第16話

 見上げたホテルを確認して唖然とした。な、なんで。なんでここなのよ!


 そこは智也と初めて夜を共にしたホテルだった。

 い、嫌だな。智也との想い出が崩れてしまいそう。私と智也の想い出の場所なのに。


 でも、そんなことは言ってられない。私はホテルの中に入り、自動ドアの前に立つ。ここまで来てしまった。行かなければいけないよね。聡さんに会って直接断らなければ……。断わる? 本当に断わるの? 最後のチャンスかもしれない。智也との夢を見ていてみすみす目の前の大きなチャンスを逃すつもりなの? いい加減二十九にもなって目を覚ましなさいよ。目の前にあるチャンスを無駄にする気なの?

 で、でも……。

 夢はただの夢。目の前にある現実を見るのよ。


 チンと、エレベーターが一階に到着した。中に乗り込み、最上階のボタンを押す。智也が言っていたレストランだ。高級だと……だから自分の格好もそれなりの格好なのか、それとも彼に合わせているのか。そんな人と話が会うんだろうか? それに話もできるのだろうか? 智也以外の男性でまともに会話できる人はいない。これって……どうなんだろう。

 だんだんと不安になってきた。話なんてできるんだろうか? かと言って父も言うようにお酒を飲んでいれば、いいってわけにもいかないだろうし。


 そんな私の不安をよそに、チンとエレベーターは最上階に到着した。


 エレベーターを降りてすぐにレストランの入り口がある。入り口で名前を告げるとすぐに中に案内された。そこは鉄板焼きがメインのステーキレストランだった。

 鉄板を前に横並びの席に聡さんがもう着席していた。軽く頭を下げると聡さんは手を軽くあげた。年相応に落ち着いた雰囲気を持っている人だなという印象。

 私が横の席に座るとすぐに飲み物を確認してくれる。私はアルコールが入っていた方が話しやすいだろうとワインを注文した。二人で飲むためにボトルのワインをチョイスして注文してくれる。聡さんはリーダーシップのとれる男っぷりもみせてくれる。


「梨央奈ちゃんはこれでいい?」


 メニューの確認をわざわざ聞いてくれた。梨央奈ちゃんか……ちゃん。そうだよね。私の方が年下なんだもんね。


「梨央奈ちゃん?」

「あ、はい。それでいいです」

「じゃあ、頼むね」


 聡さんはメニューのコースとワインを頼んだ。


「仕事で海外勤務が長くてね。いつまでも独り身なんで、おばさんが勝手に話を持って来たんだけど迷惑じゃなかった?」

「い、いいえ。そう、勝手にだったんですか……」


 どうりで話がいい訳だ。聡さんの望んだことではないみたいだ。私と同じように無理矢理、ここまでお膳立てされてここまできたんだろう。これなら向こうからは断ってくる可能性も出てきた。


「あ、でも写真を見せられてからはすっかり……その、まあ、乗り気になったんですよ」

「え? 写真?」


 思い返してみなくても、見合い用に写真をとった記憶なんてどこにもない。それにここ最近普通に写真を撮ることもなかった。いったいなんの写真だろう?


「ほらこれ!」


 携帯で送られて来たようで、聡さんの携帯に私の写真があるようだ……え? これって何? そこに写っているのは確かに私だけど……服は私の服じゃない。確か……あ! これって紗子の服だったような気がする。それに背景は実家だし、化粧までされている。お正月だ! お正月にそう言えばお父さんにやたらとお酒を飲まされた。そして、酔っ払って記憶を失った……。

 翌朝は普通にベットに寝ていたから気にもしなかったけど……これって酔ってる表情だよ。お父さん! そして、またもや紗子の仕業だったの。なんていうお見合い写真を……。

 それにしても、これを見て私に会おうとする聡さんも聡さんだけど。


「……」


 なんにも言い返せないでいる私の前にコース料理が運ばれてきた。


「さあ、食べましょう」

「え、ええ」


 ワイングラスの中にもなみなみとワインが注がれる。綺麗な色に輝くワイングラス。そして、窓の外にも綺麗な景色が広がっている。さすが最上階眺めは一番だけど……今はそれを楽しむ余裕なんてない。

