18

 そうしてやって来たのが、この議事堂である。

「〝味方殺しのイッヒゲルト〟っ!?」

「貴様! どの面を下げて、ここへ来たっ!?」

「まぁ、落ちつけって。あと何遍も言ってるが、ありゃ濡れ衣だ」

 俄に騒ぎ出す一同に対し、フェルディナンドは両手を上げて敵意がないことを示しながら、中央――階段状の座席に囲まれた場所へと進み出て、二階席にいる怪しげな連中を見上げる。

「討伐隊について提案があるんだが、ちょいと時間をもらってもいいか?」

 連中は、互いに耳打ちをした後、傍にいた衛兵らしき男に指示を出す。

「許可する」

 衛兵の言葉に場内からどよめきが発せられた。

「元老院のお歴々のお許しも出たんで、少しだけ付き合ってもらうぜ」

 悠太を手招きし、隣に駆け寄ってきたタイミングで、フェルディナンドは周囲を見渡しながらニヤリと笑う。

 元老院の存在は悠太も知っていた。

 宮廷魔導士や魔導騎士といった国に仕える魔導士は別として、多くは協会に依存している。

 魔導士の主な収入源は、協会が斡旋する依頼や許可を得なければ販売出来ない生産品である。

 それゆえ、魔導士は協会には逆らえず、そのトップである元老院の判断は、何があろうと従わざるを得ない。

 そんなやんごとなき彼らが見下ろす中、どこか風格のある魔導士達が集まるこの場が何であるのか、悠太はそれとなく感づいた。

(あ、ヴァレンティーネさんだ)

 視線を巡らすと見知った顔があり、悠太は少しだけホッとした。

 が、前に座るヴァレンティーネに似た女性がこちらをじっと凝視してくるので、猫耳と尻尾が自ずと立つ。

 おそらく『アレキサンドライト』のギルドマスター、コーデリカ・ハインカーツその人なのだろう。

 悠太が推し当てると、フェルディナンドが話し始めた。

「『フィーリアへ三百』だ? 笑わせんなよ? んなもん、俺一人でもやれるぜ」

 皆、彼の言葉に顔をしかめる。

 それを鼻で笑いながらフェルディナンドはコーデリカへと目を向ける。

「おい、本当にこんなしょっぱい討伐隊を出す気か?」

「……わたくしは皆様の意見を取り纏める中立の立場ですわ。ですので……」

 コーデリカが、ちらりとヴァレンティーネを見る。

 ヴァレンティーネはコーデリカの視線の意味が分からない様子で、僅かに眉をひそめた。

「わたくしに代わり、彼女の意見を伺いましょう」

「お母様っ!? 何を考えてらっしゃるのですかっ!?」

 ヴァレンティーネの声が裏返る。

「落ち着きなさいヴァレンティーネ。そう取り乱しては『アレキサンドライト』のギルドマスターは務まりませんよ?」

「いや、ですが――」

「いいじゃねえか」

 身を乗り出してコーデリカに喰ってかかるヴァレンティーネをフェルディナンドが遮る。

「俺も聞いてみたいね。若者の忌憚ない意見ってやつをな」

 自身も若者であるはずのフェルディナンドが、ニヤニヤする。

 ヴァレンティーネは観念したように一歩前に進み出た。

「で、では、僭越ながら……わたくしは今回の討伐隊の内容について、大変遺憾に思います。はっきり申し上げて、この規模でしたら派兵する意味がないかと……」

「何を言う!? レムルスは今〝冬眠期〟だ! これ以上の規模で討伐隊を出せば、レムルスを刺激してしまいかねん! かえって危険だ!」

「そうだ! 群れを成したレムルスに街を滅ぼされてみろっ!? その責任は我々が取らねばならんのだぞ!? そんなことも理解出来んのかっ!?」

「フン、天下の『アレキサンドライト』も、次の代では苦労しそうですな?」

「いや、まったくです」

「お静かに」

 言いたい放題な一同をコーデリカが窘める。

「続けます……確かに現在は〝冬眠期〟、レムルスの主立った侵攻もありません。ですが、わたくしは先日参加した依頼で、レムルスに遭遇しました。それは皆さんもご存じでしょう?」

「ふむ。確か、二十体のレムルスに囲まれたと聞く。一体、どうやって助かったのだ?」

「何か覚えておらんのか?」

「いやいや、どうせ森の獣か何かと間違えたのであろう?」

「そのとおり! 清めの魔法は完璧だ!」

 興味を示す者を、やはり悠太達の誤認と信じている者達が冷笑する。

「……わたくしが覚えていないことも、ご承知のことかと思います」

 悠太はヴァレンティーネがちゃんと約束を守ってくれていることに安堵した。

 気がかりなのはソフィであったが、この場で何故助かったのかという質問が出るところをみると、どうやらソフィも猫の手については口外していないらしい。

(……というか、なんでフェルディナンドさんは僕を……?)

