32

 話を聞き終えた悠太はソフィを見据えた。

「……一つ、聞きたいんだけど……」

「なんすか?」

「ソフィ……キミは一体、いくつなの?」

 グスタフが生きていたのは、今より三千年以上も前だ。長寿で知られるエルフでさえも、それほどの年月を生きることは不可能である。

「女性に歳を聞くのは失礼にあたるって、教わらなかったんすか?」

「……」

 悠太が黙り込んでしまうと、ソフィはふっと笑った。

「ま、少年が疑問を抱くのも当然っすよね……私は今年でちょうど三千と百歳っす」

 悠太が俄に猫耳と尻尾を逆立てるのを見て、ソフィが腹を抱えた。

「……でも本当なんすよ、これが」

 一頻り笑い終えると、ソフィは口元を歪めた。

「さっき話したとおり、レムルスの木からレムルスを生み出すには、人の魂と大地の魔素を消費しないといけないっす。魂に関しては、誰かを攫ってくればいいすけど、魔素は補充するのに時間がかかるっす。魔素溜まりの大きさにもよるんすけど、枯渇して一杯になるまで、およそ百年から三百年ぐらいすかね。だからレムルスの木ごと移動する必要があったんすよ」

 以前、評議会でフェルディナンドが口にしていたことにも繋がる。

 だがソフィの年齢の話と、どう関係があるのか分からず、悠太は眉をひそめた。

「まぁ、最後まで聞いて欲しいっす……最初は私も加減が分からなくてっすね。お師匠様も五年で死ぬし、大森林の魔素もすぐに空っぽになったんすよ。それで別の魔素溜まりがある土地へ移ったんす。そこで見つけたんすよ……」

 ソフィの口が残忍なまでに弧を描く。

「……なにを?」

「お師匠様と同じ石っすよ。お師匠様は運命石リア・ファルって呼んでたっすけどね」

 文字通り、グスタフの運命を変えることになった不思議な石。

 言い得て妙な名前だ。

「運命石は、触れた者の気持ちを汲み取り、その者を劇的に変化させるんすよ。だから私は願ったんす。永遠に生きたい、とね……」

 ソフィが何故そう願ったのか、悠太は何となく察した。

 レムルスの木の考案者としての責任感と、師グスタフが案じていたヴェルバリタの平和と魔法の行く末を見届けたいという思いからなのだろう。 

 とはいえ、誰かの犠牲の上で成り立つ平和は、非常に受け容れがたいものがある。

 それでも、世の中綺麗事だけでは済まされない部分があることも理解している。ソフィのやり方は、一つの手法としてはありなのだろう。

「ちなみに、彼らは私が作ったホムンクルスっす。ま、私にとって唯一の理解者っすね」

 元老院達をまるで親しい友人とでも紹介する。

 ホムンクルスは人工生命体だ。

 物語などでは、感情が乏しいロボットのように描かれることが多い。

 きっと元老院もそうなのだろう。

 ソフィは否定したが、悠太には、やはりヴェルバリタを支配しようと目論む独裁者のようにも見え、哀れに思えた。

 個人の自由を制限し、体制に異を唱えれば、排除も辞さないのが独裁政治だ。

 武力という恐怖をちらつかせて民衆を抑圧する者に、誰も心の底からついていこうとは思わない。いるとすれば、支配する側に回って甘い汁を吸いだけの奸物くらいだろう。

 ゆえに独裁者は孤独だ。

 それを三千年も続けていたというのであれば、もう同情しか浮かんでこない。

「レムルスの木を運用しながら、私は運命石を探したっす。でも、見つからなかったんすよ」

 悠太の心情など、これっぽちも察することなく、ソフィは嘆息した。

「どうやら運命石は、温度、湿度、土の軟らかさ、その他諸々の条件を満たす魔素溜まりからしか採れないみたいなんすよ。それも一度採取してしまうと条件が満たさなくなってしまうようで、二度と同じ場所からは採れないっす……あとは、だいたい少年も知ってる話っすよ」