 変な写真を見られた上に、男の人に面と向かって何を話せばいいんだろう。しかたなく食べ続けるしかない。会話が弾まない分ワインをくいくい飲んでいく。

 仕事の話を聞いたところで「はあ、大変ですね」なんてありきたりな返事しか返せない。聡さんは私といて楽しいのかな? 私なんてつまらない女なんだろう。……あ! 違うってば。何を気に入られようとしているの? お見合い話がややこしくなるだけじゃない。でも、話をしていて聡さんが見かけ通りの、いや見かけ以上の好青年だってことがすぐにわかった。どこも文句のつけようがない相手だし。どうやってこの話を断わるの?……断っていいのかな? 断われば、また見合い話を父は持ってくるだろう。どうしても三十までには結婚させたいようだったし。

「三十を超えると見合いするのも難しくなるから最後のチャンスなんだぞ」なんて言葉を酔った父は言っていた。これが最後のチャンスなのかな? 聡さん以上の人がお見合いなんてする必要もない。聡さんだって海外勤務がなければこんなことしなくてもいいんだろうし。彼女がいたけど、続かないだけだって言っていたし。

 これが最後のチャンスなのかな? 智也に結婚の意志があるとかないとかの前に、そもそも付き合っているのかさえ疑わしいのに。それに半年前に学生で今は派遣社員をやってる智也が結婚を望んでいるなんてどう考えても思えない。

 自暴自棄も手伝ったせいだろうか。心の迷いを消すためだったのか……私はワインを飲む、飲む、飲む。


「梨央奈ちゃんはお酒強いんだね。ちょっとペース早くない?」

「あ、う、そ、そうですね」


 やだな。飲み過ぎたみたい。


「あの、変な意味じゃないよ」

「え?」


 聡さんが少し言い出しにくそうに話を切り出した。


「あの、俺ここのホテルに泊まってるから。その……しんどくなったらいつでも休憩もできるからね」

「あ、や、私……あのこれくらいは大丈夫なんで」


 も、もしかしてこのピッチで飲んでいたから勘違いされてる? 私の心の迷いがそう見せてるの?

 聡さんは爽やかな笑顔でこっちを見ている。これって……全然印象悪くないとか? あーもー、どうしたらいいの私?


 私の前にはデザートが置かれた。もうかなり時間もかかってるし……今日はここまでだよね。たいした話なんて何もしていない。こんなんで判断出来ないんじゃない?

 食後のコーヒーで酔いが少し和らいだ。


「梨央奈ちゃん、大丈夫?」

「ええ」

「じゃあ、下のバーで少し飲み直さない?」

「え?」

「もっと話をしたいんだけど」


 またもや爽やかな笑顔。下心など全くなさそうだし……まあ、親からの紹介のお見合い相手が下心あったらおかしいんだけど。


「あ、じゃあ……あの一杯だけなら」

「じゃあ、行こうか」


 聡さんは優しくエスコートしてくれる。ずっと横に座っていたのに肩を並べられてドキドキする。聡さん背高いなあ。

 エレベーターの前でエレベーターが上がってくるのを待つ。


「ここって夜景が綺麗だね」

「あ、はい」


 こんなやり取りしてて楽しいんだろうか? もしくはどこで断わるかどうか迷っているんだろうか。まあ、聡さんなら次の見合い話には、もっと好条件な相手を望めば話が来るだろうし……私に構ってる時間もないだろう。この後の時間は、今日判断するためなんだろうな。

 緊張はアルコールで少しはなくなった。けれど、共通の話題もないせいだろうか話は弾まない。智也の時みたいになれない。なんで?

