第一章 異世界の幼馴染み

 かつてヴェルバリタには、人種を問わず多くの人々が住んでいた。

 しかし、容姿や風習などの違いから軋轢が生じ、戦が尽きなかった。

 各地で群発する戦は、次第に大陸全土を飲み込んでいった。

 大地は荒れ果て、多くの命が失われ、人々は悲しみに暮れた。

 そんな招かざる戦乱の世に終止符を打つ者が現れる。

 それは後世に語り継がれるような英雄などではなく、レムルスという化物であった。

 レムルスは村や町を襲い、多くの人を喰らった。 

 その強さは圧倒的であり、一日で大都市を、三日で国を、七日で大陸の四分の一を滅ぼした。

 だが、人々もやられっぱなしではなかった。レムルスに対抗出来る者達がいたのだ。

 それが魔導士である。 

 レムルスには剣や弓といった通常の武器が通じない。魔導士の魔法によってのみ倒すことが可能であった。

 そうして人同士の戦は、人と化物の互いの存亡を賭けた戦いに変わり、今なお続いている。

「――って感じなんだけど、ゆーくん聞いてる?」

「あ、う、うん……」

 頷くも、悠太は混乱していて半分も聞いていなかった。

 どうやら本当に異世界に来てしまったらしい。

 夢であるならば、一刻も早く醒めて欲しいと願うが、これが現実であることは、猫耳と尻尾のくすぐったさと、リノンの胸で窒息しかけたことが証明していた。

(……それにしても……)

 悠太は、今一度リノンを見た。

 美人だが、自分がよく知る幼馴染みとは、全くの別人である。

 その彼女がリノンとなった経緯も大概であった。

 何でも、引っ越した後、一人で近所を散策していた最中、事故に遭って命を落とし、気がつくとリノンの中にいたそうだ。

 それは憑依というよりは精神の融合であった。互いに干渉し合うことなく、むしろ足りない部分を補うように混じり合った。

 そのリノンは現在十八歳。レムルスにより故郷ルバチア王国を失うも、落ち延びたグゼリア帝国で魔導学院を卒業し、魔導士の中心である、ここ自由都市ミルドフォードで、魔導ギルド『ほうき星』の見習い魔導士として働いている。

