10

 その時――人間だった頃の光景が、一気に蘇った。

 走馬灯のようなものだろうか、と、ソウは思った。

 暗い部屋で、一人孤独に過ごしていた。

 自分には肉親がいたはずだが、どんな人物だったかは覚えていない。ただ、その人の幸せを叶えるために、自分はどこかで働くことになった。働きながら、冷たい目と罵声を浴びせられる毎日に、「自分と同じ境遇のその人」が、静かに手を差し伸べて――。


 ソウは、その時初めて、自分の過ちに気がついた。


 そうだ――いつだって、自分を支えてくれたその人は――。

 自分にいつでも寄り添ってくれていた人だった――。

 間違った時には、間違いだ、と言ってくれた。

 寂しい時には、黙って傍に居てくれた。

 お互いにわがままを言い合って、ケンカもした。

 でも、そのケンカも、自分がここにいるのだと、お互いを確かめ合うための行為に過ぎなかった。だから、私はわがままになった。

 そのわがままに正面からぶつかってくれた人が、昔、どこかで――いや、今、隣にいたのだ――!


 でも、こんなにまで苦しんでいる自分を受け止めてくれなかったではないか。

 では、なぜ、そうやってそこでガタガタと震えているのか。

 

 あなたは、あの人なのでしょう――?


 しかし、何事も、気がついたときにはもう遅すぎるのである。

 手を伸ばそうとしても、無い腕は伸ばせない。

 振り返ろうとしても、無い首は回せない。

 ただのプロペラのような身体が、今のソウである。


 男は笑っていた。不敵な笑みを浮かべて。

 丁寧にその身体を寄り代から引き剥がすと、その全身を撫で回すように触れた。


 ソウには、この男の正体がわかっていた。

 かつて、自分をこの世界に送り込んだ張本人であるということが――。


 私は――とんでもない間違いをしていたのだ――。


 動かない身体。

 そんな自分に出来ることは、その場所にポタリとひと雫を落とすことだけだった。

 気づいて――気づいてください――。

 もはや声の形を失ったソウが落とした雫が、洗濯槽に響き渡った――。


 洗濯機には、ただ物静かな空気だけがあるばかりであった。

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