気が付けば、ずいぶんと長いこと口を効かなくなっていた。

 それはまるで、熟年夫婦のだんまりのように、言葉にすることはないが、それでいて悪くはない。言葉にしなくとも、お互いを確認できていればそれでよかった。

 ソウは、自分が洗濯物を濯ぎ、その後、脱水槽が元気よく回る音が好きだった。

 自分がその衣服をクルクルと回りながら湿らせ、汚れを落としたあと、その水をグルグルと高速回転で噛み締めて抜いていく。

 この二つの共同作業を別々の場所で行えるのは、二層式の特権だ。

 噂に聞く、全自動の洗濯機であれば、こんなことはできまい。いつだって自分で濯いで水を抜かなければならない。なんでもかんでも一人だけで行うことの寂しさには、きっと耐えられなかっただろう。

 ソウは、二層式洗濯機に生まれてよかったとさえ思っていた。


 しかし、そんな二層式洗濯機へと生まれた自分にも、いずれ限界が訪れることは目に見えていた。

 かつて隣にいた、初恋の人と呼んだその脱水槽がいなくなったことを、もう一度思い出していた。

 薄れていく記憶の中で、もはやその人が言ったことは思い出せないが、確かにそこにいた者が失われる孤独感だけは鮮明に残っている。

 そう思うと、やはり口をつぐんでばかりはいられなかった。


「お前、いい加減にしろよ。いつまでくよくよしているつもりだ!」


 その矢先、痺れを切らせた隣人が、声をかけてきた。


「洗濯物が汚いままだ。あれではお前がポンコツになったのだと思って、俺ごと捨てられかねない! それはなんだか精神的に不愉快を被る。しっかりと働けよ」


 でも、素直になれないソウは、その言葉に無言で返していた。


「……頼むよ。答えてくれよ」


 もっと、もっと自分を求めて欲しい。

 水でいっぱいになっているはずの洗濯機なのに、心の中は乾ききっていたから、もっと自分の心を潤わせて欲しい。


「お願いだ……今は、俺にとって話し相手はお前しかいない」

「もし、お前が……故障したと思われて、修理に出されでもしたら、困る」


 もっと、もっと、もっと……。

 孤独な心が悲鳴を上げている。こんなにまで声をかけられてもなお、ソウは声が出せずにいた。

 彼が語りかけてくる言葉が、自分の終わりを予言していたからだ。

 いつだって、その片鱗は見えていた。

 自分でも、その結末はわかっていたから。ここで声をかけても、今度は私がいなくなる番なのだ、と、ソウは感じていた。


「わかった、悪かった。でも、これだけは教えて欲しい。どうしても、聞いておきたいことがあるんだ」

「……?」


 その言葉に、ソウは耳を傾ける気持ちになった。


「お前は……元は人間だったんだろ?」


 ぶっきらぼうで、偉そうで、自分のことばかりしか考えていない相手だと思っていた。それでも、無言を貫いてでも、隣人を求めたのは、ただ自分が孤独になりたくなかったからだ。


「お前は、俺のことを無神経な人だと言った。寂しい人だと言った。俺がここで目を覚ます前にいたやつのことを、初恋の人だと言った。お前は、俺が人間であるということを、どこで知ったんだ?」


 隣人は、シキは、自分の言葉に気づいてくれていたのである。

 ソウは、じんわりと雫を漏らした。それは、恐らく目があったところから流れ出たものだろう。その雫が、砂漠のように乾ききっていた心の中にポタリと落ちた。たったひと雫ではあるが、心の奥まで潤沢さを保ちながら、その雫は永遠にキラキラと輝いていた。

 だからこそ、答えようという気持ちにさせられた。


「……あなたが、自分で自分を王族だとおっしゃいましたけど?」

「ふん。皮肉屋め」

「……ふふふっ」

「な、何がおかしい」


 皮肉でもなんでも、その人と言葉を交わす喜びが、今ようやく実感できたのだ。

 けれど、いずれ自分が失われると思うと、そのことを打ち明けるには勇気が出ずにいたのである。


「……内緒」


 ソウは、ようやく心まで寄り添えたと思えた。

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