 悠太は、フェルディナンドがどういう意図で評議会に連れてきたのかを考えあぐねた。

 弱小ギルド『ほうき星』の一員で、魔導士ですらない自分が場違いであることは明かだ。

 評議会へ横やりを入れることが「手伝って欲しい仕事」なのだとしたら、ますますもって意味が分からない。

 悠太が、うーん? と首を捻っていると、ヴァレンティーネがさらに話を進める。

「安全圏であるルードロールにレムルスが出没したということは、近々、大規模な侵攻があると考えるべきではないでしょうか? もう一度、編成の見直しをするべきかと存じます」

「いや、であれば、尚のこと今回は小規模に収めるべきではないのか?」

「うむ。人員を減らし、安全圏の守備を固めるべきだ!」

 ヴァレンティーネの予測を受け、一同が反発した。

「守っても意味はねえ」

 ヴァレンティーネの眉間に皺が寄り、何か言いかけたが、その前にフェルディナンドが首を横に振った。

「ハインカーツのお嬢ちゃんが言ったとおり、奴らは必ず攻めてくるはずだ……レムルスは一定の周期で巣を変える。それはあんたらも知ってるだろう?」

 長きに渡り戦い続けているが、レムルスは多くの謎に包まれている。

 しかし近年、レムルスは地中にある魔素を求める習性があることが分かった。

 魔素は魔力の源であると同時に、大地に潤いをもたらす。

 大陸の地下には、貯水庫のように魔素が貯留する〝魔素溜まり〟が幾つもあり、そこから植物の根などが魔素を地上へと汲み上げる役割を担う。

 つまり、魔素がないと草木は枯れ、川は干上がってしまい、死の大地となり果てるのだ。

 レムルスは、人々にとってだけでなく、ヴェルバリタそのものにとっても、害悪しかもたらさない存在なのである。

「……今、奴らが根城にしているのは、モルトヴァン――旧ルバチアの王都だ」

 フェルディナンドが真剣味を帯びた声で言うと、場内の空気は重苦しいものへと変わった。

 リノンの故郷でもあるルバチア王国は、八年前の惨劇――モルトヴァン戦役で陥落した。

 小国でありながらグゼリアやシュレーフォスにも引けを取らない魔法国家であったが、レムルスの大群を前に、三日と持たなかった。

 民の多くが死に、王族までもが全員命を落としたため、仮に奪還したとしても、完全なる再興は叶わなくなった。

 人々にとって、レムルスの脅威を改めて思い知った戦であった。

 それを悠太は図書館で調べるうちに知った。

 この評議会に立ち会う殆どが、悲惨な当時を記憶しているようだ。彼らの表情は、文面からしか知ることの出来なかった悠太に、その凄まじさを知らしめる。

「……俺も気持ちは同じだ。だが、これは好機でもある」

「まさか、貴様……っ!?」

「本気かっ!?」

 気づいた何人かが驚くが、フェルディナンドは口角をつり上げてみせる。

「ああ。今回の討伐隊でレムルスを根絶やしにする」

「無茶だっ!?」

「そうだ! 一体どれだけの人員と費用がかかると思ってるんだっ!?」

「もし、失敗すれば、その責任を貴様は取れるのかっ!?」

 騒然となる場内。

「お静かに!」

 コーデリカが何度も木槌を打ち鳴らす。

 だが、興奮冷めやらぬ彼らは、なおも騒ぎ立てる。

 すると、元老院の一人、真ん中に座る長らしき人物が手を挙げる。

 発言を求めてのことではない。これ以上騒げば退場させるという意味だ。

 場内がすぐに鎮まり、フェルディナンドは続ける。

「いいか? 今レムルスを叩いておかないと、次はミルドフォードここだぜ?」

 足元を指すフェルディナンドの声は、さらに真剣なものへと変わる。

 ミルドフォードからほど近いルードロール――グゼリアの南東にレムルスが出現したということは、グゼリアの西隣に位置するモルトヴァンの魔素溜まりが枯渇し、レムルスが次の巣を探すための斥候を放ったとも考えられる。

 事実、モルトヴァンから一番近い魔素溜まりが存在するのはミルドフォードである。

 レムルス達がミルドフォードを狙っているのだとしたら、何としても阻止せねばならない。

 魔導士達の中枢たるミルドフォードの陥落は、人類の敗北、つまりレムルスがヴェルバリタを手中に収めることに等しい。

 フィーリアに三百、などと悠長に構えている段ではないのだ。事の深刻さを飲み込んだ一同は再び押し黙る。

 だが、一人だけ意見する者がいた。

「……何か策はあるのですか?」

 いるのかすら分からなかったカルミエーロが、フェルディナンドへ鋭い視線を向ける。

 打って出る以上、確実にレムルスを根絶させる必要がある。彼の瞳はそう訴えていた。

「もちろん」

 フェルディナンドはにんまりと笑みを浮かべ、悠太を自らの前に立たせた。

「こいつは魔導士じゃないが、とんでもねえモノを持ってる」

「ちょっ!?」

 悠太は、自分の正体をバラそうとしているのではないかと見上げるが、フェルディナンドは「任せておけ」とウインクしてくる。

「ま。実際に見せた方が早いな。お嬢ちゃん、ちょいと手伝ってくれねえか? あと、カルミエーロ、お前もだ」

「私、ですか?」

「ああ」

「……」

 カルミエーロは躊躇うも、ゆっくりと近づいて来る。

 その間、フェルディナンドはヴァレンティーネを悠太の隣に立たせ、十歩ほど距離を取ると、自らの背後――カルミエーロから向かって正面に、赤い半透明の防護障壁シールドを張った。

