第6話
ん? あれ? ここ、どこ!?
目覚めてみれば見たことのない部屋のベットに横になっている。ここってホテルだよね? え、えっと……。
昨日の記憶を思い返してみる。朝から会議で……部長に呼ばれて……それで、仕事が終わって……電車に乗ろうとして……吉野君からメールが!
吉野君! そうだった。居酒屋に行き、ホテルのバーで飲んだ帰りにそのままホテルの部屋に一緒に来たんだった。
周りを見渡すまでもなく真横に頭が見える。そっと布団をめくってみると、吉野君だった。まあね、違う人だったらそっちの方がびっくりだけど。
記憶はわらわらと私の頭に蘇ってくる。や、や、やー!! 私なんてことを……。好きじゃないのに……好きじゃないのかな? 酔っていたからできたの? どうなの? どうなの私?
だって、キスの後眠い頭で吉野が帰ろうとするのを引き止めたよね。「嫌だ」なんて軽く言ってしまった。腕は彼の首に回されて、完全に私が引き止めてしまっていた。な、なんてことしてしまったの!
そ、それより服! 着てるの? 布団をめくり確認。大丈夫、あの後は眠っただけだったみたい。ん? 気になり吉野君の服装もチェックしようと、もう一度今度は服が見えるぐらい吉野君の布団をめくった。はあーこっちも大丈夫だった。
「おはよう」
私が混乱してバタバタしている横で、吉野君は目覚めてしまった。ま、まだ心の準備が……できてないよう。
「お、おはよう」
私はすっかり気が動転している。記憶の彼は鮮明過ぎて、朝から刺激が強すぎる。
「その様子だと昨日の記憶を失ってはいないよね?」
「あ、うん」
いっそのこと失っとけばよかった?
吉野君はそのまま私に抱きついてきた。
「昨日のこと、本当に全部覚えてる?」
「あ、うん。多分」
記憶の最後の部分は、吉野君に腕枕をされて、その胸に抱きついてるところだったんだけど……。どうやらキスで終わったみたいだよね。これだと。
「シャワーを浴びれば? 俺は朝ごはん買って来るから」
「え。でも……」
そ、それは悪いよ。それに着替えもないんだし。シャワーを浴びるって……なんだか恥ずかしい。一夜を共にしたとはいえ何もなかったんだし。
「それともホテルのモーニングでも食べる?」
そ、それじゃあ! 吉野君が部屋にいる間にシャワーを浴びないといけないじゃない!
「あ、いや。それはちょっと。じゃあ、あのお願いします」
「何がいい?」
「あーっと。サンドイッチとカフェオレで」
「オッケー。じゃあ。行ってくるね」
吉野君はバスルームにしばらく姿を消してすぐに出てきた。
顔を洗ったり身支度をしてきたんだろう。
「じゃあ、ゆっくり買ってくるから」
そう言って吉野君はカードキーを持って出て行った。
私はそのままバスルームに入った。はあー。
やってしまった。これって一夜の過ちってこと? いや、過ちって程ではないけれど、酔った勢いで……はあー。もう、この年でこんなことするなんてえ! しかも相手は六つも年下の派遣社員。ダメでしょ? 私。ダメでしょ! しかもキス……初めてだったのにー!
シャワーを浴びて一応体の確認をしてみる。
外傷はもちろんなし。他は……なんで? 胸のあたりにキスマークだろう赤い痕が残っている。服を着ていればに見えない場所にある。普通なら困らないけれど、制服に着替える我が社では、一緒に着替えている女子社員に見られる可能性もある場所。
これ……吉野君だよね? 昨日の私の体にはこんな痕はついてなんかった。寝てしまった後に、つけたんだろうけど……どういうこと? ……他には何もされた形跡はないのに。
ドンドン
「帰ってきたよ」
「あ、はい」
謎のキスマークらしき痕を発見して、すっかり時間をとってしまった。早く出ないと。慌ててバスルームを出る。
「遅いから心配したよ」
「ごめん」
「俺は別にいいんだけど」
朝食はコンビニのサンドイッチとカフェオレで済ませる。吉野君と二人でモグモグいただいたけれど……これからどうするの? どうなるの? 期待と不安が入り混じる中、朝食は終わる。昨日の話をするわけでもなくこの胸のキスマークらしき痕の話題も出てこない。聞くに聞けない雰囲気が続く。
「じゃあ、そろそろ出ようか?」
「あ、はい」
吉野君は砕けたまま、私はどうしていいのかわからず、いつものまんま。
エレベーターでロビーへと降りて行く。
「じゃあ会計してくるから」
「え、いや、でも……私も」
「今度は俺のおごりっていったし、誕生日だったでしょ」
「あ、うん。じゃあ、その……ありがとう」
「ちょっと行ってくるから、ここで待ってて」
「あ、うん。はい」
ロビーで吉野君を待つ間に考える。これって誕生日プレゼントってこと? 吉野君がどうしてこんなことまでしてくれるんだろう……。
私の答えのない堂々巡りの自問をしている間に吉野君が戻ってきた。
「お待たせ。行こうか」
「は、はい」
私は吉野君について行くことしかできない。
ホテルを出てそのまま歩いてく。
昨日聞いてなかったんだけど……そのままの成り行きでしてしまったけど、これって一夜の過ち? それとも付き合ったの?
「あ、あの、そのあの私達って……」
続きが言えない。
「ん? 何?」
「あ、ううん。いいの。うん」
いいわけないでしょ私! ここをはっきりさせないと今後どうするのよ! キスだけだったけど一夜を二人で過ごしたんだよ。しかも、胸には多分キスマーク……。
「あー、駅に行くんだよね? 俺ん家こっちなんだけど」
「はい。その、じゃあ……」
別れるの? ここで? 今日は土曜で会社も休み。今日はこれまでってこと?
「いや、駅まで送るよ」
「え、でも悪いし」
本当はまだもう少し一緒にいたいんだよね。言えないけど。
「悪くないよ。さあ、行こう」
吉野君の手が出てきた。自然でさりげないこの手。 つ、つないでもいいのかな?
ためらっている私の手を吉野君は振り返り握る。
「ほら、行くよ」
「う、うん」
彼の手を握り返す。繊細で細いと思っていた手は、想像していたよりもずっとがっしりとしていて大きかった。温かい手のひらに包まれていると、吉野君に包まれている気がしてくる。ゆっくりと駅までの道を歩きながら、取り止めのない会話を続ける。嬉しくて楽しくて仕方ないのに、その想いを悟られないようにしていた。
だって……これってどんな関係なの?
駅までの道はあっという間に過ぎて行った。
「じゃあ、また月曜日」
「うん。また」
そっと吉野君の手をほどき、その手を吉野君に振る。
この状況はやっぱり……昨日の夜は私に付き合っただけってこと? 明日の日曜日も今からの土曜日も会うことはしないってことだよね? 「また月曜日」ってことは……。
電車に乗ってこの状況で吉野君と付き合ったかどうかを検証する。………ゼロだね。ゼロに限りなく近いよ。全く付き合った感ないじゃない。遊ばれたんだ。でも、……吉野君そんな人には思えないんだけどなあ。男はそんな簡単にはわからないものなのかな。
土日の間、胸に残った彼の痕を見ては、彼のことを思い出していた。見れば見るほど吉野君につけられたキスマークにしか思えない。
私、吉野君を好きになっちゃったのかも。それとも、もう好きになっていたのかな?
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