15

 ――その夜。

「いや~、昼間は悪かったな。ほら、チッカも謝れ」

「ごめん」

 ジョルジョアンナの部屋のソファでふんぞり返り、隣で小さくなっているチッカの頭をポンポンと叩く、赤い髪の青年。

 名をフェルディナンド・イッヒゲルトと言う。

 あれから営業を再開し、さらにモフモフされ続け、身も心もくたくたになりながら初日を乗り切った悠太は、客とはいえ見ず知らずの他人がモフモフする姿を見せつけられた所為か、超不機嫌となったリノンとアメリーとともに『ほうき星』のギルドハウスへと帰って来た。

 そこでジョルジョアンナに呼ばれ、執務室に来てみれば、昼間出会した二人がいたのである。

 何でも、ジョルジョアンナとは古くからの知り合いであるらしく、聖誕祭の期間中『ほうき星』に滞在するのだそうだ。

 ちなみに、二人が食い逃げした代金は、ジョルジョアンナが立て替えたらしい。

(……うーん)

 チッカはともかく、フェルディナンドからは、どことなく胡散臭そうな雰囲気が漂っている。

 悠太は「泊めても大丈夫なんだろうか?」と内心不安になった。

 すると、彼の助手を務めるチッカが悠太をチラチラと窺い、どうにも我慢できなくなったようで、弾丸のような速さで悠太に飛びついた。

「えっ!? あっ、ちょっ!? チッカっ!?」

「ゆーくんをぎゅっとしていいのは、わたしだけだよっ!?」

「バカ言え! 私の目が青い内は、何人たりともユータへの破廉恥行為は許さん! だから貴様もユータから離れんかっ!」

「やっ! チッカ! ユータ、嫁! 強い子、作る!」

「「それは絶対にダメ(だ)っ!!」」

 悠太の嫁+子作り宣言に、リノンとアメリーの心が一つになった。

「やっ!! チッカ、ユータ、一緒! ずっと、一緒!」

 チッカは、行方不明だった恋人と再会したかのように悠太にしがみつく。

「チ、チッカ、離れてっ!! ほら、りっちゃん達も! 服が伸びちゃうよっ!?」

 褐色の四肢に精一杯力を込めて〝だいしゅきホールド〟を決めるチッカと、容赦なくチッカの服を引っ張るリノンとアメリーに、悠太が情けない声を上げた。

「おい、チッカ」

「なにっ?」

 フェルディナンドが呼びかけるが、チッカは引きはがされまいと必死なので、返事だけで彼の方を見ようとはしない。

 だが、フェルディナンドは構わず続ける。

「俺の助手を辞めて、彼の助手にでもなるか?」

「なるっ!」

 思いがけぬ問いかけに、くるりとフェルディナンドへと振り向いたチッカは、リノンとアメリーによって引っぺがされた。

「それもお断りだよっ!?」

「うむ! というか、ユータは魔導士ではない! 私の助手であり弟だ!」

 獣のように威嚇するリノンと、弟の部分を強調するアメリーが同時にチッカを睨む。

 しかし、リノンはすぐにアメリーに向き直る。

「何度も言ってるけど、ゆーくんはアメリーちゃんの弟じゃないし、わたし専属の助手だからねっ! そこんとこ、はき違えちゃダメでしょっ!」

「フン、笑えんな。冗談はその胸だけにしておけ」

「ほえ? 胸が冗談ってどういうこと?」

 アメリーの皮肉はリノンには通用しなかった。空いた手でその張り出した胸を持ち上げて、「本物だよ」と首を傾げる。

「ぐっ! 貴様という奴は、またしてもこれ見よがしに……っ!!」

 アメリーは、リノンの胸を睨みながらぎりぎりと歯噛みする。

「胸……」

 するとチッカが、リノンとアメリーの胸を見比べたのちに、自身の真っ平らな胸をぺたぺたと触り出し、悠太に目を向ける。

「ユータ、大きい、好き?」

「へっ!?」

「ち、違うよなっ!? ユータは別に胸の大きさに拘らないよなっ!? 普通でもいいよなっ!?」

「いやいや、断然、おっきい派に決まってるよっ! そうだよね、ゆーくんっ?」

 まさかのフリに悠太が固まると、アメリーとリノンがすかさず同意を求めてくる。

「え、えっと……」

 内容もそうだが、リノンとアメリーの超真剣な様子にたじろぐ。

「大きい、好き?」

 再びチッカが聞いてきたところで、ジョルジョアンナが壁の時計をちらりと見て、パンパンと両手を打つ。

「これ、お前さん方。その辺にしておくんじゃ」

 答えを聞いていないが、やはりジョルジョアンナに逆らえないリノンとアメリーは、チッカを下ろしてやり、座り直した。

 そのチッカは、再び悠太に抱きつこうとしたが、フェルディナンドがポンポンと隣を叩いたので従う。どうやらフェルディナンドは、チッカにとって逆らえない存在であるらしい。

