私は、ここで洗濯槽をしている以前の記憶がありません。

 気がついた時から、ここでグルグル洗濯物を回しています。だから、私が以前何者だったのか、それはお答えすることができません。

 私には自我がある、そう教えてくれたのは、10年前、私に声をかけてくれた、あなたが来る前にそこにいた、私の初恋の人です。

 その人は、とても物静かな脱水槽さんでした。どんなに詰め込まれても、静かに軸を安定させて、綺麗に水を抜いていました。私には、なんでかその音が、空間がとても心地よく感じていました。


 晴れた日に、草原に風が吹き抜けていく。その中を、自由に動き回る少女……その横で、私の知らない……かつて知っていたはずの誰かが、横たわりながら空を眺めているのです。その時の、言葉を交わさない空間であっても、私は、その時間が好きでした。

 晴れた日が好き。風に乗せて漂ってくる草の匂いも好き。高原の心地よい空気と、ふわふわなスカートをクルクルさせているのも好き。その横で、ただ微笑んでいるだけの人が好き――好きだったんです。

 でも、私は――いつの間にか晴れた日の青空を忘れ、風が運んでくる香りも空気も忘れ、スカートも忘れ、その人の顔さえも忘れ――ただ、クルクルと、回るだけの存在になっていました。

 体に水を溜め込んで、自分が忘れてしまったスカートを洗って、色が抜けたり、縮ませてしまったりしながらも、私はここでいつのまにか生きていました。


 隣にいた初恋の人は、そんな私がクルクルと回るのを、ただ静かに感じてくれていました。その懐かしさだけが、私の心を支えていました。だから、本当は――。


 私の記憶が始まってからの、初恋の人。でも、それより以前があったのなら、私には、忘れてはいけない人がいたはずなのです。

 それは、この懐かしく感じる気持ちと、恋焦がれて身をすり減らせる切なさだけが残っていました。

 どうしようもなく、好きなんです。好きだったのです。そのときの気持ちを、記憶を、思い出を、二人で共有した時間を、取り戻そうと一生懸命回り続けました。私には、クルクルと回ることはできます。

 好きで好きで仕方がなくて、手を出そうにも、走って探そうにも、手も足もない洗濯槽の私にできることはクルクルと回ることだけなのです。


 この気持ちは、どうすればよかったのでしょうか。


 せめて、あの時を思い出させてくれた、初恋の人に気持ちを打ち明ければとも思いました。でも――彼は、静かに回るだけでした。

 永遠に、無言のまま。

 ただの機械になって、終いには、回らなくなってしまいました。


 そして、あなたがやってきた。

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