33

 脈打つ血流に乗って、頭のてっぺんから爪先まで隅々まで行き渡ったかと思えば、頭の中に膨大な量の知識が流れ込んできた。

(これは……!?)

 初めて知るはずなのに、どこか身に覚えのあるものばかりである。

 悠太は不思議に思うが、何をどう出来るようになったのかを正確に把握した。

(とりあえず……!)

 首輪を外すことにする。

 デコピンする要領で、着ぐるみ状態に戻った猫の中指で弾いてやると、針で突き刺した風船のように割れた。

 次に、禍々しさのなくなった黒い尻尾の先を床に触れさせた。

 尾先からずぶずぶと入り込み、水面に垂らした釣り糸のような状態となって、黒い波紋が床全体に広がっていく。

 波紋に触れた者から、バキンと石化が解かれ、息を荒げて膝を衝く。

「なんすか……それ……っ!? 一体、なんなんすかっ!? あんたはっ!?」

 ここに来て、初めてソフィは狼狽した。

 彼女だけではない。元老院もカルミエーロ達『白銀団』もだ。

 しかし、フェルディナンドだけは違った。

「ようやく、か……!」

 口端に一筋の血を垂らしながらニヤリと笑う。

 フェルディナンドは何かを知っている。悠太は、後で彼から聞き出さねばと思うも、今は目の前のことに集中することにした。

「……ソフィ。罪を償ってくれれば、あとのことは僕が何とかしてみせる。だからここは大人しく投降してくれ」

「うるさいっすよ! あんたなんかに指図される筋合いはないっす!」

 ソフィは右手を振り払う。

 それが合図と言わんばかりに、フェルディナンドを押さえ込んでいた元老院とカルミエーロ達『白銀団』が、魔光剣を片手に悠太へと突っ込んできだ。

「馬鹿なことを……!」

 悠太は判断を誤ったソフィを憐れみ、向かってくる彼らを一睨みした。

 直後、彼らは吹き飛んだ。壁や床、天井と、あらゆる場所に激突する。

 しばらくは起きない。脳震盪を起こさせるため、脳を直接揺らしたのだ。

「ゆーくん……!?」

 膝を衝いたままのリノンが驚愕していた。

 アメリーやヴァレンティーネ、ジョルジョアンナを含めた『ほうき星』の面々までもだ。

 その瞳が微かに畏怖していることが読み取れる。

「ちょっと待っててね。すぐ終わらせるから」

 優しく言ったつもりだが、伝わったかどうか怪しい。

 この圧倒的な力を目撃すれば、誰だって驚くのは無理もないし、恐怖するのも十分頷ける。

「危険っす……危険っすよ、あんたは!」

 床に倒れ伏す手下達を見渡して、わなわなと震えだしたソフィは、両手を挙げた。

 指先はレムルスの木に向いている。

「やめろっ! やめるんだっ! ソフィっ!」

 意図を察した悠太は叫ぶが、ソフィは聞き入れない。

 念でも込めるかのように手を伸ばす。

 すると、レムルスの木がぼんやりと光り、てっぺんからモヤのようなものが立ち上る。

 モヤは天井に染みこむことなく、そのままソフィのいる場所の上まで伸びた。

「黙るっすよっ! お師匠様の意志を継いでヴェルバリタを導くのは、この私なんすよっ!!」

 ソフィが叫ぶと同時にモヤが彼女に降り注ぐ。

 全身を包み、ボコボコと膨れ上がると、モヤは消えていく。

 そして現れたのは、巨大な真っ白のレムルスであった。

『グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

「来い、チッカっ!!」

 部屋全体が震えるほどの雄叫びが響くと、血塗れのフェルディナンドが指笛を吹いた。

 すると、やられたはずのチッカが飛び起き、フェルディナンドに向かって走り出す。

 とてとて、と走る可愛らしい姿が徐々に変わっていく。

 二足から四足走行へと移り、指先には鋭い爪、二回りは大きくなった全身を銀色の体毛が覆い、突き出た顎から牙を覗かせる。