 チンとエレベーターが到着する。聡さんと私は中に乗り込む。すぐに下の階にあるバーなのであっという間に到着した。目の前の景色には見覚えがある。


「綺麗だね」

「あ、え、はい……」


 何だか胸が苦しくなった。ここは智也との思い出の場所で、それは私の中で大事な思い出に思えてきた。さっきまでの迷いがすっと消えてなくなってしまったよう。

 バーに向かう聡さんの腕をすっとつかむ。


「梨央奈ちゃん?」

「ご、ごめんなさい。私……」

「もう、遅いし飲みすぎたからね。いいよ」


 違う。そうじゃない。聡さんも笑顔を見ていると申し訳なく思えてきた。けれど、言わなくっちゃいけない。私の想いを智也との関係も智也が年下だろうと派遣社員だろうと結婚できなくても私の想いは変わらない。今ここで一緒に居たいのは智也だった。この景色を一緒に見たいと思えるのは、智也だけなんだと気がついた。何時の間にか私の想いはそこまで深くなっていたんだ。気づかない間に。こんなにも智也を愛していたなんて思いもしなかった。胸の痛みは消えない。智也に会いたい。


「違うんです。そうじゃなくて……」

「ん?」


 何と言えばいいんだろう。智也のことを……。


「好きな人がいるんです。だから、その……ごめんなさい。初めに言うべきでした」

「そっかあ。うーん。付き合っているの? その人と」

「い、いえ」


 智也と付き合ってるとは言えない。


「じゃあ、言いにくいよね。わかったよ。じゃあ、今日はここで」

「え? 今日は?」

「梨央奈ちゃんのこと、すごく気に入ってたんだけど……その彼と付き合ってて結婚まで話が進んでいるなら諦めるけどね。まあ、ダメだったら僕がいると、思ってて」


 軽い口調なのに聡さんは真剣な表情でそう言った。ダメだったらって、そんな。


「そんなこと……」

「まあ、次が僕ってことにしておいてよ」

「聡さん、あの、それは……」


 いくらなんでもそんな扱い……。


「いいじゃない。梨央奈ちゃんは梨央奈ちゃんの恋を何とかしてくれたら」

「何とかって……」

「梨央奈ちゃんのお父さんに言われているんだろ? 三十までにはって」

「あ、は……い」


 お父さんそんな情報までしゃべらないでよ。


「梨央奈ちゃんもどうにかしないといけないんだろ?」

「あ、いや、それは……」


 そうなんだけど……もういいんだってさっき決意した。智也と一緒に居れたらそれだけでかまわないと。


「それはって、もしかして結婚できない相手なの?」


 こ、これはまずい。結婚できない相手だって、お父さんに伝わったらそれこそ、強引に結婚話を進めかねない。


「ち、違うんです。あの、片想いなだけです」


 間違いじゃない。私の想いは智也に一方通行なんだから。


「そう。じゃあ、話に決着が着いたら僕に連絡して。待ってるから」

「あ、いや、聡さん……」

「ダメだよ。想ってるだけじゃ伝わらないよ」

「あ、は……い」

「送って行くよ。駅まで」


 聡さんは気持ちを切り替えるようにエレベーターのボタンを押した。


「いえ、一人で帰ります」

「でも、危ないよ」

「あ……のタクシー乗るんで」


 嘘だった。ここから智也のマンションまで行く為だったけど、それはいくらなんでも言えない。


「そう、じゃあ……ここで」

「はい」

「僕は少し一人で飲むことにするよ」

「あの、本当にすみませんでした」


 私は申し訳なくて頭を下げる。このお見合いのために、聡さんはここまで来てくれたんだろう。申し訳ない。


「あ、いや。仕事もこっちであったんだ。だから気にしないで」

「でも……」


 チンとエレベーターが到着して扉が開いた。


「ほら、閉まっちゃうよ。早く乗って」

「あ、はい」


 私はエレベーターの中に入り振り返る。


「じゃあ、また会えることを願っているよ」

「あ……」

「またね。梨央奈ちゃん」


 エレベーターの扉は静かに閉まり、聡さん笑顔のまま別れることになった。私は一階のボタンを押す。エレベーターは動き始めた。いい人だったな。私にはもったいない話だった。父が張り切り、紗子が口出しするのもわかる気がする。みんなごめんなさい。はあーと息を吐いてエレベーターの壁にもたれかかる。

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