「さて、もう夜も遅い。そろそろお開きとするかのう」

 ジョルジョアンナが退室を促してきたので、悠太達は立ち上がり、一礼して出ようとする。

「ああ、ユータは残っておくれ。もう少し話がある」

「え? 僕に、ですか?」

 リノンとアメリーが怪訝な顔になるのを横に、悠太が人差し指で自分を指す。

「ほんの少しじゃ。すぐ済む」

 リノンとアメリーを安心させるように、ジョルジョアンナは頷いた。

 二人は腑に落ちない様子だったが、執務室から辞した。

 そして、悠太は再びソファに座り直そうとしたが、ジョルジョアンナに止められた。

「ああ、そこでよい。そこでいつものようにアレを出してくれんかのう?」

「えっ!? アレって……!?」

 ジョルジョアンナはルードロールでレムルスと遭遇したときと同じく、猫の手を出してみせろと言っている。

 あの夜。悠太はジョルジョアンナに全てを報告をした。

 彼女から秘匿にするよう申しつけられ、ある訓練を課せられた。

 それは、自らの意志で、自由に猫の手を出したり解除したり出来るようになることである。

 獣人は、その動物の特性は持っていても、実際に手などを獣化する能力などない。死にたくない、という悠太の強い意志に黒猫が応じたのだ。

 であればこの先、そういった場面に出会し、昂ぶって猫の手を出してしまうと厄介だ。

 ルードロール以来、顔を合わせていないソフィと、気絶していたナターシャを除き、こちらの事情を知らないアメリーとヴァレンティーネには〝一族に古くから伝わっている秘術〟と嘘の説明したが、いつまで通用するかわからない。

 ゆえの訓練である。

 仮に猫の手になっても、瞬間的にしまえば誤魔化せる。ジョルジョアンナはそう考えたのだ。

 悠太は「流石に無理があるんじゃないのか?」とも思ったが、従うほかなかった。

 前にも述べたが、猫の手の力が明るみにでれば、自身を巡る骨肉の争いが待っている。そうなれば『ほうき星』にもいられないし、リノン達も巻き込んでしまうかもしれない。

 それだけは何としても避けたい。悠太はジョルジョアンナに訓練方法を教わった。

 方法はいたってシンプルで、自身の手が猫の手になっているところを強くイメージするというものである。

 これは、詠唱なしで魔法を発動させる、無詠唱魔法そのもののやり方でもある。

 通常、詠唱により体内の魔力を徐々に活性化させ、ピークになったところで発動させるのが魔法である。

 が、熟達した魔導士になると、行使したい魔法を頭の中で明確に思い描くことで、体内の魔力を瞬時に活性化させ、発動に至らしめることが出来るのである。

 単純であるがゆえに難しい。何の成果も上げられず訓練は難航した。

 だが悠太は諦めなかった。みんなが寝静まった後、一人、自室でイメージし続けた。

 そうして、つい一週間ほど前になるが、ほぼ可能となったのだ。

 その猫の手を、事情を知らないフェルディナンドとチッカの前でやってみせろというのは、ジョルジョアンナの正気を疑いたくなる。

「実を言うと、話は全部、婆さんから聞いてる」

 僅かに真面目な顔になるフェルディナンドに仰天するも、すぐにジョルジョアンナを見る。

「ど、どうして……!?」

「勝手に話してすまん……じゃが、こやつなら、お前さんの力になってくれるやもしれんと思ってのう……」

 振り返る悠太に、ジョルジョアンナは申し訳なさそうな顔になった。

 助力を得るためとはいえ、口外禁止を言い出した本人がバラすのはどうかと悠太は思う。

「心配すんな。誰にも言ってねえよ……とにかく、その黒猫の力ってやつを見せてくれ」

「…………は、はい」

 悠太は躊躇ったものの、いつもやっているように目を閉じ、あの黒くモフモフな着ぐるみみたいな猫の手をシャープに思い描く。

 すぐに悠太の手は、ぼんやりと輝き出した。

「おぉ~!」

 チッカの驚く声が聞こえたが、悠太はさらにイメージする。

 そして、一分も経たずに完全に猫の手を具現化させた。

「おお! おお! おお~!」

 チッカはとても興味を抱いたらしく、肉球をつんつんし始める。

「こいつはまた可愛らしいというか…………どれ……」

 ややコメントしづらそうなフェルディナンドであったが、立ち上がり、悠太に歩み寄る。そして右手を差し出してきた。

 どうなるのか実際に試したいらしい。悠太は握手するように右手を重ねた。

 すると、ルードロールでのリノン達のように、フェルディナンドの体も赤く光り始める。

「なるほど、こいつはすげえな……」

 フェルディナンドは光る自身の体をまじまじと眺めた後、悠太に目を向けた。

「単刀直入に言うが……わりぃ。俺にも何がどうなってんのか、さっぱり分からねぇ」

「え……そ、そうですか……」

「だが、こういうのに精通している奴を一人だけ知ってる」

「えっ!? ほんとですかっ!?」

 悠太の猫耳がぴくんと跳ね、尻尾がピーンと立つ。

「ああ。そいつに会わせてやってもいいが、一つだけ条件がある」

「じょ、条件って……?」

「俺の仕事をちょいと手伝ってくれ」

 フェルディナンドはニカッと人懐っこい笑顔を浮かべた。

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