 ソフィに言われ、悠太は図書館で知り得たヴェルバリタの歴史を振り返る。

 レムルスとの戦いは、国家間の連携を強めることになったが、自国を有利に働かせようという思惑は、どの国にもあった。

 レムルスのいない後の世で、覇権を握らんがために魔導士の数を増やさなければならない。

 そのため、自国に影響を及ぼさない土地への出兵は、極力避けるようになった。

 たとえ、戦乱時、あるいはそれ以前からの友好国であってもだ。

 これには魔導士達も大いに参った。

 グスタフが憂いたように、魔導士の存在意義はレムルスを倒す強力な兵と定着していた。

 魔導士達もそれを自負し、戦場に赴いていた。

 特別な存在であるがゆえに、魔導士同士の横の繋がりは強い。助け合ってレムルスに立ち向かうのは、暗黙の了解でもあった。

 当然、その繋がりを断ち切られれば、これまで勝てていた戦いも勝てなくなってしまう。

 結果、レムルスの勢力圏を拡大させるにいたった。

 事態を重く見た一部の魔導士が、国を超えた相互扶助組織――ギルドを起ち上げた。

 ギルドは瞬く間にレムルスに奪われた土地を奪還し、そこを領土とする国へ返還した。

 が、報償はなかった。

 領土を切り取られ、国力が下がっていたということもあるが、魔導士に対しての戒めという意味合いが強かった。

 魔導士に敵う者は、それこそレムルスぐらいしかいない。そんな化物に匹敵する者達が、国という縛りをなくし、徒党を組めば、誰だって警戒せざるを得ない。

 善くも悪くも魔導士に頼り切りだったことが災いしたのだ。

 程なくしてギルドは解散するかに思えたが、彼らを支援する集団が現れた。

 それが魔導協会である。

 協会は、魔導士自身、または他者が魔導士を用いて、他国への侵略と内政干渉を行うことを一切禁じた。

 協会自体も、どの国の政治にも関与せず、中立の立場を取り続けた。

 その一方で、依頼という形で魔導士への報酬を確保した。

 これにより、魔導士の在り方が大きく変わった。

 一つしかなかったギルドは、何十、何百と増え、各国、各都市へと点在することとなった。

 これまで自国の魔導騎士団を派兵していた各国も、ギルドへ依頼するようになった。魔導騎士団を運用するよりも遙かに費用が安かったからだ。

 そうしてヴェルバリタは、人とレムルスが半分ずつ支配する形で均衡を保つこととなった。

「で、ここ七、八年くらい前になって『夜明けの月』が現れたんすよ」

 ソフィの声に、悠太は顔を上げる。

「ぶっちゃけ、これまで私の正体を知る人なんていなかったからっすね。盾突く輩もゼロっす……だから逆に興味をもったんすよ」

「…………それで『夜明けの月』に潜入した……?」

「そうっす。そしたら、いろいろと面白いことがわかったんすよ」

 悠太の問いにソフィは微笑し、すっかり大人しくなってしまったフェルディナンドを見た。

「『夜明けの月』を興したのはフェルディナンドっす。彼は、グゼリアでも有数の魔導士の一族の末裔だったんすよ。でも、レムルスに一族郎党殺されてしまってっすね。イッヒゲルト家の再興を胸に『夜明けの月』を作り、私らに刃向かった……彼女達『ほうき星』のみなさんを巻き込んでっすね」

「えっ?」

 悠太はリノンへと振り返った。

 灰色に染まった彼女は、当然、何も答えない。

「そちらのリノンさんは、ルバチア王国最後の姫、リリアーノン・デュフォア・エッフェルバーグその人っすよ」

「えぇっ!?」

 驚く悠太を楽しむかのようにソフィは続ける。

「そしてアメリーさんは、代々ルバチア王家の護衛魔導騎士を務めるノッティーユ家の息女アメリア嬢。さらに向こうにいるのが〝ルバチアの魔女〟と呼ばれた筆頭宮廷魔導士のジョセフィーヌ・ポレット。そして、その他の『ほうき星』のみなさんは、ルバチア王立魔導騎士団の生き残りっすよ」