 力強く床を蹴り、フェルディナンドの元へ辿り着いた銀狼チッカは、彼の首根っこを咥え、悠太達のところへ向かう。

 その間、白いレムルスとなったソフィは、背中から幾つもの触手を出し、倒れていた『夜明けの月』や『白銀団』へと伸ばす。

「させないっ!」

 悠太は跳躍し、白い触手を睨んだだけで断ち切っていく。

 とても人間離れしているが、全てを断ち切ることはできなかった。

 生き残った一本が、意識のないカルミエーロにぐるぐると巻き付く。

「くっ! なっ!?」

 悠太は助けに行こうと踏み出すが、元老院の一人に足首をしがみつかれた。

「離せっ!」

 悠太は猫の手で元老院の頭に触れた。

 元老院はロケット花火のように吹き飛ぶ。

 自由になった悠太であるが、時すでに遅し、カルミエーロはソフィに飲み込まれた。

「くそっ!」

 悔いている時間はない。ソフィの背中から新たな触手が伸び、リノン達を狙う。

 颯爽と翻った悠太は触手を切り裂き、リノン達の前に立つも、がくっと膝を衝いた。

「ゆーくん!」

「しっかりしろっ!」

「お気を確かに!」

 リノンが悠太の肩を支え、アメリーとヴァレンティーネも屈み込んでくる。

「ぼ、僕は大丈夫です……それよりもフェルディナンドさんを回復して!」

「わかりましたわ!」 

 ヴァレンティーネが応じる。悠太の猫の手に触れ、チッカに咥えられたままのフェルディナンドに向かって回復魔法を発動した。

「ところでユータ、貴様のその力は一体……?」

「これは――」

 悠太が答える前に、ソフィが咆哮する。

 さらに、もう一度触手を伸ばし、元老院さえも捕らえ、次々に口腔内へと放り込んでいく。

 その姿に目を伏せるも、リノンは悠太に向き直った。

「ソフィちゃん、いったいどうなったのっ?」

「自分の体にレムルスを取り憑かせたんだ」

 悠太は、カルミエーロ達を食らい、一回り大きくなったソフィを見据えたまま続ける。

「でも、そんなことをすれば、きっとソフィ自身が持たない……」

 人の魂を糧としているが、人の敵として生み出されたレムルスである。たとえ不死身だとしても体内に取り入れて無事でいられるはずがない。おそらく精神がイカレてしまう。

「とにかく彼女は僕が何とかする。りっちゃん達は、みんなを連れて早く脱出を!」

「そんなのダメだよ! ゆーくんを置いて逃げることなんかできないよ!」

「姫様の言うとおりだ。貴様にだけに全てを押しつけるほど、私達は落ちぶれていない! そうだろう?」

 アメリーが振り返ると、『ほうき星』が一斉に「おう!」と答えた。

 彼らはあくまで自らの手でルバチアを取り戻したいのだ。

「ダメだよ」

 気持ちは痛いほど分かるが、今のソフィは埒外だ。たとえリノン達を強化したとしても、足手まといになる可能性が高い。

 誰かを守りながら戦うことは難しい。それはたった今、カルミエーロを救えなかったことで痛感している。

 悠太は立ち上がり、フェルディナンドの方へと振り返った。

 ちょうどヴァレンティーネが回復魔法をし終えたようで、彼はヴァレンティーネに礼を言って悠太に向き直る。

「そんな怖い顔をしても無駄だぜ? 今、脱出するのはナシだ」

「悠長なことを言っている場合じゃないんですっ! 早くしないとソフィが――」

「忘れんな。俺達の目的はレムルスの恐怖からヴェルバリタを解放することだ」

 フェルディナンドは親指でレムルスの木を指した。

「確かに。あれをどうにかせんことには、出るに出られんのう……」

 ジョルジョアンナもフェルディナンドに同意する。

「ですが……っ!」

 なおも反論しようとしたところで、裕太はただならぬ気配を感じた。

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