26

 レムルスを退けた後、討伐隊は進軍を停止した。

 結局、三十隻近くが沈み、さらに四十隻が航行可能であるも戦闘不能な状態に陥った。

 死傷者にいたっては一万人を超えた。

 全体の二割を超える損耗である。これ以上の進軍は極めて厳しい。

 その原因は、悠太にある。

 考証の結果、あの赤いレムルスは、通常の魔法が通用しない新種と断定された。

 強化されたリノンが見事打ち倒したが、もう少し早く猫の手を出していれば、損害を抑えることが出来たのは明白であり、その責任を問う声がいくつも上がった。

 しかしフェルディナンドは、依然として悠太を討伐隊の切り札とし、進軍続行を決めた。

 討伐隊に参加する以上、命を落とす危険は当然あり、皆、それを覚悟しているはずだ。

 また安全圏の守りを捨てて臨んでいる。無理を押し通してでも結果を残さなければ、物資などを支援してくれた者や、無事を祈る人々に顔向け出来ない。

 無論、それも皆理解しているが、一度失した信頼は簡単に回復しない。悠太への対応は厳しいものへと変わった。

 臆病者、と罵り、悠太無しで討伐隊続行を唱える者も現れる。

 そんな中、最も実害を被ったはずの『アレキサンドライト』は、悠太を擁護した。

 異能を持つとはいえ、初陣の少年に全ての責任を負わせるのは、清廉さを求められる魔導士のすることではない、とコーデリカが声高に宣ったのである。

 ヴァレンティーネからも「お気になさらないで」と直接言われた悠太であったが、暗澹たる思いは尽きなかった。

「はぁ……」

 眠れぬ夜を迎え、『カタリーナ』の甲板の縁に体を預けながら、一人、夜空を眺める。

 月こそ出ていないが、無数の星が瞬き、未だ雲の上を行く帆船達を柔らかく照らす。

「はぁ…………」

 悠太はもう一度ため息を吐いた。

 勝手に期待されたとはいえ、自分の所為で多くの人が死んだ。その事実が悠太を責める。

 今ここで討伐隊から抜けることが出来れば、どんなに楽だろうか。

 だが、今後も出現が予想される赤いレムルスと戦うには、猫の手による強化が必要である。フェルディナンドの判断は正しいのだ。

 すると、

「眠れないの?」

 背後から声を掛けられ、悠太はビクッと身を震わせて振り返る。

「って、なんだ、りっちゃんか……」

「『なんだ』って酷くない? あんなに激しくわたしの胸を弄んだくせに」

「だ、だから、あれはっ!?」

 ゆーくんのエッチ、と胸を隠すように身をよじるリノンに悠太がパニクる。

 非常事態での不可抗力だ、と『カタリーナ』に戻ってから散々説明したはずである。

「あ、でも、男の子はみんなエッチだって言うし、ゆーくんがどうしても我慢できないっていうなら、ちょこっとだけ触らせてあげるよ?」

「い、いやっ!? そ、そういうのは、だ、大丈夫だからっ!?」

 思い直し、両手で胸を持ち上げてくるリノンに、悠太がさらに狼狽する。

 男なら歓迎すべきところであるが、いかんせん経験のない悠太はチキンであった。

「もう、ゆーくんってば、むっつりさんなんだから~! うぅっ、さむっ!? とにかく戻ろうよ! こんなところにいると風邪引くよっ?」

 ちゃんと分かってるからね、としたり顔のリノンが両腕を掻き抱くようにして身震いした。

 真夏とはいえ、夜の空は半袖一枚では寒い。

「むっつりじゃないから……っていうか、りっちゃん」

 きっちり否定だけはしておく悠太は、やや真剣な面持ちになる。

 リノンのおかげで沈んでいた気持ちが少しだけ軽くなり、冷静になれた。二人きりであるこの状況に乗じて、かねてより抱いていた疑問をぶつけてみることにする。

「あのさ……りっちゃんは元の世界に帰りたい、とか思ったことはないの?」

 彼女の半分は理乃である。

 理乃の意識を併せ持つのであれば、その気持ちがあっても何ら不思議はないはずだ。

「うーん……そうだねぇ……」

 リノンは少し困った顔になって悠太の隣に寄りかかり、星空を見上げた。

「たしかにそういう気持ちもあったんだけど……リノンとして、コッチでやらなきゃいけないことがあるからね……」

「それって……?」

 悠太が聞くと、リノンは向き直って魔晶石を取り出し、ゆっくりと手を翳した。

 満月のような水晶玉の中に映し出されたのは、一人の女性の肖像画であった。

 青いドレス姿で椅子に腰掛け微笑む姿は、リノンをもう少し大人にしたような雰囲気である。

「こ、この人って、もしかして……っ!」

「うん。コッチのお母さんだよ。お父さんとのお見合い用に描いてもらったんだって」

 告げるリノンの顔はどこか寂しげだ。

「……そ、その……」

「わたしが小っちゃい頃、レムルスに食べられちゃったんだ……わたしを逃がすために、お父さんと一緒に……」

 表情から察し、悠太は聞くのを躊躇うが、リノンはすんなりと打ち明けてくれた。

「だから、わたしは魔導士になったの……もちろん、仇っていうのもあるんだけど、わたしと同じようにレムルスの所為で悲しむ人をこれ以上増やしたくないな、って思って……」

「そう……だったんだ……」

 リノンの過去の重さに、悠太は言葉が見つからず、そう返すのが精一杯だった。

 が、これではますます討伐隊を離れるわけにはいかなくなった。

 リノンがいなければ、どこかで野垂れ死んでいたかもしれないのだ。帰る算段が付くまでは、出来るだけ恩を返しておきたい。

「……りっちゃん」

「なあに?」

「どこまでやれるか分からないけど、僕も協力するよ。りっちゃんの〝夢〟の実現に……」

「……ゆーくん! ありがとう!」

 リノンは、その凶器とも言える胸の感触を味合わせるように抱きつき、悠太を悶絶させた。

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