高鳴る。こんな状況なのに。怒って真剣な表情の智也に見とれている場合じゃないのに。


「なんで連絡なしなの? それになんでこんな格好してるわけ? 化粧までいつもと違う」


 やっぱり気づいた。気づくよね……。ちょっとホッとしてる私がいる。智也はなぜか怒っているけど……それとも、もしかして? なんて考えて嬉しくなってみたり。


「梨央奈。聞いてる?」

「あ、うん。ごめんなさい。父がずっとそばにいて……」

「その格好の理由は?」

「あ、や……お見合い……」


 自然と声が小さくなる。お見合いしてと怒られないことを恐れている。智也にとっての私の居場所って……。


「……っなんで? なんで見合いするんだよ」

「お父さんが……その無理矢理……」

「無理矢理にしてはその格好は?」

「あ、その、仕方なく?」


 話をしていて自信がなくなってきた。私なんで見合いしちゃったんだろう?


「ふーん」

「と、智也、あのドアが痛い……」


 ドアに押し付けられていて背中が痛くなってきた。

 智也はガバッと私の体を引っ張り、今度は玄関の壁に追い詰めてきた。


「で? 見合いして来たんだ」

「あ、う……ん」

「それも、しかたなく?」

「あ、いや、あの、うん」


 あの時の自分の気持ちを素直に智也には言えない。結婚しないでもいいって決心つけるまで時間がかかったなんて。


「梨央奈……俺って梨央奈の何?」

「え?」


 そ、それを聞きたかったのは私の方なのに……私って智也の何? って……。


「ただの同僚? 教育係を任された新人?」

「違う!」

「だったら何?」

「智也は……大事な人……智也と一緒にいたいの。三十になろうが何だろうが……関係ない。私は智也と一緒にいたいの」

「なら何で……見合いなんてするんだよ!」

「そ、それは……」


 智也の眼差しは真剣だった。素直に言おう。どんな答えが返って来たって、私は智也から離れない。離れられない。


「お見合いね、あのホテルのレストランだったの」

「え?」

「智也と最初の夜を過ごした……そこでね……私気持ちが揺らいでた。無理矢理連れて来られた見合いだったけど……」

「梨央奈……?」


 さっきまでの強い眼差しの智也はいなくなった。智也は不安げに私を見つめている。


「でも、気づいたの。あの場所で……ううん。どこにいたって一緒に居たいのは智也だって。智也と一緒に居たいんだって。智也に会いたいって……そう思ったら、そのままここに来てた」

「梨央奈……」

「あ、あの……だからって、智也とどうこう言ってるんじゃないのよ。私が一方的に一緒に居たいだけで……その……今までのままでいいんだから」

「俺たちの関係どう思ってたわけ?」

「え? あ、あの……その……わからない……」

「わからない……って」

「でも、いいの今までのままでいいんだから。私はそれで十分なんだから」


 智也は私の答えに戸惑ってるみたいだった。智也困ったのかな?


「見合いはどうするんだ?」

「断ってきたよ」

「なんて言ったんだ?」

「好きな人がいるからって」

「好きな人がいるからねえ」


 智也の複雑そうな表情は変わらない。やっぱり迷惑だったのかな?


「あの、でも、私は今のままでいいんだからね!」

「今のままねえ」


 智也はますます複雑そうな表情をしている。なんと言えば伝わるんだろう。ただ一緒にいたいだけなのに。他には何も望んでないのに。


「そう今のまま」

「……」

「智也?」


 智也は戸惑った顔のままでこちらを見ている。目を合わせられない私はうつむき加減でいた。その私の顎を智也の手が持ち上げる。智也の視線と交差する。けれど智也の気持ちはわからない。智也何を考えてそんな顔をしているの?


「本当に梨央奈は……全く……わからないよ」

「全くって!」


 私の方がわからないんだけど。全く!


 智也は私の顎から手を離してギュッと私を抱きしめた。


「全く!」


 全くってなによお!


「俺の側にいろよ。もうどっか行くなよ。勝手に」

「う、うん。ごめん……なさい」


 これじゃあどっちが年上なんだかわからないじゃない。

 でも心地の良い言葉。ずっと智也の側にいてもいい気がしてくる。


 智也の腕の中、心はすうっと満たされていく。そこに

 グルギュウー

 はへ? 盛大なお腹の音が鳴り響く。


「プッ」

「なんだよ! ずっと梨央奈を待ってたから仕方ないだろう?」


 珍しく顔を赤く染めた智也がいる。ずっと待ってたからか……いい気分になっていく。


「はい。なんか簡単に作るね」

「えー、梨央奈はホテルの料理でえ?」

「文句は聞きません。さあて、なにがあったかなあ」


 料理をしてしまえば、後はいつもの雰囲気に戻ってしまうはずだ。

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