「なっ!?」

「ルバチア奪還は、彼女達の悲願っすからね。今回の討伐隊を計画した『夜明けの月』の一員だったとしても不思議はないっすよ。でも、元王族と聞けば、悪用しようとする輩はわんさかいるっす。だから実質的に関わっていたのは、ジョルジョアンナだけだったんすけどね」

「……じ、じゃあ……!」 

 悠太は『カタリーナ』の甲板でリノンから聞いた話を思い出した。

 八年前。当時十歳のリノンはレムルスから逃れるため、先ほど通ってきた隠し通路から脱出したのだ。

 その際、両親――ルバチア国王と王妃がレムルスに食べられる瞬間を目撃してしまった。トラウマにならないわけがない。

 ならば、リノンの様子がおかしかったことも、ジョルジョアンナが「連れて行け」とフェルディナンドに食ってかかったのも頷ける。

 彼らは自らの手でルバチアを取り戻したいのだ。

 しかし、ソフィが言うように、祖国奪還を悲願とする王族と、その関係者という立場上、これまで表立って危険な目に遭うことは避けねばならなかった。

 ゆえに、酸いも甘いもを知り尽くした老獪なジョルジョアンナしか『夜明けの月』に関与しなかったのだ。

 でなければリノンとアメリーが、フェルディナンドやチッカ、そしてスパイとして『夜明けの月』に潜り込んでいたソフィと、面識があってもおかしくないはずである。

「とにかく『夜明けの月』は、眉唾モノの真実を話し、少しずつ仲間を増やしていったっす」

 ソフィが想像を膨らませていた悠太の意識を呼び戻す。

「だけど、協会という巨大な組織を相手にするには、決定打に欠けたっす。そこでフェルディナンドは、あるモノを探したっす」

「それって……!」

「そう、運命石っすよ。どこで聞いたのか知らないっすけど、彼は見つけ出したっす。でも、飼っていた黒猫が運命石に触れてしまってっすね……」

 黒猫と聞いて悠太はビクッとなった。

「結果的には良かったんすよ。黒猫は、かつてその圧倒的な力でヴェルバリタを支配したという、幻獣すら超える存在になったんすからね……異世界の少年というオマケ付きっすけど」

「っ!?」

「ええ。少年が何者なのか、最初から知っていたっすよ」

 息を飲む悠太へ、ソフィがほくそ笑みながら頷いた。

「黒猫がどうして別の世界の少年に取り憑いたかは知らないすけど、どうでもいい話っすよ。要は、魔導士をとんでもない水準にまで高めるその力を何のために使うか、っすよ」

 ソフィはそこで区切り、今一度フェルディナンドへと振り返る。

「よく考えたものっすね……でも、どうにも分からないことがあるっす。敵が私ら元老院だと知って、どうして評議会で切り札である少年の力を披露したんすか? あの場にいた魔導士を引き込むためだけなら、他にやりようはいくらでもあったはずっすよ?」