 まさに流行りのウェブ小説の主人公みたいである。

「ほえ? なあに?」

 戸惑いを隠せない悠太の視線に気づいたリノンが小首を傾げた。

「い、いや……本当にりっちゃんなのかな? って……」

「えー? まだ信じてないの?」

「いや、だってさ……」

「わたし、ゆーくんの恥ずかしい秘密知ってるよ」

 疑いの眼差しを送る悠太に、リノンがニヤリとなる。

「えっ? それって……?」

「んっとね、十歳までおねし――」

「わーっ!? わーっ!?」

 悠太は慌てて彼女の口を塞いだ。

 それは母親と理乃、および理乃の両親しか知らぬ、自らの黒歴史中の黒歴史である。

「本当に、りっちゃんなんだ……」

 信じられないが納得するしかない。悠太はゆっくりと彼女の口元を押さえる手を離した。 

「今度はゆーくんの番だね。どうしてすっぽんぽんで道端に倒れてたの? しかも、そんなかわいいモノ生やしてさ」

「えっ!? 僕、全裸で倒れてたのっ!?」

 リノンが指し示す、頭と尻の「かわいいモノ」もよりも、全裸だったことが気になる。

「そだよ。追いはぎにでも遭って、行き倒れてるのかと思ったら、ゆーくんなんだもん! 本当に驚いちゃったよ!」

「そうだったんだ…………それで、りっちゃんは僕の裸を――」

「んでんで? 何があったのっ?」

 見たの? と聞く前にリノンはぬるりと身を寄せてくる。

「…………えっと……」

 悠太は、質問に答えてくれないリノンがクロであることを確信し、恥ずかしさでいっぱいになったが、気を取り直し、ここに至るまでの出来事を包み隠さず話した。


 下校中、ジョギングコースとして知られる近所の大きな公園を突っ切っていた。

 すると木陰の下で蹲る黒猫を見つけた。左足を怪我しているようでペロペロと舐めていた。

 可哀想に思い、動物病院に連れて行こうと近づいた悠太へ、黒猫は耳と尻尾を逆立てて威嚇してきた。

 悠太は、鞄からコッペパンを取り出し、小さく千切って黒猫の前に転がしてやった。

 昼休みの終わり際、隣の女子から「食べきれなかったからあげる」と押しつけられた物だ。

 警戒する黒猫であったが、食べ物だと分かると素早くパクついた。

 悠太はコッペパンに夢中になる黒猫を抱き上げようとしたが、また威嚇するので断念した。

 怪我の具合が気になったが、これ以上刺激するのはよくない。悠太はその場から去るべく立ち上がり、黒猫に背を向けた。

 瞬間、黒猫が飛びかかってきた。

 怪我をしていたんじゃなかったのか、と驚く悠太の首筋に痛みが走る。

 噛まれたのだ。

 悠太は黒猫を振り払おうとしたが出来なかった。

 痛みは睡魔へと変わり、悠太の意識を刈り取った。

 そして目を覚ますと、この部屋に寝かされていたのである。


「…………ふむふむ……なるほど、なるほど……」

 聞き終えたリノンは妙に得心した様子で頷く。

「つまり、ゆーくんは、その黒いにゃんこさんと合体してヴェルバリタに来ちゃったってことなんだね? おおっ! 異世界トリップとか、ウェブ小説の主人公っぽいねっ!!」

 悠太は「お前が言うなっ!?」と、喉元まで出掛かったが、どうにか飲み込んだ。

 おそらくリノンの言うとおりなのだろう。

「ところでゆーくん。モノは相談なんだけど……」

「な、なに?」

 リノンが急に居住まいを正したので、悠太は身構える。

「再会の記念に、その耳と尻尾、モフモフさせてもらってもいいかなっ?」

「えっ!? いや、でも……」

「ちょっとだけ! ね? 先っちょだけでいいからっ!!」

 聞きようによっては卑猥なセリフだが、リノンはいたって真剣である。 

「う、うーん……」

 正直ご遠慮願いたい。

 先ほど、自分で触れ、あんなにもくすぐったかったのだ。他人の手で触れられれば、どうなるものか分かったものではない。

「お願い! このとおりだから!」

 リノンは頭を下げ、一生懸命懇願してくる。

 こうなると断りづらい。四年ぶりに再会した幼馴染みの頼みを無下にするのは心が痛む。

 そんな押しに弱い悠太の性格を熟知してか、リノンはとっておきのカードを切ってきた。

「モフモフさせてくれたら、こういうことに詳しそうな人に会わせてあげるからっ!!」

「ほんとっ!?」

「うん! っていうか、目を覚ましたら連れてくるように言われてたっけ……」

 リノンは、えへへ、と頭を掻いた。

 悠太は相変わらずだなぁ、と苦笑する。

 が、そういうことであれば話は別だ。悠太はリノンのお望み通り、頭を差し出した。

「じゃあ、遠慮無く~……」

「あ! やっぱり、ちょっと待って!」

 ゴクリと喉を鳴らしたリノンの手から逃れるように悠太が頭を引っ込めた。

「なにかなっ? ここまできてお預けとかだったら聞けないよっ!」

「いや、そうじゃなくて……」

 迫り、盛大にハスハスしてくるリノンに尻込みしてしまうが、悠太は続ける。

「えっと、その……優しくして、ね?」

 重ねて述べるが、悠太は単にくすぐったいのが嫌なだけで他意はない。

 しかし、上目使いでお願いするその様は、幼気なネコミミ少年以外の何物でもなく、ショタコンでなくともやられてしまう、抜群の破壊力があった。

「ぶっはぁああんっ!?」

「り、りっちゃんっ!?」

 二本の赤い曲線を虚空に描き、リノンがベッドに倒れたので、悠太は慌てて覗き込む。

「だ、大丈夫っ?」

 呼びかけるが返事はない。

 鼻血の跡が生々しく、やや凄惨に映るが、リノンは恍惚とした表情で気を失っていた。

「りっちゃんっ? しっかりしてっ!」

 原因が自分にあることに気付かない悠太は、彼女が目を覚ますまで必死に呼びかけ続けた。


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