ヴァレンティーネ達と別れ、再び市場を行く悠太とリノンは、本屋の前を通りかかった。

 本屋といっても、膝上ほどの台に置かれた箱の中に、大小の本がみっちりと敷き詰められた古本市のようなものである。

「あ、『王女殿下のお気に入り』の最新刊が出てるかもっ!」

 リノンには読み進めている作品があるらしく、悠太をぐいぐい引っ張りながら箱の中の本を物色し始め、お目当ての本を見つけ出した。

 悠太もつられて何気なく一冊手に取るが、そこではたと気付く。

「ほえ? ゆーくん、どしたの?」

「……僕、こっちの文字読めないな、と思って……」

 開いたページには、壁画などによく見る古代文明の象形文字のようなものが踊っている。

「ほえっ!? ゆーくん、文字、読めないのっ!?」

「う、うん……っていうか、なんでそんなに驚くの?」

「だって、普通にお話ししてたから、てっきりコッチの文字も読めるんだと思って」

 リノンが言うとおり、これまで出会った人物との遣り取りは日本語ではなかった。英語でも、その他の外国語でもない、全く別の言語で恙なく行われていたのである。

(ひょっとして、これも黒猫の所為……?)

 だとしたら、あの黒猫はヴェルバリタ側の生き物なのだろうか? 

 いや、ジョルジョアンナも知らないと言っていた。

 だが、ヴェルバリタへ来たということは、何らかの目的があってのことと考えられる。全く無関係だとは思えない。

「じゃあ、帰ってからお勉強しないとだね?」

「え?」

「だって、文字が読めないと何かと不便でしょ?」

「あ、うん……そうだね」

 確かにそうだ。書物などから方法を探す際、文字が読めなければ話にならない。

 また当分の間、ヴェルバリタ人になりすます上でも、読み書きが出来るに越したことはない。

「決っまり~! じゃあ、授業料は一回につき百モフモフね?」

「えっ……!? もう少し、負けてくれないかな?」

 具体的に一モフモフがどの程度のものか計りかねるが、リノンの顔が瞬時に緩んだので、悠太は身の危険を察知して交渉に移る。

「えー? じゃあ、五十モフモフと一緒にお風呂に入――」

「百モフモフでお願いします」

 とんでもないことを言い切る前に、悠太は早々と妥協した。

「んも~! 照れちゃってぇ! このこのぉ」

「と、とりあえず、魔法の粉を買いに行こうよ」

 リノンが肘で小突いてくるのが鬱陶しいのもあるが、ここでのんびりと油を売っているわけにもいかない。当初の目的を済ませるべく、悠太は釘を刺した。

「むー、しょうがないなぁ~! ゆーくんは!」

 リノンは唇を尖らせながら本を戻し、踵を返した。

 何故か自分が悪かった風にされた悠太は、ちょっぴり悲しくなった。

 ともあれ、魔法の粉を求めて二人は本屋を出る。

「さぁさぁ、今日は特にイイのが入ってるっすよ~! おや? ちょっと、そこの少年!」

 向かいの道具屋の売り子から呼び止められた。

 魔導士だろうか、派手な朱色のローブを纏う、水色のツインテールが可愛らしい少女だ。

「えっと、僕に何か……?」

「はい。少年からは、何やらよくない相が見えるっす」

「はっ!?」

「『よくない相』ってなにっ!?」

 不躾に不吉なことを言われ、ビクついた悠太に代わり、リノンが売り子の少女に詰め寄る。

「女難の相っすよ」

 売り子の少女は臆した様子もなく答えた。

「いや、そんな女難の相だなんて……」

「やっぱりっ!!」

 どこぞのハーレム主人公じゃないんだから、と彼女イナイ歴=年齢の悠太が思わず苦笑してしまうのに反し、リノンはさらに前のめりになって少女に顔を近づけた。

「何やら心当たりがあるみたいっすね? じゃあ、コイツを少年に付けてやるといいっすよ」

 少女はニヤニヤとしながら、台にあるモノを置いた。

「これって、首輪?」

 赤い革のベルトに金色の鈴が付いた、どこにでもあるような首輪を手に取ったリノンに、少女はツインテールを揺らす。

「そうっす。見ての通り、何の変哲もない、ただの首輪に思われるっすけど、コイツは聖なる首輪っす。身に付けた者をあらゆる災いから守ってくれる優れ物っすよ! どうっすか? 今なら銀貨十枚にオマケしとくっすよ?」

 少女が両手を〝パー〟にする。

「買ったぁ!」

 即決したリノンは袖から銀貨をじゃらりと置いた。

「毎度あ――」

「ちょ、ちょっと、待って!」

 受け取ろうとした少女の手を、悠太が台越しに掴む。

「え? なんすかっ?」

「あの、少しだけ待ってください!」

 悠太は銀貨を回収し、少女に一言入れて、リノンの袖を引っ張る。

「なにっ? なにか問題でもあるのっ?」

 少女から死角になるところで袖を離すと、リノンは若干ムッとした顔で見下ろしてくる。

「りっちゃん、冷静に考えてよ。どう見ても、あの子は僕らを騙そうしてるよ」

 こちらの物価を正確に把握しているわけではないが、あの首輪がクゥックに三回乗るよりも高いとは思えない。少女がぼったくろうとしているのは明らかだ。

「そんなことないよ! あのコ、ゆーくんのこと一発で見抜いちゃったんだよっ!?」

「それこそおかしいって、僕に女難の相なんてあるわけないじゃないか……」

 悠太がため息混じりに肩をすくめると、リノンはわなわなと震え出した。

「……………………てない……」

「え? なに?」

「ゆーくんはわかってないっ!」

 言い放つリノンは、悠太の手から銀貨を奪い、少女の元へ戻る。

「相談は終わったっすか?」

「うん、やっぱりその首輪もらうよ」

「だから、待ってってば!」

 代金を支払おうとするリノンをまたも悠太が止める。

「これはゆーくんに必要なモノなのっ! だから、邪魔しないでっ!」

「そんなはずないってば! とにかく高すぎるよっ!」

「んじゃ、値下げするっすよ」

 キッとなるリノンに怯まず悠太が言い返すと、少女があっけらかんとした声で告げた。

「「へ(ほえ)っ?」」

 悠太達は揃って少女に向き直る。

「値下げするって言ったんすよ……少年の言う通り、ちょっと高かったかもしれないっすね。あ、でも首輪の力はホンモノっすから」

 少女はやや悪びれた顔になる。

「いくらにしてくれるの?」

「銅貨三枚でいいっす」

 人懐っこい笑顔で三の字を作る少女。

「じゃ、これで」

 リノンは銀貨を一枚渡し、お釣りで銅貨七枚を受け取った。

 銅貨十枚で銀貨一枚に相当するらしい。悠太は、ぼったくりにもほどがあると渋い顔になる。

「毎度ありっす! 早速、付けてみるといいっすよ!」

「うん!」

「えっ、あ、ちょっ!?」

 少女の言葉に従い、リノンが目にも止まらない速さで悠太の後ろに回り込み、首輪を装着させ、またも回り込んで正面から見る。

「お~、これはなかなかっすね」

「うん! とっても似合ってるよ!」

 少女に同意するリノンがぎゅっと抱きついてくる。

「びっばん、ぶぶびぃっ!」

 りっちゃん、苦しい、と言葉にならない悠太の首元で鈴が鳴る。

 それを見て、少女は怪しく笑みを浮かべた。

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