 確かにそうだ。わざわざ相手に手の内を曝すのは愚の骨頂である。

「……」

 フェルディナンドは答えない。ただ血に染まる口元を少しだけつり上げてみせた。

「だんまりっすか……いつもそうっすよ。肝心なところは誰にも教えないし、尻尾も見せないっす。おかげで、私のことをどうやって知ったのか、分からず終いっす」

 ソフィは肩をすくめ、嘆息した。

「ま、それも今となっては些細なことっす。この討伐隊を利用して『夜明けの月』を潰してしまえばいいだけのことなんすから……そこでっすよ」

 そして再び悠太に向き直る。

「少年、私と取引をしないっすか?」

「取引……?」

「ええ。私と手を組むっす」

「なっ!?」

「はっきり言って、その力はとても魅力的っす。もし、受けてくれるのであれば、黒猫を引きはがして、少年を元の世界に還すことも考えてるっすよ」

 それは願ってもない提案である。

 しかし、承諾しかねる。

 ソフィは自身が作り上げた、レムルスという脅威によって保たれた秩序を、乱す存在を容認するはずがない。ただ、黒猫の力が欲しいだけなのだ。

 きっと、黒猫を引き離すことに成功すれば、用済みとなった自分は、元の世界の知識を洗いざらい吐かされた上で殺されるに違いない。

 ジョルジョアンナの忠告を想起した悠太は、僅かに後ずさった。

「あれ? 断っちゃうんすか? よく考えて欲しいっす」

 ソフィは悠太の後ろにいるリノン達へ視線を這わせる。

 彼女達が、完全に石に成り果てる刻限は、すぐそこまで迫っている。

 これは取引ではない。脅しだ。悠太はぎゅっと眉根を寄せる。

「言っとくっすけど、ちょうどよく助けが来るとか、考えない方がいいっすよ?」

 ソフィは振り返った。

 すると、カルミエーロ達『白銀団』が、虫の息の『夜明けの月』の面々を引きずって現れた。

「うぅ……」

「チッカっ!?」

 カルミエーロに掴まれたチッカもボロボロだ。あちこち破れて血も出ている。

「遅かったっすね?」

「ええ……」

 カルミエーロが空いた手で眼鏡の位置を直し、チッカを床に下ろした。

 他の『白銀団』員もそれに倣う。

「ど、どうして……!?」

「……我々にも事情があるのです……」

 悠太の視線から逃れるように、カルミエーロはソフィを睨み、ぎりっと奥歯を噛んだ。

「そんな怖い顔しないでくださいっすよ。これからも私に協力してくれるなら、いつか必ずレステティアはお返しするっすから」

 レステティアと聞いて、悠太はピンときた。

 かつて二大国以上に栄華を誇ったエルフの国。

 また、レムルスによって最初に滅ぼされた国でもある。

「というわけで、懸命な判断を期待するっすよ、少年」

 カルミエーロと同様に睨む『白銀団』の視線までも無視し、振り返ったソフィは、にこやかに右手を差し出してきた。

「……」

 実際のところ、どう逆立ちしても状況は覆らない。この手を握るしか道はないのだ。

 それでも悠太は躊躇う。

 握ってしまえば、リノンを裏切ることになる。

 レムルスの所為で悲しむ人を見たくないという彼女の夢を、この手で潰えさせてしまう。

(嫌だ!)

 リノンと約束した。その夢を叶える手伝いをすると。

(もっと……)

 自分に力があれば。

 彼らを圧倒する絶対的な力があれば。

 その腹の底がズンと軋むような、どす黒い欲望は、悠太自身を作り変えようする。

 猫耳は不気味なまでに尖り、尻尾も荒々しく毛羽立つ。そして両手は、いつもののような可愛らしさの欠片もない、獰猛な爪が鈍く光る、黒い獣の手へと変わった。

「無駄っすよ」

 ソフィがため息混じりに言うと、悠太の首が絞まる。

 首輪だ。首輪が激しく鈴を鳴らしながら白く輝き、ぎゅうと締め付けているのだ。

「ぐがっ!?」

 悠太は堪らず膝を衝いた。

「言ったはずっすよ。その首輪は全ての災いから身を守る聖なる首輪……つまり、その力の使い方だと、少年は身を滅ぼすことになるんすよ」

「フ――っ!! フ――っ!!」

 悠太は首と首輪の間に爪を引っ掛けながら、ソフィを睨んだ。

 この首輪は、運命石を取り込み、変質した黒猫の力を抑えこむために用意されたのだ。

 悠太は締まる首輪に苦しみながら、なおも抵抗しようとする。

 だが、足掻けば足掻くほど首輪は締まるばかりだ。

「ぐぅっ!」

 目が霞み始める。

 しかし、それでもソフィの手を握ることは出来ない。

(どうにかならないのか……っ!?)

 結局、黒猫に頼らざる得ない無力な自分が心底嫌になるが、贅沢を言っている段ではない。

 ソフィを倒し、レムルスの恐怖からヴェルバリタを解放することが、黒猫の願いなのだろう。

 だったら協力してやる。

 代償が必要なら、何でも好きなだけ持っていくといい。手足の一本でも二本でも、視力でも、記憶でも、元の世界に帰りたいという願いでも。

 それでリノン達を救えるのならば安いモノだ。

 裕太の捨て身の覚悟に応えるように、体の中で何かが弾けた。

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