第5話
椅子から立ち上がって、またクラリとする。ヤバイなあ。飲みすぎたかも。最後の一杯をやめておけばよかった。
気づくと、吉野君が抱えるようにして支えてくれていた。今回のは予測していたようだった。
「ご、ごめん。大丈夫だよ。もう立てるから」
「エレベーター乗るまで支えてるよ」
「そ、そう?」
目の前がグニャーっとしている。これはよくない。きっとまともに立てないかも。ど、どうしよう。少なくとも吉野君と別れるまではシャンとしとかないと。
それでも、エレベーターの前で吉野君に抱えられてるのは、「いい気分だな。ずっと彼氏なしだった私にしたら、いい思い出じゃない」
「そう?」
「へ?」
吉野くんが絶妙なタイミングで返事を返してきた。……もしかして……。
「あれ? 今、私しゃべってた?」
「しゃべってるけど、自覚なし? 和泉さん」
え? えー? い、いつからしゃべってたの? 私の心の声丸聞こえだった?
チンと、私の混乱とは関係なくエレベーターが到着した。吉野君は変わらず私を抱えるように歩いてくれている。自分で歩いてないから、歩けるのか自信がもてない。「どうしよう。どっかに泊まって帰った方がいいのかな?」
「泊まるんならここにすれば?」
「はへ?」
「またしゃべってるよ。和泉さん」
ああー! もう勝手に口が! それにしてもここか。「高そうだけど誕生日だしな。最後の思い出にでもちょうどいいかな」
「そうだね。思い出にはちょうどいいね」
「ああー! またしゃべってた?」
「ああ」
もう! 勝手に心の声出さないで私! 恥ずかしいなあ。
チンと、まだ心の整理のつかない間に、エレベーターは目的地についた。吉野君に抱えられるように、歩いてエレベーターを降りる。あれ? ここどこ?
歩いているのは廊下だった。そう、ホテルの廊下………なんで? 左右に見えるのはドア、ドア、ドア。
「あ、あの吉野君。降りるとこ違うけど」
「何言ってるの? 泊まるんでしょ」
そう言った吉野君の手には、ホテルの名前の入ったルームキーだろうカードがあった。
「え? え? 何時の間に?」
「居酒屋から電話したの。ケーキもね」
「あ、そっか。ケーキ……」
そうどうやって、あの瞬間にケーキを用意したのかも、疑問に思わないほど私は酔っている。
思っているよりも酔っている自分に気がついた。「これじゃあ、帰れないな」
「だから泊まればいいよ」
「う、うん」
吉野君が立ち止まりルームキーで鍵をあけドアを開ける。
部屋の中に入る時は吉野君の腕から離れて一人で歩いてみた。フラフラする。これは泊まらないといけないや。そのままベットにダイブする。
ベットはスプリングが効いていてふわふわの頭をさらにシェイクする。あー、体がふわふわしてきた。
「和泉さんってずっと彼氏いなかったんだよね?」
「え? あ、うん」
何真面目に答えてるの私? というか……あれ? ベットに寝転ぶ私の隣にはなぜか彼が座っている。なぜ?
「そのままでいいの?」
「え? いや。あの、よくない。このままお見合いとかよくないの! 本当は好きな人と……そのそうなりたい」
力説する私は彼の横に座る。
「好きな人とって、そういう人いるの?」
一瞬、上野さんがよぎるけど……やっぱり無理。
「いない……いないから問題なのよね」
はあー。と沈み込む。もう春を過ぎている。タイムリミットの半分の期間をあっさりと過ぎようとしているのに、そんな人さえ見つからないなんて。「私なんてこのままなのよお!」
「俺はどう?」
「はい?」
「和泉さん、俺はどう?」
「え? いや、いや、いや。私、年上だよ。六つも上だし。それに私なんて……」
必死で言ってるうちに、虚しくなってきた。もう恋をする可能性の芽さえないんじゃないかって思えてくる。
「俺はいいけど」
そう言って吉野君はグイッと私の身体に手を回してきた。え? えええ!
「あ、あの……」
もう言葉が出てこない。
「和泉さん、キス初めて?」
「あ、あの、あ、うん。はい」
何正直に答えてるの! さっき二十九の誕生日を迎えた、いい年の女が痛いでしょ? か、悲しい。
「ますます」
「え?」
吉野君やたらに嬉しそうなんだけど。な、なんで?
「和泉さん……梨央奈」
「な、名前! なんでっ……!」
なんで知ってるの私の名前……という言葉が出てくる前に、私の口は吉野君の唇で塞がれる。キ、キスって気持ちいいかも。唇と唇が触れ合うって、こんなに気持ちいいんだ。そっと軽く触れ合っただけなのに体が一瞬震えた。
「どう?」
「あ、や、あの……」
どう? って聞かれてもどう答えればいいの?
「じゃあ、もう一回」
「え? あの」
続きの言葉があるわけじゃなかった。何と言えばいいのか酔った頭では考えられない。そして、私はもっと考えられなくなる。
また吉野君がキスしてきたから。今度はさっきとは比べられない。
これってディープキス? い、息ってどうするの? 私が戸惑ってる間に吉野君は舌で軽く私の唇をペロリと舐める。ゾクゾクって背中にきた。な、なに今の?
ホウって吉野君の息が漏れた。あ、息していいんだ。なんて呑気なことを考えていたら、キスが激しくなる。え! え? ど、どうしたら? でも、なんか気持ちいい。
息が乱れる。キスしただけでこんなになるものなの?
「どう? 梨央奈」
吉野君は唇を離して私の名前を呼んだ。それだけでゾクリとする。吉野君の目は艶っぽくって色気がある。
「ん。気持ちいい」
すでに酔った頭に新しい刺激で私は私を見失った。
吉野君は私の身体をベットに横たわらせる。そしてまた唇を重ねる。
「梨央奈。気持ちいい?」
「う、うん」
ボウってなっていた頭はさらに鈍ってく。
私の唇に吉野君の唇が合わされる。
「吉野く……ん」
「梨央奈。吉野君はないよ。名前で呼んでよ」
「えっ……えっとあの……名前……」
鈍った頭でそっとたどる記憶。
「……智也」
智也はニカって笑顔を浮かべる。
「梨央奈も俺の名前知ってたんじゃない」
「あ……うん」
仕事中に吉野君の名前を度々目にする機会はあった。だけど……覚えてたんだ。私。吉野智也って特徴がある名前でもないのに……なぜ? なんでなんだろう?
強い刺激に強いお酒ですっかり私の限界がきた。心地よい吉野君の腕の中で強い睡魔に襲われる。
「梨央奈眠たいの?」
「う、うーん」
眠たいです。
「じゃあ、おやすみ。俺は帰るから」
「え、嫌だ」
キスする間につかまっていた智也の肩にあった手をぐるりと首にまわす。
「嫌だって。俺も泊まっていいの?」
「うん。一緒がいいの」
「わかった」
智也は首に回された私の腕を利用して、私を抱きかかえた。そのままベットカバーと布団をはがして、私の身体と一緒に布団の中に入った。
二人で入る布団は、くすぐったくて気持ちがよかった。智也は私の首の下に腕を入れてきた。こ、これが腕枕ってやつじゃない。ほどよい筋肉と暖かみのある腕枕は、最高に気持ちがいい。
眠りそうになっている私に智也は声をかける。
「梨央奈、おやすみ」
そしておデコに優しくキスしてくれた。
これって夢? 夢みたい。フワフワする頭と身体。智也の心地いいぬくもり。絶対夢だね……もう限界……「おやすみなさい」
………
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