「ユータはアレを出してくれ」

「いやっ、でも……」

「心配すんな。悪いようにはしねえって」 

「……は、はい」

 フェルディナンドが何をしようとしているのか分からないが、悠太は意識を集中させ、程なく猫の手を顕現させた。

 場内に驚嘆の声が広がる中、ヴァレンティーネが慌てふためく。

「ユータ殿っ!? それは――」

 秘密だったのでは? と続けようとしたのか、ヴァレンティーネは悠太の手を隠すようにして肉球に触れる。

 かつてと同様、薄紫色の光を全身に帯びた。

「こ、これはっ!? い、一体、どういうことですのっ!?」

 娘の異変を目の当たりにしたコーデリカが、悠太とフェルディナンドを交互に振り返る。

「カルミエーロ。全力で俺を撃て」

 フェルディナンドはコーデリカの説明要求を無視し、カルミエーロに向かって両手を広げてみせた。

「フェルディナンドさんっ!?」

「正気ですのっ?」

 悠太が叫び、ヴァレンティーネが青ざめた。

「いいから撃て」

 フェルディナンドはやはり取り合わず、カルミエーロへ向けて小さく笑みを浮かべる。

「……遠慮はしませんよ?」

「構わねえさ」

「では」

 言葉通り、カルミエーロは迷わず右手をフェルディナンドの左胸に定めた。

 するとすぐに、掌の先に小さな魔法陣が重なるように並び、それらを破るように魔光矢アローの上位魔法――魔光槍スピアが放たれる。

 金色の光の槍は、吸い込まれるようにフェルディナンドの腹部を貫き、後ろの防護障壁に激突し霧散した。

「ぐっ、がはっ!」

「フェルディナンドさんっ!!」

 吐血しながら前のめりに倒れるフェルディナンドに悠太が駆け寄る。

 床に血溜まりを作り始めるフェルディナンドは、ヴァレンティーネを見上げた。 

「お嬢ちゃん……回復魔法を……!」

「は、はい!」

 ヴァレンティーネは、詠唱も無く回復魔法を発動させた。

 紫色に光る両手で、フェルディナンドの腰背部を覆うと、傷はみるみる塞がれていく。

「……ふぅ、ありがとな」

 完治したフェルディナンドは立ち上がり、穴の開いたローブを瞬時に修復してみせた。

「なぁ、お嬢ちゃん」

「なんですの?」

「無詠唱は、いつ覚えた?」

「…………い、いえ、まだ習得中でして……」

 未だ光るヴァレンティーネは、一瞬悠太を窺ってから、小さく首を横に振った。

 悠太が「正直にどうぞ」と頷いてやったのだ。

 〝味方殺し〟などと穏やかではない罵倒を浴び、当初から胡散臭い人だと思っていたが、レムルスの根絶を訴える姿から、本当にヴェルバリタを救いたいという気持ちは感じ取れた。

 悠太は「本当はいい人なんじゃ?」とフェルディナンドに対する心証を変えたのだ。

 その彼が、悪いようにはしないと言ったのだ。ヴァレンティーネが正直に答えたところで、拙い状況へ転ぶことはないだろう。

 ヴァレンティーネの返事は、またも場内を困惑させるものであったが、カルミエーロだけは顎に手をやって頷く。

「なるほど、そういうことですか……」

「ああ」

 フェルディナンドがニヤリとほくそ笑んだ。

「こいつの猫の手に触れた魔導士は、一時的だが能力が上がる」

「何だとっ!?」

「それは、きょ、強化魔法とは違うのかっ!?」

「いや、強化魔法は魔法の威力や身体能力といった、あくまで目に見える強化のみだっ! 学院を出たばかりのヒヨッコに、無詠唱魔法を可能にさせることなど出来んっ!?」

「では、彼は何をしたんだっ!?」

「ええいっ!」

「あ! 待てっ!?」

 フェルディナンドの解説に騒然となるも、興味に駆られた一同が、わらわらと悠太の元に集まってくる。

「わっ!? あ、ちょっとっ!?」

 容赦なく体中をまさぐられ、悠太があたふたする。 

「おおっ!」

「これはっ!」

「何とっ!」

 そして、肉球に触れた者から発光し、その力を実感する。

「……と、まぁそんなわけで、こいつは俺達の切り札になるってわけだ。どうだい? 分が悪いってこたぁねえだろ?」

 得意げに聞くフェルディナンドに誰もが頷く。

 これなら勝てる、と。


 こうして、フェルディナンドの案は採用され、かつてない規模の討伐隊が編成されることとなった。

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