初恋の人……。

 その言葉に、言葉を詰まらせるシキからの言葉を、落ち着かない気持ちで待ち受けていた。自分はここにいる洗濯槽や脱水槽のことを、「人」と捉えていることを告げてしまった。


「どんな人だったんだ?」

「……優しくて、静かな人でした」


 自分のことを、知ってくれるだろうか。

 もっとわかりあえるだろうか。寄り添いあって、この孤独な心を温めてくれるだろうか。隣にいてくれるだけで、それでいい。正直にこの気持ちを語ったら、お互いに歩み寄って――。


「あーそう。代わりに来たのが、このうるさい俺ってわけだ」


 急に、突き放された気分になった。心細くなった。

 本心から語った言葉が、声が、一番近いものを遠くに追いやっていくような気がした。以前にも、この気持ちを味わったことがある。


「で、そいつはどうなったんだ?」


 10年間隣にいた、初恋の人も、言葉を交わした途端に、自分のことを話して、知ってもらった途端に、いなくなっていった――。


「なぁ、どうなったんだって聞いているんだけど?」

「……」


 もう、どこにも行ってほしくない。

 確かに、今いる隣人は、ぶっきらぼうで偉そうで――どこか、誰かに似ている。

 自分の気持ちを受け止めてもらえないのなら、せめてただ隣にいてほしい。

 それだけでいい。


 結局、言葉に現れたのは、本心の裏返しであった。


「……無神経な人ですね」

「なんだよ、薮から棒に」

「あなたって人は、人の心に土足で入り込みすぎです。少しは加減を覚えたらどうです?」


 違う、本当は、もっと踏み込んでもらいたかった。

 自分を知ってもらいたかった。忘れられないように。

 自分がここにいるのだという証明に。


「そんなこと言ったって、こっからじゃ顔もわかんないんだからさ!」

「表情じゃなくて、空気を読んでください」


 自分をもっと見て欲しいという気持ちが、さらに相手の感情を逆撫でしていた。

 結果、自分に告げられる言葉は――。


「お前の初恋の人ってのは、気遣いもできて空気も読めたってのか。なるほどね。すまんな、俺はどうせお前の初恋の人ではないし、無神経で空気も読めないダメ人間だ! でもな、こんなモノになる前は立派な王族だったんだ! そうと分かれば今度は俺にひれ伏せ!」

「……」

「そう、それでいいんだ。俺に口答えなどするな! 愚民め! ちょっと気安く声をかけてやったからって図々しい態度をとりやがって!」


 いつか、遠い昔に自分に浴びせられていたような、酷い罵声であった。

 声を発するたびに、その人は遠くへ行ってしまう。


 ならば、せめて無言でいようじゃないか。

 ごめんなさい、あなたが悪いわけではないのです。

 正直に、素直になれない自分の心が、私をこんな穴蔵に閉じ込めているのです。


 ソウは、再び誰かが手を差し伸べてくれることを祈って、ただ無心に沈黙を貫いた。ある言葉だけを残して。


「寂しい人……」


 本当に寂しいのは、いつだって自分だった。

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